士師記 第17回

menu

ベニヤミン戦争その2(20章15~21章1)

ミツパに集まったイスラエル(ベニヤミン族を除く。以下同じ)の兵力は40万人。ベニヤミン族は2万6千人が、ギブアの兵700人に合流。
ただ、イスラエル40万人全軍がベニヤミン26,700人に向かっていったのではありませんでした。「これは正義の戦いだから、一部族で十分」とばかりに、ヤハウェに「どの部族がまず行くべきか」とお伺いを立て、「ユダが最初だ」との指示を受けます。(*1)
ところが、戦闘の初日にイスラエルはベニヤミン族に打ち破られ、2万2千人が斃れたと記録されています。ベニヤミン側の中でもギブアの700人は全員が選りすぐりの左利き(*2)で、髪の毛一筋をねらって石を投げてもはずさない精鋭だったと記録されています。ボクシングではサウスポーが有利だと聞きますが、剣での戦闘でもそうなのでしょうか。

正義の戦いと信じていた、しかもヤハウェの指示に従って戦ったのに、かつてないほどの大敗北。イスラエルは[奮起し、…態勢を立て直した]とも記録されていますが、しかし衝撃は大きく[主【ヤハウェ】の御前【みまえ】に上って、夕方まで泣き続け]たと記録されています。そして[兄弟ベニヤミンと、再び戦いを交えねばなりませんか。]とヤハウェに尋ねました。
聖戦の勢いがうそのように「兄弟ベニヤミン」と呼んでいるのは、戦意を失いかけているのでしょう。しかしヤハウェが[彼らに向かって攻め上れ]と答えたので、彼らは二日目も出陣しました。前回書きましたがギブアは丘の上の町ですから、文字通り「攻め上った」わけです。が、またしても返り討ちにあい、今度は1万8千人が斃れました。(*3)

ミツパに集まっていたイスラエル人は全軍とともにベテルに移動し、[主【ヤハウェ】の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主【ヤハウェ】の御前にささげ]ました。そして[兄弟ベニヤミンとの戦いに、再び繰り返して出陣すべきでしょうか。それとも控えるべきでしょうか。]と、いかにも「控えよ」との答えを期待するかのようにヤハウェに問いました。
するとヤハウェは[攻め上れ。]と答えるだけでなく、[明日、わたしは彼らをあなたの手に渡す。]と、二日目まではなかった勝利の明確な約束を与えたのです。
でもなぜ、やっと3度目にだったのでしょうか。

実は、これまではイスラエル側の準備が整っていなかったのです。

この3度目に彼らは、ベテルでヤハウェの前に出ました。ベテルとは「神の家」の意味で、父祖ヤコブがヤハウェを礼拝した記念の地です(*4)。
そして、普段はシロにある幕屋の中に安置されている「神の契約の箱」(*5)が、この時はベテルに運ばれてありました。
さらにここには、初代大祭司アロンの直系であるピネハス(*6)がいました。
先祖がヤハウェを礼拝した場所で、ヤハウェが自分たちとともにいる象徴である「契約の箱」のかたわらで、大祭司直系の祭司によって犠牲をささげたのです。

前の2回の神託のときは、イスラエルは、契約の箱と大祭司がいるベテルを離れ、自分たちがいるミツパにいわばヤハウェを呼びつけていました。と言ってもヤハウェは契約の箱の地縛霊ではありませんから(*7)、ミツパでもイスラエルに答えたし、呼びつけられたことで気を悪くしたとも書かれていません。ただ、イスラエルは、士師もいない時期に契約の箱も大祭司もお構いなしで「この戦いは我らに正義がある。我々がベニヤミンを裁くのだ」という勢いだったとは言えるでしょう。
イスラエルは4万の犠牲を払ってやっと「ベニヤミン族を裁くのは我々ではなくヤハウェで、我々はただそのために用いられるだけだ」というところにたどりついた、それでヤハウェは「わたしがベニヤミンを裁いてイスラエルに渡す」と言った、そういう記録なのではないかと思います。

三日目、イスラエルは今度は「一部族で十分」などという傲慢は捨て、伏兵を配置し、大部隊を野に待機させた上で、精鋭一万が先発しました。そしてこの日、[主【ヤハウェ】はイスラエルの目の前でベニヤミンを撃たれ]ました。

先発隊とベニヤミンとのあいだに激戦が繰り広げられ、しかしイスラエルは伏兵を信頼して退却戦に移ります。ベニヤミンはイスラエルを追撃し、30人を倒したところたところで「[「初戦と同様、敵を打ち負かした」と思った]のですが、野にいたイスラエル本体が持ち場から立ち上がって合流し、さらに伏兵がギブアに突入。
ベニヤミンが振り返ると[雲の柱のようなのろし](*8)が町から上がり、そしてギブアの町全体が火に包まれたのです。伏兵は仕事を終えると町をでてきて、本体とのあいだでベニヤミンを挟み撃ちにしました。この日にベニヤミンは、2万6700人のうち2万5000人が戦死したと記録されています。(*9)
イスラエルはさらに、ベニヤミン族の他の町も討ちました。民数記26章の人口調査の時点ではベニヤミンは4万5600人の兵力を持っていましたから、その後に増減があったとしても全軍がギブアにきたわけではなかったようですが、しかしイスラエルは[町の男たちから家畜まで、見つけしだい、残らず彼らを剣で撃ち、どの町にも見つけしだい火を放った]のです。
ベニヤミン族は、リモンの岩場(*10)と呼ばれるところに逃げた男600人だけが生き残りましたが、イスラエルは[我々はだれも自分の娘をベニヤミンに嫁として与えないことにする]と誓いを立てました。

こうして内戦は終結しました。しかしまだ混乱の記録は続きます。


*1 なぜユダなのか、聖書には記されていません。ただ、ユダはヤコブの12人の息子のうち四男ですが、ヤコブの遺言で「王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。」と預言され、ダビデ王やソロモン王、そしてキリストであるイエスもこの部族から現れることになります。 参考:創世記29章31~35同49章10マタイ福音書1章1,2,6,16

*2 第二の士師エフドも、ギブア出身かはわかりませんがベニヤミン族の出で、左利きでした。⇒士師記第4回

*3 二日目にどの部族が戦ったかは記録されていません。

*4 ⇒創世記第36回

*5 エルサレムに神殿が建てられる前は、契約の箱は幕屋に置かれていました。その幕屋は、ヨシュア記19章51とサムエル記一4章4でシロにあったと記録されていますから、士師記の時代も普段はシロにあったのでしょう。

*6 ピネハスは、モーセの兄アロンの孫ですから、高齢になっていたと思われます。以前に、果断な対応によってイスラエルを罪とヤハウェの裁きから救い、ヤハウェから非常な顕彰をされた人物です。⇒民数記25章

*7 のちにパウロは、アテネ人に[神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。]と紹介しました。(使徒言行録17章24)

*8 「雲の柱」という表現は新共同訳では13回出てきますが、この箇所以外はすべて、ヤハウェの臨在(その場所に臨んで在る)の象徴です。おそらくそれを意識した表現でしょう。

*9 戦闘の記録は、20章30から36の前半までが戦闘の概要、36の後半から48までが概括となっているようです。ベニヤミンの戦死者数も20章35に「二万五千百人」、同46に「二万五千人」と食い違いが見られますが、いずれもキリがよすぎるので端数を丸めた数字と考えられます。「二万五千百人」は大雑把に数えた結果で、そのあと3箇所の戦場の戦死者数(20章44,45)を集計して「二万五千人」という結果が出た、というところでしょうか。

*10 ベニヤミン族で生き残ったのは「リモンの岩場」に逃れた兵600人だけでしたから、従軍できない高齢男性や女性や子供も含めて[残らず剣で撃」たれたようです。[男から家畜まで]とあるのは[戦争に出られる男から、女性や子供、果ては動物にいたるまで」という意味なのでしょう。なお、「リモンの岩場」には600人が4ヶ月もとどまったと記録されていますから、守りやすく攻めにくいところだったと思われます(洞窟ではという説もあり。)。
ちなみにリモンとは果物のざくろですから、漢字で書くと「石榴の岩場」という冗談のような地名です。

前へ 上へ 次へ

#178
作成:2009年2月23日

布忠.com