新約聖書 第1回

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(このページは、プロテスタントの坂井栄一牧師が教会の印刷物に連載しておられたものを、許可を得て転載するものです。)

そこで、イエスは・・・モーセとすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身について書かれていることを説明された。

聖書は、キリスト教の唯一の聖典である。キリスト教は「聖書は神の言葉である」と信じている。そして、欧米では多くの人々が聖書を座右の書として親しんできた。欧米の文化は、聖書を抜きにしては考えられないし、深く理解できない。欧米人の心の中に、その考え方に、聖書は大きな影響を与えている。

そしてキリスト教の影響が少ない日本でも、聖書の言葉は少しずつ浸透している。「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」、「汝の敵を愛せよ」などは、聖書に記されているキリストの言葉である。「人の命は全世界より尊い」と言われるが、この言葉も、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マタイ16:26)、という聖書の言葉に由来する。「目から鱗が落ちる」とい表現も出典は聖書である(使徒9:18)。

そんなことで、キリスト教を求める人はもちろん、そうでない人も聖書を読むことは無駄ではない。
「聖書を読もう」と題して、創刊号から旧約聖書を学び始めた。先月号まで26回かかって、ようやく創世記を学び終えた。このままのペースでは、聖書全部を学ぶのに何年かかるかわからない。それで、新約聖書も並行して学ぶことにした。

新約聖書も、先ず全体を把握することが大切である。毎日1章づつ読むと、8ヶ月余りかかる。また全体を理解するには、順序通り読めばいいということはない。

新約聖書は、第一に主イエスが、神の子キリスト(救い主)であると教えている。そしてキリスト者の生き方の規範が示されている。

主イエスを知るには、4つある福音書から一つを選ぶのがいい。一つと言うとヨハネによる福音書を勧める人が多い。ヨハネは、含蓄のある教えが多い。またキリストの愛については、最も深く記している。しかし難解なのである。マタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれる。イエス・キリストについて共通の観点から記していると言われ、16世紀からそう呼ばれてきた。旧約聖書と並行して読むならマタイがいい。共観福音書の中では最も旧約聖書を意識しているからである。

福音書は、キリスト誕生の記録もあるが、公の生涯に入ってからの主の教えと業の記録と言ってよい。十字架そして復活で終わる。その続きが使徒言行録である。この二つでキリストの誕生から1世紀半ばまでの教会の様子がわかる。

手紙は、キリストの使徒たちが1世紀の教会や個人に送ったものである。書簡によって様々な問題が取り上げられている。その中でローマの信徒への手紙は、キリスト教の基本的な教理を教えているので、第一に読むことを勧める。

そして黙示録、これは使徒ヨハネが晩年に、世の終末を神によって示されたことの記録である。今の私たちには理解できないことが多い。キリスト教を名乗ってはいるが異端と呼ばれるグループは、この黙示録を多く引用する。難解であるので自分たちに都合のよい解釈ができるからである。私たちは、判らないことを無理に解釈することはない。キリスト者は再び主イエスにお会いするのであるがその時にすべてのことが判る。その時まで、取っておくのも楽しい。

教会は聖書を神の言葉として信じてきたこれは神の言葉を録音機のようにそのまま記したということではない。神が、ご自身のことを含めて、人に教えたいことを著者たちを通して記されたのである。モーセが十戒をはじめとする律法を与えられたように、神から直接言葉を授かる時もある。ルカはその福音書の冒頭に、「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて」と記している。私たちが、伝記や歴史を書くのと同じ方法で書いている。また手紙の多くは、使徒たちが教会や個人の問題を考え、真剣に祈って書いたのである。それが聖書として残ると本人は思っていなかった。しかし、著者たちの背後にあって、神が一切を導いて下さった。それで現在の聖書ができたのである。聖書自身も「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です」(1テモテ3:16)、また「なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(Ⅱペトロ1:21)とある。私たちが「聖書は誤りのない神の言葉である」と告白する時、そのように信じているのである。

(日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.27 1998年8月号より)

発行者注

「モーセとすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり」
イエス・キリストの時代には新約聖書は成立していないので、キリストが「聖書に書いてある」といえば旧約聖書のこと。
旧約聖書は大きく別けて「モーセ五書(律法)」「預言書」「歴史書」「詩歌集」から成り、「モーセと預言者」だけでも旧約聖書全体を指す表現。

「創刊号から旧約聖書を学び始めた。」
富津教会の月報では、1996年6月に月報の創刊から旧約聖書を読む連載が、坂井牧師の退任まで続いた。

【本文中の聖書箇所の表記】

使徒 = 使徒言行録(「使徒行伝」「使徒の働き」とも)

1テモテ = テモテへの第一の手紙

2ペトロ = ペトロの第二の手紙

たとえば「使徒9:18」は、「使徒言行録9章18」


このページの著作権は坂井栄一牧師に、発行者注の内容と誤字等の責は発行者にあります。

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作成:1998年8月
更新:1999年5月5日

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