サムエル記 第5回

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第1部・サムエルの時代

コール アンド レスポンス(3章-4章1)

少年サムエルがエリのもとでヤハウェに使えていた頃、歴史家ヨセフスによればサムエルが13歳ほどのときのことです。(*1)
その頃[主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。]とあります。幻というのはヤハウェが預言者などに啓示を示す方法の一つですが、つまりエリのような祭司が「神の箱」のそばでおつとめをしていたにも関わらず、ヤハウェからイスラエルへの語りかけがまれなことになっていたのです。
その理由は聖書には記されていません。士師記の頃からイスラエルがヤハウェを差し置いて「自分の目に正しい」かどうかに基準を置くようになったため、ヤハウェの言葉が聞こえなくなっていったのでしょうか。

そんな時代のある夜、「神の箱」が安置された神殿でサムエルが寝ていたときに[主はサムエルを呼ばれた]のですが、しかし[サムエルはまだ主を知らなかった]とあります。エリのもとで、礼拝をささげる対象としての神を教えられてはいても、ヤハウェを個人的に知りあうということはまだ経験していなかったのです。それでサムエルは、てっきりエリに呼ばれたものだと思って、エリのところに走っていきました。たたき起こされたエリはやさしく「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言うのみです。
ところがこれが3度も繰り返されました。その3度目にエリは「私は呼んでいないし、ほかに呼ぶ者もいないのだから、この少年を神ヤハウェがお呼びになったのだ」と気づき、サムエルに「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい」と教えたのです。

4度目にサムエルを呼ぶ声がしました。このとき[主は来てそこに立たれ]と書かれています。霊の存在である神ヤハウェの顕現を擬人的に表現したものでしょう、とにかくサムエルのそばに神が臨んで呼びかけたのです。
これにサムエルが[どうぞお話しください。しもべは聞いております。]と応えると、声は語り始めました。

預言者サムエル

ヤハウェはサムエルにまず[見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。]と告げました。
「耳が鳴る」というのは聖書では災いの知らせを聞いた者を形容する表現ですが(*2)、この前置きに続いてヤハウェは[その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。]と宣言したのです。
いわく、息子たちが神をけがす行為をしていると知っていながらとがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。エリ家の罪は、どんないけにえや奉納によっても覆われることはない、と。

朝になったときサムエルは、このお告げをエリに伝えるのを恐れたと記録されています。先にヤハウェがエリに宣告していたことを、エリがサムエルに話していたかどうかはわかりませんが、仮に聞いていたとしても、その宣告が実行されるとは恐ろしいことだったでしょう。
サムエルにとってエリは上司であると同時に育ての親ですが、それだけではありません。神につかえる祭司が神に裁かれるなどというのは、サムエルを含むイスラエル人にとって両耳が鳴るほどのバッドニュースなのです。

しかしエリは、サムエルからすべてを聞き出しました。ほとんどサムエルを脅すようにして話させた様子が記録されていますが、エリがそうまでしたことにはいくつかの理由が推測できると思います。
まず、先にエリ自身に告げられていた裁きに関係あるのだろうという予感はあったでしょう。
それが今回はエリではなくサムエルに告げられたのであれば、「ヤハウェはサムエルを選んで預言者とされたのだ」と理解したのではないかと思われます。
サムエルが預言者とされたのであれば、神からの啓示を語るか秘めるかを人間である預言者が判断してよいものではありません。「預言者」と書くと言葉をいちど預かってしまうかのようですが、預かるというよりも、中身がよく流れる管のように神の言葉を通さなければならないのです(*3)。サムエルが恐れている様子だったからこそ、「語るのが恐ろしいからと言って沈黙してはならない」ということをエリは訓練したのではないでしょうか。

サムエルからすべてを聞いたエリは[それを語られたのは主だ]と教えました。[主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれ]な時代に、主みずからお前に語られたのだ、と。

その後、サムエルが成長していっても、ヤハウェがサムエルとともにあり、ヤハウェがサムエルを通して民に告げたことで実現しなかったことは一つもありませんでした。それによってイスラエルの北の端から南の端まですべての人々が、[サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認め]ることになり、[サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ]のです。士師たちが特定の期間にいくつかの部族を率いたのと異なる、新しい時代の始まりでした。


おまけ:幼きサムエル

ジョシュア・レイノルズの作で「The Infant Samuel」という絵があります。今号で紹介した、少年サムエルが神ヤハウェの声を聞いた場面と言われています。
日本では「幼きサムエル」などと呼ばれるこの作品は、複製がポストカードになってキリスト教書店で売られていたり、ポスターになって教会に貼られていたりする、けっこう有名な絵です。


*1 紀元1世紀の歴史家フラフィウス・ヨセフス(37年~100年頃)が著した「ユダヤ古代史」に、「サムエルは預言し始めたとき、すでに十二歳の年を終わっていた」と書かれています。

*2 列王記二21章12およびエレミヤ書19章3。

*3 教会で、牧師がその役目を十分に果たせるようにとの祈りがささげられる時、「牧師を『とおり良き管』としてもちいてください」という表現をする方が筆者の周囲に少なくありません。(牧師と預言者では役割が異なるのですが、預言者を「神から啓示された預言を告げ知らせる者」、牧師を「神からの啓示の書である聖書を説き明かす者」ととらえるなら、役割に似ているところもあると思います。)

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#191
作成:2010年4月26日
更新:2010年5月2日

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