サムエル記 第4回

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第1部・サムエルの時代

母上様、お元気ですか(2章11,18-21)

神ヤハウェを賛美したあと、エルカナとハンナは家に帰り、その息子サムエルは祭司エリのもとにとどまって[亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の御前に仕えていた]と記されています。
エフォドというのは祭服のパーツのひとつ。大祭司などが祭事で身に着けるのは豪華なものでしたが、麻や亜麻布の質素なものが聖書に登場しています(*1)。

両親はサムエルを「神にささげられた者」としましたが、それっきりだったわけではありませんでした。エルカナ家はその後も毎年シロに礼拝に来ましたが、そのたびにハンナは上着をつくってサムエルに届けたとあります。この上着は、エフォドとともに着る貫頭衣か晴れ着だと考えられています(*2)。
あまり体にぴったり着るものではないようですが、それでも子供の成長にも個人差がありますから、年に一度会うだけではサイズが合わなかったりしないでしょうか。聖書には記録されていませんがもしかすると、ハンナは年に一度だけでなくときどきサムエルに会いに来ていたかもしれませんね。

さて、サムエルは母の長い年月の祈りのすえにようやく授かった子だということを、祭司エリは承知していました。それでエルカナとハンナの夫婦を祝福してサムエルの代わりにまた子供を授かるようにと祈ると、その後[主がハンナをかえりみられたので]息子3人と娘2人を授かったと記録されています。


エリの息子たち(2章12-17,22-36)

突然ですが、親が尊敬される職業だからといって子も立派に育つとは限らない、というのはどこにでもある話。
祭司エリには少なくとも二人の息子がいましたが、この二人は[ならず者で、主を知ろうとしなかった]と記録されています。

この二人も祭司でしたが、しかし神への供え物を軽んじていました。
誰かがいけにえの動物を持ってきたのを他の祭司が規定に従って煮ていると、エリの息子たちの下働きがやってきて、祭司のための分以外の部位でも好きなところを持って行ってしまいました。また、焼いてその煙と香りを天にのぼらせるべき脂肪を、焼く前に持って行ってしまったりもしました。

イスラエルの人々にしてみれば、大切な家畜のうちから神のためにとりわけた分を横取りされるのですからたまりません。息子たちの所業は大いに噂になってエリの耳に届きました。しかも息子たちが[幕屋の入り口で仕えている女たちとたびたび床を共にしている]とまで聞こえてきたのです。神への奉納物だけでなく、神に仕える人間まで自分のものにしているわけです。

エリは息子たちを[人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰がとりなしてくれよう]と諭しました。実は人がヤハウェに対して犯した罪をとりなすために祭司がいるわけですが、その祭司自身が罪を犯してはどうしようもありません。(*3)
しかし息子たちは耳を貸しませんでした。そしてついに[主は彼らの命を絶とうとしておられた]という事態になったのです。

あるとき、神の人(天使(*4))がエリのもとに来て、ヤハウェはこう言われると宣告しました。
「わたしは自らをレビ家の先祖(*5)に示し、イスラエル全部族から選んで祭司としたのに、あなたはなぜわたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。」
息子たちの所業は父としてエリも心を痛めるところだったでしょうけれど、それを放置してきたエリ自身の責任を問われているのです。エリという名前は「わたしの神」という意味なのに(*6)、神を大切にすることよりも、息子を大切にする(というより甘やかしですが)ことを選んでしまっていたエリの責任を。
このときエリは非常に年老いていたと記録されています。ある写本では90歳とあるそうですから、息子たちもそれ相応の年齢だったでしょう。その息子たちの所業をエリは長年にわたって放置していたわけです。

天使の宣告はさらに続きます。
「わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしをあなどる者をわたしは軽んずる。あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。」

この「腕」は力の象徴であると同時に「子孫」という意味の言葉と語呂合わせになっています。つまり、エリ家から祭司としての権威も子孫も取り去られるという宣告です。具体的には「あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。その証拠として、二人の息子は同じ日に死ぬ。」というのです。

代わりに[わたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう]と予告されました。その新しい祭司は生涯、神のメシアの前を歩み、しかもエリ家の者は彼にすがることになるというのです。

その新しい祭司とは誰なのか。
それを暗示するように、[一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。]と書かれています。ヤハウェは、天使がエリに告げたことを実行に移すときに、祭司エリに直接ではなくこの少年サムエルを通してエリに示すことになります。


おまけ:神から盗む

エリの息子たちが脂肪を持っていってしまったというのは、脂身が苦手な人にはわかりにくいかもしれません。
筆者などは脂身が大好きですから(おかげでメタボです)、彼らの魂胆がよくわかります。焼いて脂を落としてしまう前に持っていき、自分たちで焼いて一番おいしいところで食べようというのでしょう。(*7)

そのように奉納物を我が物にすることについて、聖書は[この下働きたちの罪は主に対する甚だ大きな罪であった]と言っています。
これについて恥ずかしながら、筆者にも身に覚えがあります。子供の頃、礼拝の中で神に献金する用にと、教会に行くときに親から100円玉を渡され、でも実際にはそれをポケットにいれて替わりに小遣いから10円玉を献金する、ということをしていたのです。
もちろん、バレたときに親からえらく叱られました。筆者にとってそれは両親をごまかしただけのつもりでしたが(それもよくないですけど)、今にして思うとこれは実質的に「神のための分」から上前をはねることでした。つまり、両親をごまかすと同時に神から盗んでいたわけです。


*1 出エジプト記28章4以下に、色とりどりの糸と宝石でつくるエフォドについて書かれています。サムエル記二6章14以下で、「麻のエフォド」を着て踊ったダビデ王を妻が「恥ずかしげもなく裸に」となじっているので、祭服といってもそれ単独では露出が多くなるもののようです。

*2 出エジプト記39章22以下に、祭司がエフォドとともに身に着ける一枚布の上着について書かれています。祭司以外でも上着は高い身分や指導者の衣装として書かれていることが多く(サムエル二13章18、歴代誌一15章27、エステル記8章15?、イザヤ3章6?)、庶民の上着も少なくとも質草になる価値はあるものでした(出22章25)。

*3 後の時代になるとキリストが[人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される]と宣言しています。ただしこれには[しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず]と重要なただし書きがあります(マルコ福音書3章28-29)。

*4 「神の人」は人間を指す場合と天使を指す場合があります。モーセや預言者たち、ダビデ王、後の時代には宣教者(テモテ)も「神の人」と呼ばれ、サムエル自身もそう呼ばれることになります。一方、サムエルの母のところに現れた天使(士師記13章)も「神の人」と呼ばれました。いずれにしても、人々とヤハウェの間に立つ者ということです。

*5 初代の大祭司でありモーセの兄であるアロンのこと。

*6 エリという名は「エル(神を意味するエロヒームの短縮形)+イ(私の)」で、「私の神」という意味。

*7 奉納物の中から祭司が取って食べること自体はレビ記8章31などに規定されています。それは祭司の取り分として許されていることで、このゆえにレビ族は他の部族のように土地を分配されるのではなくヤハウェ(に仕えること)を嗣業としていたわけですが、許されているという消極的な意味だけでなく、民を代表して祭司がヤハウェと食事をともにすることを象徴するものでもありました。

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#190
作成:2009年11月30日

布忠.com