ルツ記 第7回/終

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証人たち(4章9~13)

[親戚の人]が、エリメレクの家に関する義務と権利をボアズに委譲したとき、ボアズは、証人を依頼した長老たちだけでなく[長老とすべての民]に次のように言いました。

あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです。

市民たちはなかば見物人気分だったでしょう。ところがこのボアズの言葉によって突然、市民はただの見物人ではなく、当事者となったのです。
それで市民たちは、長老たちとともにボアズに応えました。

そうです、わたしたちは証人です。あなたが家に迎え入れる婦人を、どうか、主【ヤハウェ】がイスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにしてくださるように。また、あなたがエフラタで富を増し(*1)、ベツレヘムで名をあげられるように。主【ヤハウェ】がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。(*2)

こうしてボアズはルツをめとりました。昨夜の、法的根拠があるとはいえまるで「まず既成事実を」というような展開とはうってかわって、町中の祝福のもとで二人は夫婦となったのです。 そうしてルツは男の子を産んだと記録されています。

ボアズとルツの子孫(4章14~22)

ルツとボアズに男の子が生まれると、町の女たちはナオミにこう言ったと記録されています。

主【ヤハウェ】をたたえよ。主【ヤハウェ】はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。

そして[近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた]のです。

ルツ記の最後は、系図でしめくくられています。
人々のボアズたちへの祝福にも名前が出てきたペレツから始まって、 ヘツロン → ラム(*3) → アミナダブ → ナフション → サルマときてボアズに至り、さらにオベド → エッサイとつながってその子のダビデ王に至る系図です。
この系図をもってルツ記は閉じられ、次の旧約聖書第9巻「サムエル記一」でイスラエルは王政の時代となっていきます。

それにしても、ルツとボアズの子に「近所の婦人たち」が名前をつけたというのは興味深いです。
想像ですがこれは、本名は別にあったけれど近所の婦人たちはこの子をオベドと呼んだ、ということではないでしょうか。ルツが故国を捨ててまでしゅうとめナオミに仕えてイスラエルにやってきたことを記念して、近所の婦人たちはこの子をオベド(仕える者)と呼ぶようになったのではないかと思うのです。

ところが、この子の血筋はまさに「仕える者」となります。オベドの孫として、「ヤハウェのしもべ」ダビデ王が生まれることになるのです。(*4)

さらにそのダビデの子孫として、キリストであるイエスが登場します。
イエスはみずから弟子たちの足を洗って(それは奴隷の仕事でした)、手本を示して互いに「仕える者」となることを教えました。神でありながらみずから「仕えられるためではなく仕えるために」この世に来て、弟子たちに[あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人のしもべになりなさい。]と教えています。(*5)


おまけ:証人について

長老以外の、裁判を見守っていた人たちは、とおりがかったら噂のモアブ娘の行く末について裁判をやっていたものですから、おそらく「ここに来てないやつに話してやろう」と思っていたでしょう。[親戚の人]がボアズに履物を渡した場面などは、現代なら写メを片手に「これはBLOGに書かなきゃ」と思うところです。
なぜ「町の門」が裁判所を兼ねるかといえば、人通りが多く町の中心であるからです。だから、たまたま通りかかった人々も「裁判を見届けよう」という気持ちはあったでしょうけれど、証人としては十人の長老が座っていることだし、自分はなかば野次馬気分というところだったのではと思います。
そこへボアズから「あなたも証人です」と言われた瞬間、人々は見物客ではなく当事者になったのです。

ところで現代のキリスト教式の結婚式では、一般には仲人と呼ばれる役割の人は、証人と呼ばれます。これはキリストが[すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定される](マタイ18章16)と言っているとおり、二人以上の証言によることは真実とされるからです。
(聖書のこの規定はおもに「人を有罪とするには複数の証言が必要」という文脈で表れますが、キリストが二度にわたって弟子たちをイスラエル各地に派遣したときに二人ずつの組にして送り出したのも(*6)、二人による証言が真実とされるという背景があったからと考えられます。)

でも、新郎新婦になる二人は、証人の二人だけでなく参会者すべての前で、神に結婚を誓います。そのとき参会者は「招待された、結婚式の出席者」ではなく、「結婚の誓いの証人としての、結婚式の参加者」なのです。


*1「富を増し」と訳されている言葉「ハイル」は、財産、勇気、社会的地位などを表す言葉です。また、2章1でボアズを「有力者」と形容している箇所は「ハイルの男」、3章11でルツを「立派な婦人」と形容している箇所は「ハイルの女」です。ルツ記の著者は同じ言葉を使うことで「ハイルな二人を、神がもっとハイルにしてくださるように」というふうな表現上の工夫しているわけです。

*2 ラケルはヤコブの第二婦人、レアはその姉でヤコブの第一夫人。この二人と、さらにこの二人がそれぞれ所有していた女奴隷とから生まれた息子たちが、イスラエル12部族の祖となりました。つまりこれは、イスラエル全体のようにボアズとルツとの子孫が栄えるようにという祝福です。
エフラタはベツレヘムの別名で、ルツ記の舞台となっているイスラエルの町。この地でボアズとルツの子孫が栄えるようにという祈りです。ベツレヘムはのちの時代には、ルツとボアズの子孫であるダビデの名をとって「ダビデの町」と呼ばれるようになります。さらにのちには、この町でマリアからイエスが生まれることになります。
「タマルがユダのために産んだペレツの家」のペレツは、ルツ記末の系図にも名前が出てくるとおり、ボアズの先祖です。ルツ記の解説の第1回でも触れましたが、12部族の祖の一人ユダが、死んだ息子エルの代わりにエルの妻タマルとのあいだに息子を得ました。人々は、ボアズのご先祖であると同時に「レビラト婚をした先輩」であるユダとタマルに、ボアズとルツをなぞらえたわけです。

*3 マタイ1章の系図では「アラム」となっています。

*4 詩編38編1や、同36編1には、この詩は「主のしもべの詩。ダビデの詩。」であると書かれています。ここで「主のしもべ」と訳されているヘブライ語は「レ・エベド ヤハウェ」で、このエベドは、オベドと同じ語源です。

*5 フィリピの信徒への手紙(ピリピ書)2章6~8、ヨハネ福音書13章14~15、マルコ福音書10章42~45を参照。

*6 マルコ福音書6章7では12弟子を、ルカ福音書10章1では72人を、二人ずつ派遣しています。

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#186
作成:2009年8月2日

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