士師記 第16回

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ベニヤミン戦争その1(19章~20章14)


士師記後半を読んだ人は、「聖書にこんなことが書いてあるなんて!?」と驚くと思います。前号のダン族の話もそうですが、今回からお届けするベニヤミン族の話は、目をそむけたくなるということでは前号の話以上です。

山地の奥にレビ人が滞在していたという記録から始まります。このレビ人には一人の側女がいたのですが、何らかの話のもつれで実家に帰ってしまいます。
四ヶ月が過ぎてからようやく、レビ人は従者とともに、彼女を連れ戻しに向かいました。幸いといっていいのか、先方の父親には歓迎され、引き止められるうちに五日目の朝を迎えます。この日も引き止められたのですが、夕方になってからやっと出発。

日差しが厳しい中東では日中は移動を避けて少しでも涼しい時間を選ぶそうです(*1)。しかし当時のイスラエルはまだ「約束の地」の全土を掌握していたわけではなく、敵民族と隣り合わせの時代。暗くなってからの移動は安全とは言いがたい。案の定、このレビ人と従者それに側女の3人は、その頃は[異国人の町]だったエルサレム(*2)に近づいたところで宿を探すはめになり、しかしそこに宿を取るのは避けて、エルサレムの北6kmにあるギブアに近づいたところで日没となりました。
「暮れなずむ街の、光と影の中」という歌がありましたが、空気の乾燥が関係あるのか、あちらでは「暮れなずむ」ということがありません。日が没する時はいきなりトップリと暮れます。しかもギブア(丘)という地名の通りこの町は丘の上にありましたから、さらに北に向かうなら丘の陰に入って真っ暗です。

そこで一行は、ベニヤミン族の町であるギブアの広場に入りました。ところが、一行を泊めてくれるベニヤミン族は一家族もなかったのです。
中東をはじめ遊牧民たちの社会では、客をもてなせるかどうかで器量がはかられるほどだと言い、さかのぼるとアブラハムやロトも客のために尽くしています(*3)。しかし、他人の目ではなく「自分の目に正しいか」だけを考えるようになっていた時代とは、自分の損得だけで動くようになっていた時代なのでしょう。
不幸中の幸い、一人の老人が、彼らを迎えてくれました。この老人もこの町では寄留の身だから、町の人々のようには客に対して冷淡でなかったのでしょう。しかしこれも、本当に幸いと言っていいのかどうか。

冒頭から言葉を濁していますが、結局、側女の父がレビ人をゆっくりさせたことも、この老人が彼らを迎えたことも、裏目に出てしまったのです。

この夜[町のならず者]がこの老翁の家を囲み、戸を叩いて「客の男を出せ、なぐさみものにさせろ」と要求しだしました(*4)。
家の主人である老翁は[処女であるわたしの娘と、あの人の側女がいる。この二人を連れ出すから、辱め、思いどおりにするがよい。だがあの人には非道なふるまいをしてはならない。]と申し出たのですが(この申し出自体も私たちの感覚ではかなり異様です)、町のならず者たちは耳を貸さずあくまで客の男を差し出せと要求。しかしレビ人が側女を外に出すと、連中は彼女を[一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく彼女を放した]のです。

胸の悪くなるような記録ですが、異様な物語はさらに続きます。

(レビ人が)朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、「起きなさい。出かけよう」と言った。しかし、答えはなかった。]彼は彼女をろばに乗せ、自分の郷里に向かって旅立った。

側女が陵辱の限りを尽くされついに命まで奪われていたその間、彼はなんと眠っていたのです。しかも、何事もなかったかのように旅を続けようとしたら彼女が死んでいた、と。

と言っても、このレビ人が側女のことをなんとも思っていなかったわけではありません。少なくとも、実家に帰った彼女を迎えに来るくらいの情はあった彼は、全同胞にギブアの人々の暴虐を訴えました。
その訴え方が、またすごい。[彼は刃物をとって側女をつかみ、その体を十二の部分に切り離し、イスラエルの全土に送りつけた]と記録されています。(*5)
側女が出て行ってから4ヶ月も経ってからやっと腰を上げたことや、彼女の実家を日没が近くなってから飛び出したことなども含め、どうも彼はまともな神経ではなかったのではないかとさえ、筆者には思えます。

切断された遺体をいきなり送りつけられた各部族も驚きました。それぞれが「自分の目に正しいか」だけを基準にしていた時代でしたが、さすがにこの前代未聞のできごとはいったい何事か。
各部族から指導者たちと武装した歩兵40万がミツパ(*6)に集まり、説明を求めたので、くだんのレビ人はことの次第を訴え、協議を求めました。その結果、全部族から兵を選抜してギブアに送り[ベニヤミンがイスラエルの中で行ったすべての非道を制裁しよう]と、これが果されるまでは誰も家に帰らないという誓いとともに、結論が出されたのです。

このミツパからギブアまでは約5km。全部族がそこに集結したことはベニヤミン族にも伝わりました。しかしベニヤミン族は悔い改めたり和解の道を探ったりするどころか、ならずものたちをかばうために部族をあげてギブアに集結し、一戦交える道を選んだのです。


*1 詩編119篇105で次のように詠われているのは、日が傾いてから旅する文化であることを思わせます。

あなた(神)の御言葉は、
わたしの道の光
わたしの歩みを照らす灯。

*2 エルサレムがイスラエル人の町になるのはダビデの時代になってから。この当時はエブス人の土地だった。

*3 創世記18章でアブラハムは、通りかかった旅人(実はヤハウェと天使)を無理やりに引き止めて歓待しました。同19章ではロトが、客(実は天使)を暴徒から守るために、自分の娘を暴徒に差し出そうとまでしました。ロトの場合は「いくらなんでも」とも思いますが、客をもてなすということはそれほど思い意味があったのです。
参考⇒創世記第25回創世記第25回の補足解説創世記第26回

*4 この件の問題点は、保護されるべき者を欲望によってなぐさみものにしようというところにあると筆者は考えます。聖書が同性愛についてどう示しているかというのとは別に、このギブアの記録やソドムの記録は同性愛者に暴行したり差別したりしてよいという理由にはなりません。非難されるべきは欲望に身を任せて相手の尊厳を踏みにじることであるというのは、異性間か同性間かを問わないはずと思います。

*5 「なぜ「12の部分」なのかはわかりません。ベニヤミンを除く11部族に送りそうなものですが、ベニヤミン族にも送りつけたのか、ベニヤミン族を除いた上でレビ族をカウントしているのか。推測ですが、ベニヤミン族を除いてはいても「イスラエル全土」ということを12という数字で表しているのではと思います。

*6 このベニヤミン族の地にあるミツパは、6人目の士師エフタが登場した(ギレアドの)ミツパとは別。ミツパという地名は聖書に数箇所でてきますが、「物見やぐら」の意味ですから、見晴らしのよいところにこの名がつけられることが多かったのかもしれません。日本のあちこちに「富士見」という地名があるようなものでしょうか。なおベニヤミンのミツパは、後に預言者サムエルが全イスラエルを招集してヤハウェを礼拝するなど(サムエル記一7:5~、同10:7)、エルサレムに神殿が建てられる前の時代におけるイスラエルの中心地となっていきます。

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#177
作成:2009年2月5日

布忠.com