サムエル記 第8回

menu

第1部・サムエルの時代

ベト・シェメシュの災難(上巻6章19~7章1)

7年ものあいだ敵国ペリシテに奪われていた「主の箱」(契約の箱とも)が、イスラエルの町ベト・シェメシュに送り返されてきました。町の人たちは、大事な家畜をいけにえとしてささげるほどの大喜び。

ところが。聖書は次のように記録しています。

主【ヤハウェ】はベト・シェメシュの人々を打たれた。主【ヤハウェ】の 契約の箱の中をのぞいたからである。

ペリシテの町を襲ったような疫病が、ベト・シェメシュも襲ったのでしょうか。詳しいことは書かれていませんが、明らかに偶然ではないできごとによって、人口5万の町で70人が急死したのです。
ヤハウェ自身が「私の民」と呼ぶイスラエルに契約の箱が帰ってきたとたんに、なぜこのような悲劇が起きたのでしょうか。

ペリシテを災厄が襲ったのは、契約の箱を偶像の足元なんかに従わせたからでした。その災厄が収まったのは、ペリシテ人なりにではあるけれどとにかく丁重に契約の箱を扱ったからです。
名刺というものは、その名刺に名前のある人を指し示すものです。名刺をどう扱っても相手に何の損害も与えませんが、それは自分が相手をどう扱うかを表してしまいます。同じように、契約の箱はただの木箱ですが、それは神ヤハウェを指し示すものでした。箱をどう扱おうと、ヤハウェには何の損害もダメージもありませんが、「箱をどう扱うか」は「神ヤハウェとどのように付き合うか」を表してしまうのです。
ペリシテはそのことを悟ったからこそ、契約の箱を(まるで神自身を扱うかのように)丁重に扱ったわけです。

それに比べると、神ヤハウェとは何代もにわたる長い付き合いであり、箱の意味も知っていたはずのイスラエル人が、いったいなんという扱い方をしたのかと思います。詳しいことが書かれていないので、「箱を運搬するなどの必要上ではないか、あるいはたまたまフタが開いてしまったのではないか」ということも考えられるかもしれませんが、しかし「中をのぞいた」という書かれ方には契約の箱(が示す神ヤハウェ)への敬虔さは感じられません。彼らは浮かれすぎて調子に乗ったのではないかという気がします。とにかくベト・シェメシュの人々にとっては、箱の帰還を喜んでいたのが突然の惨事。彼らは喪に服しましたが、そのこと自体が、なぜこのようなことが起こったのか理解できていなかったと思われます(*1)
彼らはただ[この聖なる神、主【ヤハウェ】の御前に誰が立つことができようか]と悲鳴を上げ、そして[我々のもとから誰のもとへ行っていただこうか]と、まるでペリシテ人のようにこの「神がいることの証し」を厄介払いすることを望み始めたのです。そして、ベト・シェメシュと同じユダ族の地にあるキルヤト・エアリムの町に使者を送って、主の箱を持っていってもらうことにしました。

キルヤト・エアリムの人々は主の箱をかついでいき、とある丘の上の一家を管理人としてそこに安置しました。
のちにダビデが箱を迎えに来るまでの20年間、主の箱はここにあったと記録されています。


士師の時代の終わり(上巻7章2~17)

ベト・シェメシュを襲ったような災難がキルヤト・エアリムには起きなかったようですから、この町の人たちは箱に対して間違いを犯さなかったようです。ですが、その間イスラエルが神の前に正しかったかというと、そうでもありませんでした。
キルヤト・エアリムに主の箱が安置されてから20年が経ったころ、[イスラエルの家はこぞって主【ヤハウェ】を慕い求めていた]と記録されています。そしてこれに預言者サムエルは次のように答えました。

あなたたちが心を尽くして主【ヤハウェ】に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主【ヤハウェ】に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主【ヤハウェ】はあなたた ちをペリシテ人の手から救い出してくださる。

ということは、

という、士師記で何度も何度も繰り返したことをイスラエルはまたやっているわけです。

たった20年で、喉もと過ぎて熱さを忘れてしまったイスラエルでしたが、サムエルの言葉に従ってただちにバアル神やアシュタロト神の像を取り除き、[ただ主にのみ仕え]るようになりました。それを見たサムエルは民をミツパに召集。イスラエルは集まって、一日断食して悔い改めの祈りを捧げ続けました。
サムエルの言葉は全イスラエルに及んだという、サムエルが預言者であることが知れ渡った記録が前にありましたが、神の言葉を伝える預言者としてだけでなく指導者として、イスラエルは彼の言葉に従うようになってきたのです。

ところが、祈る民の前でサムエルがヤハウェにいけにえをささげている最中にペリシテ軍が攻め寄せてきました。
ミツパは、8人目の士師エフタがアンモン人に勝利したときに布陣した地でもあり(*2)、イスラエルの内戦のおりにベニヤミン族と戦うために11部族が集結した地でもありました(*3)。そこにイスラエルが集結しているという情報はペリシテにとって、イスラエルが軍事行動の準備をしていると見えたかもしれません。
しかしイスラエルは反撃どころか、サムエルに[どうか黙っていないでください。主【ヤハウェ】が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主【ヤハウェ】に助けを求めて叫んでください。]と泣きつくことしかできませんでした。

しかし、神に助けを求めることしかできないというのがイスラエルのあるべき姿なのかもしれません。自力だけを頼って動こうとしたときはたいてい失敗してきましたから。
はたして、神の力のみを頼るイスラエルに、ヤハウェは明確に答えました。サムエルが小羊を祭壇にささげると、ヤハウェは雷鳴をとどろかせてペリシテ軍を混乱に陥れたのです。たかが雷によって混乱したペリシテをイスラエルは打ち負かし、追い討ちをかけていきました。

サムエルはこの戦勝を記念して石碑を立て、[今まで、主【ヤハウェ】は我々を助けてくださった]と言ってこの石をエベン・エゼル(助けの石)と名づけました。
実際、こののち[ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主【ヤハウェ】の手はペリシテ人を抑えていた。]と記録されています。
ただ、この一文は「サムエルの在世中は」ではなく「サムエルの時代を通して」となっています。では、サムエル記の記録者はいつまでを「サムエルの時代」と言っているのでしょうか。


おまけ:人の弱さと神の強さ

宗教に頼るのは弱い人間のすることだ、という意見があります。しかし聖書における力関係は
  強い人 > 神 > 弱い人
ではなく
  神 > 強い人 > 弱い人
なのです。

聖書の神ヤハウェは、漫画やアニメに出てくる神のような、人間が退治したり追い払ったりできるような存在として記録されてはいません。むしろ、新約聖書の次の言葉からは、
 神 > 神を頼る弱い人 > 強い人
といったほうがよいかもしれません。

主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。わたしはキリストのために満足しています。…わたしは弱いときにこそ強いからです。
(第2コリント12章9-10より抜粋)


*1 レビ記10章でモーセは、大祭司アロンの息子たちがおきてを破ってヤハウェに打たれた時、この息子たちのために悲しむことを禁じました。

*2 →士師記10~11章

*3 →士師記19~20章

前へ 上へ

#194
作成:2011年8月23日

布忠.com