士師記 第18回/終

menu

ベニヤミン戦争その3(21章2~24)

ベニヤミン族との内戦に勝利したイスラエルでしたが、しかしこの勝利はこれまでの外部との戦争のときのように、勝利を喜べるものではありませんでした。イスラエルは神の前で声を上げて次のように泣き叫んだと記録されています。

イスラエルの神、主【ヤハウェ】よ。なぜイスラエルにこのようなことが行われ、今日イスラエルから一つの部族が欠けることになったのですか。

「神がいるというなら、なぜ戦争がなくならないのか」と思ったことはないでしょうか。
自然災害の犠牲者については筆者にはわかりませんが、少なくとも戦争の犠牲者については、「神よ、なぜですか」ではなく「人間よ、なぜだ」なのだろうと思うのです。現代の戦争はもちろん、聖書に記されている人間同士の(ヤハウェの裁きとは関係しない)戦い(*1)も同様に人の愚かさに対して「なぜだ」というべきであるし、人の罪ゆえにヤハウェが裁かなければならなくなったことによる戦いも同様なのだろうと思います。(*2)
人の身で神の思いを代弁することが許されるなら、ヤハウェこそ「人間よ、なぜなのだ」と痛み続けているのではないかと思うのです。

それにしても、イスラエルのうちから1部族が欠けることになるというのは衝撃でした。ヤハウェはイスラエルの神であり、イスラエルはヤハウェの民であり、だからヤハウェ手ずからイスラエルをたもたれると思っていたのですから。

しかしこの問題をもイスラエルは、自分たちの目に正しいと見える方法での解決をはかります。それも、またしてもとんでもないやり方で。

ベニヤミン族は全滅したわけではなく、リモンの岩場には600人の男が生き残っています。ただ、イスラエルは[我々はだれも自分の娘をベニヤミンに嫁として与えない]と誓いを立ててしまっていました。
そこでイスラエルは、全イスラエルのうちで唯一この「聖戦」のためにミツパに参集しなかった、ヤベシュの町(*3)を襲うことにしたのです。すなわち、ヤベシュの住民のすべての男と既婚女性を殺し、400人の処女を連れてきたのです。そしてリモンの岩場のベニヤミン族600人と講和し、奪ってきた400人の処女を与えたのです。

これだけでもとんでもない話ですが、まだ200人足りないということで、イスラエルは(分別あるはずの)長老たちが協議し、またとんでもないことを思いつきます。「契約の箱」は普段はシロに置かれていたことを前回書きましたが、それはシロが当時のイスラエルの宗教的中心地だったことを意味します。そこでは毎年「ヤハウェの祭り」(*4)が行われていたと記録されていますが、イスラエルの長老たちはベニヤミン族に、祭りに踊りにやってくるシロの娘を好きに捕まえて連れ帰れと言ったのです。イスラエルは「娘をベニヤミンには与えない」と誓っていましたが、「与えるのではなく奪われるのであれば、誓いを破る罪には問われない」という理屈でしょうか。(*5)
ベニヤミンの男たち(600人のうち、ヤベシュの娘をめとれなかった200人ということになるでしょうか)は、選択の余地なく言われたとおりにしました。[彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ]のです。イスラエル側も一件落着とばかりに、ミツパから自分の地へ帰っていきました。

日本でも祭りとなると舞いや踊りが奉納され、古くは天照大神のためにアメノウズメが舞い踊ったと伝えられますが、世界各地の文化で舞踊と祭礼は古来より関係が深いものだと聞きます。これは聖書も同様で、女預言者ミリアムやダビデ王など賛美しながら踊った記録があり、現代の教会でも映画「天使にラブソングを」のようなノリで躍動をもって賛美するところもあります。(*6)
祭りのために踊りに来たシロの娘たちも同じように、いわば「ヤハウェの例大祭」のために踊りを奉納にきたものなのでしょう。だとすると、たとえるなら教会に礼拝しに来た女性信者たちをかどわかすようなものです。
文化によっては性を豊穣と結びつけて祭りとするものもありますし、自然発生的な宗教や祭りではそのほうが一般的かもしれません。しかしイスラエルでは、神との契約において、性的無秩序はいましめられていました。聖書ではそれは「性の自由」ではなく「性の乱れ」であり、そして同時に異文化(異教の風習)への傾倒であって、つまりはヤハウェから離れて異教の神に傾くことでした。あの「金の牛」事件のときをはじめ、イスラエルは堕落が始まると性的にも乱れています(*7)。

祭りに来た娘たちをそれぞれ勝手に自分のものにするという、異教的ともいえる行動。
「ヤハウェの祭り」をまるで出会い系サイトか何かのようにしか思っていないという、不敬。
それが「ヤハウェの民であるイスラエルから一つの部族も失われないようにするためのナイスアイデア」であるというトンチンカン。
分別を期待されるべき長老たちが協議した結論がそんなものでしかなかったという、最悪ぶり。


「失敗の書」の終わり(21章25)

士師記の最後の一節は結局[そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。]で締めくくられています。
本誌のこの士師記シリーズの第1回で、ヨシュア記を「勝利の書」とするなら士師記は「失敗の書」であると書きましたが、本当に「え?これで終わり?こんな終わり方?」とうい感じです。

ただ、次の旧約聖書第8巻「ルツ記」には、ヤハウェのおきてに忠実だった人たちのハッピーエンドな物語が記録されているのですが、それが士師の時代の初期のできごとと考えられていて、そうだとすると混乱だけの時代ではなかったようです。
準備ができしだいルツ記をお送りします。


*1 たとえば創世記34章にある、ヤコブの子らが妹をけがされたために町ひとつ滅ぼした件など。⇒創世記第44回

*2 イザヤ書9章5には、キリストはその名を「平和の君(君主=王)」ととなえられると書かれています。このキリストが再び来ると、私たち人類は[国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない]ようになるとも予告されています。(イザヤ2章4、ミカ書4章3)
だったらなぜキリストは早く来てくれないのか?
それは、キリストが再び来るときとは、いわゆる「最後の審判」の日だからです。ペトロの手紙二3章9に[一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです]とあるのは、最後の審判の日に「滅び」という判決を受けないように、その前に悔い改められるようにと、キリストはまだ来ないでいてくれるという意味です。
ただ、「ではそれまでの間に戦争で殺されていく無辜の人々は?」「戦争という人間の愚かさによってではなく、天災で人々が死んでいくときの『神よ、なぜ?』という思いはどうしたらいいのか」ということ、また、聖書ではまるで巻き添えのように死んでいく人たちが多く記録されていることについては、今の筆者にはまだわかりません(もしかしたらこういうことでは、というものはあるのですが、WEBで公開できるほどまとまった考えではないので控えさせていただきます)。

*3 ヤベシュはヨルダン川の東にあったギレアド地方の主要都市。なお、ギレアド地方はルベン族、ガド族、マナセの半部族に割り当てられていましたが、この2部族半のうちのどこにヤベシュの町が属していたか(つまりベニヤミン族の嫁とするためにどの氏族の町を襲ったのか)は、聖書からはわかりません。
ベニヤミン戦争後のベニヤミン族とは、リモンの岩場にいたベニヤミン人男性たちと、ヤベシュあるいはシロの女性たちとの子孫ということになります。ヤベシュ・ギレアドはこの件で壊滅したようですが、イスラエルの最初の王サウルの時代には復興されていて、まったくの推測ですがベニヤミン族が(女系としては先祖の地となる)ヤベシュを復興したのかもしれません。復興後のヤベシュがアンモン人に攻められたとき「ベニヤミン族出身であるサウル王」に助けを求めたこと(サムエル記一11章)や、サウル王が壮絶な戦死を遂げたときに、敵がさらした王の遺体をヤベシュの戦士たちが奪還して埋葬したこと(サムエル記二31章11~)も、ヤベシュ・ギレアドの再建とベニヤミンの関係を想像したくなる記事です。

*4 新共同訳で「主の祭り」、文語訳で「エホバの祭」と呼ばれているこの祭りがどのようなものかは分かりません。神名を冠するほどの祭りですから、「過ぎ越し祭」あるいはそれと同等の重要な例祭だろうと思うのですが、筆者の手元のアンチョコでは明確にしているものはありませんでした。

*5 イスラエルにおいて「誓い」は非常に思い意味を持ちます。士師エフタなどは「戦いから帰還できたら、最初に家から出てきて迎える者を『焼き尽くす奉納物』としてささげる」と誓ってしまったばかりに、愛する娘に手をかけることになってしまいました。⇒士師記第10回
しかし、誓いもかたちだけというか、誓いの言葉に反しなければそれでいいとでも言うかのようですね。後には[神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない]という考え方になります。黄金にかけて誓った誓いを破ったなら黄金で弁済することができますが、弁済しようがないものにかけて誓った誓いは破ってもそもそも無効だというのです。これをイエスは[黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか]と論破しました。(マタイ23章16~22)
キリスト教では原則として離婚を禁じています。そのことにはいろいろな意味があるのですが、離婚が「結婚の誓い」を破ることだというのも大きな理由だと思います。

*6 すべての教会が「天使にラブソングを」のノリというわけではなく、神前に出ることの有難さなどのゆえにおごそかな賛美をする教会もあります。ただこれはスタイルの違いであって「どちらがより正しい」「どちらがより礼拝にふさわしい」というものではありません。
なお、ミリアムの賛美については出エジプト15章20~に、ダビデの踊りについてはサムエル記二6章14~に記録されています。

*7 モーセとヤハウェが山上で会談している間に、イスラエルは金の雄牛の鋳像をつくり、これを神として生け贄をささげ、その周りで「たわむれた」と記録されています(出エジプト記32章6)。申命記23章18では神殿娼婦と神殿男娼とが禁じられていますが、禁じていること自体、警戒する必要があったことを表します。懸念どおり、列王記にはイスラエルに神殿男娼がいたことが記されています。
なお、シロでの祭りそのものが、略奪結婚を思いつかせるような風紀の中で行われていた可能性も考えられます。だとしても、分別を期待されるべき長老たちがそうした空気を許し、あまつさえそれを利用してベニヤミン族に略奪結婚をさせるということ自体が、「それぞれ自分の目に正しい」を基準としていた時代であることを証言するものです。

前へ 上へ

#179
作成:2009年3月9日

布忠.com