サムエル記 第2回

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第1部・サムエルの時代

サムエルの登場(サムエル記一1章)

モーセなみの重要人物

多くの詩が収録されている詩編(*1)の第99編で、ある詩人が次のように歌っています。

主の祭司からはモーセとアロンが
御名を呼ぶ者からはサムエルが、
主を呼ぶと
主は彼らに答えられた。

モーセはヤハウェの言葉をイスラエルに伝え、その兄で初代大祭司のアロンはイスラエルを代表してヤハウェに仕えました。
この、ヤハウェとイスラエルの間に立っていた二人と、サムエルは名前を並べられているわけです。

またエレミヤ記(*2)の15章1では、ヤハウェが[たとえモーセとサムエルがとりなそうとしても]と言っています。
モーセは、イスラエルの度重なる背信のゆえにこれをヤハウェが裁こうとしたときに、壮烈な覚悟でとりなしました(*3)。そのモーセと、サムエルは名前を並べられているわけです。

詩編ではイスラエル(人間)の側から、ヤハウェ(神)との関係において重要人物とされ、エレミヤ記ではヤハウェの側から、イスラエルとの関係において重要人物とされている、サムエルという人物。
いったいどんな人だったのでしょうか。


誕生

エフライム族のある氏族にエルカナという男がいた、という記録からサムエル記は始まっています。エルカナという名前は「神が所有した」または「神が創造した」という意味です。彼は毎年、当時の宗教的中心地だったシロ(*4)に行って[万軍の主【ヤハウェ】を礼拝し、いけにえをささげていた]とかかれています。
士師記に[それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた](*5)と記録されている時代の中で、エルカナはその名前にふさわしく、神の目に正しいかを基準とする(たぶん数少ない)人でした。

このエルカナには、ハンナとペニナという二人の妻がいましたが、何人もの息子と娘を産んだペニナは[彼女(ハンナ)を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。]と書かれています。
同じような話が創世記16章にありました。アブラハムの妻サラは子ができなかったため、当時の習慣によって自分が所有する女奴隷ハガルにアブラハムの子を生ませようとしましたが、ハガルは身ごもったとたんに[女主人を軽んじた]のです。(*6)しかしその話と比べても、[(ハンナを)敵と見るペニナ]というのはずいぶん強い表現に感じます。

[彼(エルカナ)はハンナを愛していた]し、ハンナに[このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか]と言っていて、まるで「ペニナには、多くの子供がいる。あなたには、わたしがいる」というかのようです。でもこれは逆にペニナにしてみれば「自分のほうが子供を生んでいるという実績があるのに」とさらにハンナを敵視することになったのではないでしょうか。
サラとハガルの話よりも、ヤコブの妻レアとラケルのあからさまな競争関係に近いかもしれません。(*7)

そんなハンナ、ある年も一族でシロに礼拝に行ったとき、[ハンナは悩み嘆いて主【ヤハウェ】に祈り、激しく泣いた]と記録されています。そして彼女は、ひとつの請願を立てました。

万軍の主【ヤハウェ】よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主【ヤハウェ】におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。

もし男児が与えられたら、士師記に出てきたサムソンのようにナジル人にします(*8)、という祈りです。
私たちの感覚なら「もし男児が生まれたら、その時は授かりものとして大切に育てます」というのが自然ではと思うのですが、ハンナは「もし男児が生まれたら、手放して神のものとします」と言っているわけです。
筆者などは性格がよくないのか、「子を産めない女という不名誉を雪【そそ】ぐことさえできればいい、ということか」とも取れるかと思ったのですが、しかしこれは神との関係がリアルな人、文化、社会における神に対する誓いですから、やはり素直に「それほどまでに子を授かりたいという必死の祈り」と読むべきなのでしょう。

そのようにハンナが必死の祈りをヤハウェの前にそそぎだしていたとき、エリという祭司が神殿にいました。このエリが見ていると、ハンナがあまりにも長いこと祈っていて、しかもよく見ると口は動いているのに声が出ていなかったというので、エリはハンナに次のように声をかけたと記録されています。

いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。

ひどすぎますね。

筆者がはじめてここを読んだときは、ほんとに呆気にとられました。
神の前に嘆き訴えている人に向かって「この酔っ払いめ」だなんて、聖職者の言うことでしょうか。

ここで無理にでも祭司エリの擁護を試みるなら、もしかしたらハンナは、たぶん見苦しいほどの祈り方だったかもしれません。つまり、秩序だっていて静粛で厳粛な礼拝所にとっては、KYなタイプと思ったかもしれません。
また、誰もが「自分の目に正しいこと」を行っていた時代ですから、礼拝者といえども形式だけだったり、形式以前に酔っ払って神殿に入ってくるやからが実際に珍しくなかったとも考えられます。
また、祈るときには黙祷ではなく声に出して祈るのが普通だったということなのでしょう。
そうでもなければ、いくらなんでもこんな言い方は思いもしないのではないかと。現にハンナも、自分がなぜ祭司からそのようなことを言われたのか、すぐにわかった様子です。

つまりエリは、彼が考える神殿のあり方というものについて、彼なりに職務に忠実だっただけかもしれません。
だとしても、これはひどすぎます。筆者が教会で真摯に祈っているときに牧師さんからこんな言い方をされたら、その教会には、いえ、教会というところには二度と行きたくないと思うでしょう。
幸いというべきか、ハンナはそのまま立ち去りはしないで、[今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。]と説明しました。

それに対してエリは[安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように]と答えました。勘違いを取り繕っているようにも見えますが、もしそうなら、そのあとハンナが[彼女の表情はもはや前のようではなかった]と書かれるようなことはなかったでしょう。
そしてエリの言葉どおり、イスラエルの神であるヤハウェはハンナの願いをかなえ、やがて彼女は男児を授かったのです。

エルカナ家は毎年シロに来ていましたから、ハンナも毎年子宝を授かるようにと祈っていたはずです。それでもこれまでは祈りは聞かれていませんでした。
ハンナが請願を立て、神に仕える祭司が「乞い願うとおりになるように」と言ったときに、はじめてハンナの祈りはかなえられたのです。

男児を産んだハンナは、その名をサムエルと名付けました。そして乳離れ(*9)するのを待ってその子をシロの神殿にともない、エリに会ってこう言ったのです。

祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主【ヤハウェ】に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主【ヤハウェ】はわたしが願ったことをかなえてくださいました。
わたしは、この子を主【ヤハウェ】にゆだねます。この子は生涯、主【ヤハウェ】にゆだねられた者です。

「あなたは生きている」というのは、誓いを口にするときの決まり文句です。神の恵みによって、あのときの誓いを私が実現するときがきた、という喜びと誇りに満ちた言葉です。
このあと[彼らはそこで主【ヤハウェ】を礼拝した]とあります。ハンナはもちろんですが祭司にとっても、これは神を礼拝せずにはいられないできごとだったのです。
このときのものと思われるハンナの祈りの言葉が2章に記されていますが、それはまた次回に。


おまけ1:万軍の主

エルカナについて「万軍【ばんぐん】の主を礼拝し」と紹介されています。「万軍の主」は新共同訳聖書では248回(*10)出てくる表現ですが、この箇所ではじめて出てくるものです。

「万軍の主」というと、大軍を率いる主君という印象になるかもしれませんが、主君という意味のアドナイではなく、固有名のヤハウェ(ヤーウェ)です。「万軍の主」というのは「万軍の神、ヤハウェ(ヤーウェ)」を縮めたもの。
この頃に神の称号として使われるようになった「万軍の神」を冠して、「万軍のヤハウェ」という呼び方をするようになりました。「万軍の神、主」「万軍の神である主」などのバリエーションもあります。文語訳という(ヤハウェの読み方がエホバであると考えられていた頃の)邦訳聖書では「万軍のエホバ」と書いています。

「万軍の神」という称号の由来はよくわかっていないようです。
「雷神」ゼウスとか、「縁結びの神」大国主大神なども人が神にささげる称号といえますが、「万軍の神」ヤハウェこそが私たちの神だ、という思いを込めての呼び方なのではと思います。


おまけ2:サムエルという名

新共同訳では[主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた]と書かれています。このカッコ書きは、「サムエル」とは「その名は神」という意味だ、ということを補足したもので、「主に願って得た子供なので」ということには説明が必要かと思います。というのは、「サムエル」(よりヘブライ語の発音に近いカナ表記を試みるなら「シェムーエール」)という名前は、「シェーム(名)+エル(神)」という構成になっているのですが、「神【エル】に願って」ではなく「主【ヤハウェ】に願って」と説明されているのはなぜかということです。

実は、「私はこの子を願った」はシェイルティーウを訳したもの。つまり、サムエル記の記録者は「ヤハウェにシェイルティーウして得たので、シャムーエールと名付けた」という語呂合わせで命名譚を説明しようとしているのです。

ところで、聖書では子供に名前がつけられる場面では、神ヤハウェが名前を決めた何人かを別とすれば、ほとんどの場合は父か母のどちらかだけが登場して名付けをしています。サムエルも、新共同訳の文章からは母ハンナが名付けたように見えます。
ただ、すべての例を確認してはいませんが次の二つの例からは、名前の決定権は最終的には父にあった(母が命名した場合、父はそれを承認することも変更することもできる)という様子が想像できるのではないかと思います。

アダムとエバの三男の場合。
創世記4章25は[彼女(エバ)は男の子を産み、セトと名付けた。」とあり、そのあと同5章3で[アダムはその子をセトと名付けた。]とあるのは、承認して(?)いる。
ヤコブの末の子の場合。
創世記35章18に[ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニと名付けたが、父はこれをベニヤミンと呼んだ。]とある。

*1 詩編は旧約聖書第19巻。ダビデ王の歌から詠み人知らずのものまで多くの歌の歌詞が編まれています。

*2 エレミヤ記は旧約聖書第24巻。南ユダ王国がバビロニアに征服されようという時代に活動した預言者エレミヤの言葉を記しています。

*3 モーセが自分自身をかけてヤハウェにイスラエルをとりなした話は出エジプト記32章30以下を参照。

*4 のちにエルサレムに神殿が建てられる前は、シロがイスラエルの宗教的中心でした。ヨシュアもここに、可搬式神殿「幕屋」を置いています。士師記21章では、ベニヤミン族をほとんど滅ぼしたイスラエルは、シロの祭りに来ていた娘たちをベニヤミン族の妻にするために捕まえました。

*5 士師記の結びの言葉。サムエル記が伝える時代の中でも、預言者サムエルも王も登場しないうちは、士師記と同じ状態だったと考えられるでしょう。

*6 サラとハガルの確執については、創世記16章

*7 ヤコブはラケルを愛して結婚を望んだが、ラケルの父の策によりレアと先に結婚させられました。結局ヤコブはラケルばかり愛し、レアの苦しみを見たヤハウェはまずレアに多くの子宝を与えました。⇒創世記29章~30章

*8 ナジル人については士師記13章および民数記6章

*9 乳離れした直後と考えると、私たちの感覚からは早すぎるように感じますが、いつ乳離れさせるかというのは、文化により時代によりさまざまです。旧約聖書続編の「マカバイ記二」7章では、ある母親が息子に[わたしはお前を九ヶ月も胎に宿し、三年間乳を含ませ、養い、この年になるまで導き育ててきました]と言っています。
また、[乳離れした後]というのを「直後」と考える必要もないでしょう。

*10 聖書語句検索でヒットした節の数なので、ひとつの節に検索語句が複数回でてきても1としてカウントしています。本誌で「この語句は聖書に○回でてくる」という場合はすべて同じ。
なお、「万軍の主」は新約聖書には2回しか出てこなくて、あとの二百数十回はすべて旧約聖書でイスラエルとの関わりで出てきます。新約の2回も、1つはローマ書9章29で旧約(イザヤ書)を引用している箇所。もう1つはヤコブ書5章2ですが、ヤコブ書自体が[離散している十二部族の人たち]にむけて書かれたものです。

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#188
作成:2009年9月29日

布忠.com