サムエル記 第6回

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第1部・サムエルの時代

エリ時代の終わり(上巻4章)

4章は[サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。]で始まっていて、年わかいサムエルが神ヤハウェに選ばれた者であることが全イスラエルに認められた様子がうかがえます。
ところが、それでイスラエルは「それぞれ自分の目に正しいと思うこと」を追いかけるのをやめたわけではありませんでした。まるで「サムエルが預言者だということは全イスラエルが認めたが、それはそれとして」という感じで、イスラエルは隣の強国ペリシテに向かって出撃したのです。

しかしこの戦いでイスラエルは打ち負かされ、約4千人が討ち死にしました。

この敗戦は、当然といえば当然でした。
これまでのイスラエルの戦勝は、イスラエルが強かったからでも、ましてイスラエル側に正義や大義名分があったからでもありません。神ヤハウェの命じた戦いおいて、ヤハウェが勝利を与えたにすぎなかったのです。
たとえイスラエルに自衛のためという理由があったとしても、ヤハウェによる戦争でないとき、イスラエル軍にヤハウェがともにいるわけもなく、そして神の介入なき実力勝負ならイスラエルごときがペリシテにかなうはずもなかったのです。

とはいえさすがにこの敗戦は、イスラエルに多少は悟らせるところがあったようです。打ち破られたイスラエル軍が陣営に戻ると、長老たちは[なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。]と嘆いたと記録されています。

ところがイスラエルは、「神意はどこにあるのか」というところを考えることはできませんでした。
もしモーセがここにいたなら、[主があなたたちのうちにおられないのだから、のぼって行ってはいけない。敵に打ち破られてはならない。]と言ったことでしょう。(*1) しかしイスラエルの長老たちは、[主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。]と考えました。

要するに、「契約の箱は、神がともにいるしるしである。だから、契約の箱を陣に持ってくれば、神を自分たちのために働かせることができる」ということ。言い換えれば、自分たちが神に従うのではなく、神を自分たちに従わせようというのです。
まるで、交通安全のお守りさえ持っていればどんな無謀運転しても安全、とでも言うかのようです。仮に(というのは筆者がキリスト教徒だからこういう言い方になるのですが)神社の神様に力があったとしても、そんな心構えの運転者にもご利益を与えるものなのでしょうか。

結果から言ってしまえば、契約の箱があれば戦争に勝てるなどということにはなりませんでした。

シロの町に使者を送って、そこに安置してあった契約の箱を陣営に運び込ませたとき、[イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた。]と記録されています。
その時ペリシテ軍は、契約の箱がイスラエル陣に到着したことを知ると[大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ]と恐れました。ところがその結果、彼らは互いに[ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人(イスラエル人のこと)があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え]と励ましあって奮戦。

エジプトを脅かすこともあったとも言われる実力者ペリシテが、略奪するためではなく自分たちの存亡をかけて必死になったのです。
一方イスラエルはというと「契約の箱がある=神ヤハウェが味方=すでに勝ったも同然」と勝手に思っているだけという状況。
しかし、ランプの持ち主の言うことを何でも聞くジンのように、契約の箱があるというだけでヤハウェを思い通りに動かすことはできませんでした。結果、イスラエル軍は戦死者3万を数え、生き残った兵は陣地を走り抜けて家まで逃げ帰ったほど(*2)。そしてあろうことか「契約の箱」までペリシテに奪われてしまい、箱とともにシロから来ていた祭司ホフニとピネハスも戦闘中に死亡したのです。

ことは重大でした。イスラエルが勝手に契約の箱を運んだだけで、ヤハウェはイスラエルの陣営にはいなかったのですが、イスラエルにとっては、自分たちの神自身が敵の手に落ちたも同然です。
また、祭司エリの二人のドラ息子ホフニとピネハスは、その所業のゆえにすでに神ヤハウェから断罪されていましたが、イスラエルにとってはいまだ祭司でした。
つまりイスラエルにとっては、イスラエルと神の間に立つ祭司と、神自身とが、失われてしまったのです。

戦場からただ一人、その日のうちにシロに走り着いた者がいましたが、[その男が町に知らせをもたらすと、町全体から叫び声があがった。]と記録されています。まさに、聞く者の両耳が鳴るほどのバッドニュース。
サムエルの上司であり、ホフニとピネハスの父である老祭司エリはこのとき98歳。すでに視力を失っていた彼が[この騒々しい声は何だ]と声を上げると、伝令はエリのもとに行って[兵士の多くが戦死しました。あなたの二人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。]と報告。これを聞いたエリはショックのあまり、席からあおむけに落ち、首を折って即死したと記録されています。

このとき臨月だったピネハスの妻は、夫もしゅうとも亡くなり契約の箱も失われたことを聞いた精神的ショックのためか、陣痛に襲われてその場で出産。急だったためか難産だったのか、出産直後に彼女自身も亡くなりました。その死ぬ間際、生まれたのは男児であることを付き添いたちが告げたのですが、平時であれば喜ばしいはずのその声を聞いても、彼女は生まれた子にイカボド(栄光なし)と名づけ、[栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われた]と言い残しています。

こうして、かつてヤハウェが告げていた、エリの家に対する裁きが実現したのでした。(*3)

ところでこの戦いはペリシテにとっては、強大な「イスラエルの神」を相手にすることになったと思い込んだのが思わぬ大勝利をつかんだわけです。これは、ペリシテの神ダゴンはイスラエルの神よりも偉大だということを意味する、はずでした。
ところがペリシテは、イスラエルの神はダゴンなどは及びもつかないということを、イスラエル人の知らないところで思い知らされることになるのです。


おまけ:当時の戦争

4千人という戦死者は、多いのでしょうか少ないのでしょうか。
この時代すでに大規模な戦争が行われたこともあったようですが、イスラエルにとっては、聖書のこれまでの記録からは決して少なくない戦死者といってよいと思います。

こののちペリシテ人は、イスラエルに剣や槍を作らせないために、イスラエルに鍛冶屋が存在することを許しませんでした(*4)。イスラエルが王制になった直後も、王と王子しか剣を持っていなかったと記録されているのですが(*5)、これは戦闘で有利になるための武器というよりも王権の象徴にしかならなかったでしょう。
もっともペリシテ人にしてみれば、鍛冶がいなくてもイスラエルは油断ならなかったでしょうけれど。何しろ少し前の士師記の時代には、士師シャムガルは「牛追いの棒」でペリシテ人600人を打ち殺したし、士師サムソンは「ろばのあご骨」でペリシテ人1,000人を打ち殺していますから。(*6)

のちにバビロンがイスラエルを破ったときは、高官と勇士に加えて[すべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去]ったと記録されています(*7)。これも、武装解除とは鍛冶屋を取り上げること、という時代だったことを伝えているといえます。

いずれにしても、ミサイルや航空機どころか火薬さえない時代の戦争です。
考古学上で有名な同時代の戦争にはもっと大規模なものもありますが、少なくとも(神ヤハウェに従っているときには)勝つのが当たり前だったイスラエルにとって、4千人という戦死者は決して少なくない、むしろ衝撃を与えるほどの大敗北だったでしょう。
まして3万人が斃れたときには、これは壊滅としか言いようのないものだったと思われます。


*1 エジプト脱出後のイスラエルによる、最初のカナン攻略のときのモーセの言葉。民数記14章42。→ 当サイトの民数記第8回を参照。

*2 聖書には、イスラエル兵は[それぞれの天幕に逃げ帰った]と記録されています。この天幕(テント)は、陣営で兵たちが寝泊りしていたものとも考えられますが、聖書では自宅というニュアンスで天幕という言葉が使われる場合が多くあります。

*3 サムエルが少年のおり、ヤハウェの言葉がサムエルに臨み、「息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く」と予告していました。
サムエル記一3章11-14。→前号参照。

*4 サムエル記一13章19[さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。]

*5 サムエル記一13章22[戦いの日にも、サウルとヨナタンの指揮下の兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった。]

*6 士師記3章31[アナトの子シャムガルが現れ、牛追いの棒でペリシテ人六百人を打ち殺した。]
同15章15[彼(サムソン)は、真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、これで(ペリシテ人)千人を打ち殺した。]

*7 列王記二24章14,16。

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#192
作成:2010年11月28日

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