士師記 第15回

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ミカ家とダン族の記録(17章~18章)

ミカ家の聖所(17章)

第三部は、エフライム族のミカという男の話から始まります。(預言書「ミカ書」の著者とは別人です。旧約聖書には、数え方によりますが少なくとも8人のミカが登場します)
このミカの母が以前に銀1100シェケルを奪われたという事件があったのですが、息子のミカが「実は私が奪ったのです」と言って、この銀1100シェケルを母に差し出しました。すると母は、息子のために祝福を祈り、さらにその銀はミカのために彫像と鋳造を造るため聖別したものだと答えたのです。

あらすじはどことなく、落語「芝浜」で女房が隠した財布を職人に差し出すくだりを思い出させます(*1)。でも「芝浜」が感動を誘うのに比べると、ミカのはなしはどうも妙なことだらけです。

二人とも文字通り確信犯(*5)です。
聖書は[そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。]と語ります。王がいない代わりに各自が王になって、自分の感覚、自分の良心を善悪の基準としていたのです。
良心を尺度にするのが悪いとはいいませんが、それで必ず望ましい方向へ行くと限りません。イスラエルの民の目には、金の子牛の像をつくって神として礼拝するのが正しいことであり、それを許可するのは大祭司アロンの目に正しいことであり、ある人たちの目には、麻薬に指定されていないクスリを使うのは何の問題もないことであり、現代日本では明白に違法な売春でさえ、お互いが了解してる(それぞれの目には正しい)から誰にも迷惑をかけていないと言い。。。
人の良心というのは、基準として使うには良くも悪くも主観的すぎるのではないでしょうか。

各自がそれぞれで判断すると、カオスは加速していきます。
ミカが住んでいたエフライム山地に、祭司として働く場所を求めての就活中のレビ族が通りかかりました(*6)。ミカが報酬を提示すると、このレビ族の若者はミカの家に住んで彼の神殿の祭司となることを承諾しました。ミカは[(祭司の部族である)レビ人がわたしの祭司になったのだから、今や主【ヤハウェ】がわたしを幸せにしてくださることが分かった]と喜びましたが、しかし報酬に釣られて「就職」したこのレビ人は、あとでもっとよい条件を提示する者が現れるとあっさりそちらに移籍するのです。

神に仕えるレビ人さえ「自分の目に正しいか」を判断基準とする時代になっていました。そして自分の価値観のみを判断基準としていたのは個人レベルにとどまらなかったのです。

ダン族の暴虐(18章)

12部族のひとつダン族が[住み着くための嗣業の地]を求めて移住を開始したことが記録されています。ヨシュアが12部族に土地を分配したときにダン族も割り当てを受けていましたが、それがペリシテに面した土地だったダン族は、おそらくはペリシテ人の圧迫に耐えかねて、部族をあげて北上してきたのです。(だとすると、サムソンの死の際に指導者たちを失ったペリシテ人が早くも復興したころということになりますか)

ダン族が先行させた斥候隊は、ミカの家に一夜の宿を借りました。その時、例の若いレビ人が礼拝する声に気づき、自分たちの道行きについて神託を求めたのです。ヤハウェが割り当てた地を勝手に出てきておいて今さら神託もないだろうという気もしますが、ダン族にとってはこの移住は「自分たちの目には正しいこと」なのです。
レビ人は[安心して行かれるがよい。主【ヤハウェ】は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる]と答えました。が、ここまでの背景を読んでくると、彼がちゃんとヤハウェにおうかがいを立ててから答えたのかも疑いたくなります。事実、彼がダン族の道を安易に肯定したために、彼らはとんでもないことをするのです。

斥候隊はガリラヤ湖の北まで進み、ライシュという地を見つけました。そこの住民は穏やかに安らかな日々を送っていて、権力者というものは存在せず、どこの勢力とも同盟を結んでいなかったと記録されています。非武装中立を訴える人にとっては理想の社会でしょう。この町を見つけた斥候隊は、急いで陣に戻るとそこを征服することを主張しました。

彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわずに出発し、あの土地を手に入れて来るべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな民のところに行けよう。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ。

要するに「豊かな土地があるが、そこの住民が自衛も考えずにいるのは、我々が手に入れるためだ。神もあの土地も、我々が手に入れることを待っているのだ」と言っているわけです。
ダン族はすぐに、600人の武装兵を送り出しました。この一軍はライシュに着く前にミカの家を通りかかると、彫像、エフォド、テラフィム、鋳造を強奪した上に、例のレビ人も[一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか]とスカウト。するとレビ人は「これを快く受け入れ]ダン族に加わりました。
あわてたのはミカで、親族を呼び集めてダン族を追いかけましたが、「あなたたちはわたしの造った神々と祭司を、奪って逃げた」と弾劾すると、ダン族は[そんなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ちつけ、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう。]と脅して追い払ったのです。ミカと母親はこうして、「自分の目に正しい」と思ってしたことの結果を受け取ったのです。

ダン軍がライシュに着いてからのことは次のように記録されています。

その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。その町はシドンから遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者がなかった。

あまりにひどい話ですが、大航海時代以降に多くのキリスト教徒たちが世界を植民地化していったことも思い出させられます。聖書を奉じる者の歴史とは、十戒の「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」を踏みにじってきた歴史でしかないのでしょうか。

こうしてライシュを滅ぼしたダン族は、そこに街を建てて「ダン」と名づけました。そしてそこに[自分たちが拝むために例の(ミカ家から奪った)彫像を立てることにした。]と記録されています。さらに[こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた。]とも記録されているのですが、「神殿がシロにあった間」というのがいつまでを指すのかは謎です(*7)。ダンはこれ以後イスラエルの北限と認識され、イスラエルの版図として北から南までという意味で「ダンからベエル・シェバまで」という表現が使われるようになります。(*8)


編集者より。ダン族の記録をどう読んだらいいのか

2008年9月、読者の方から「聖書は戦いと血と復讐の記録のような気がしていました。どうしてですか?戦いの宗教なのですか?」というメールをいただきました。
聖書が戦いの記録でもあることは事実ですが、イスラエルが神の民として他の部族と戦うときは、罪深い状態になった者たちを滅ぼすものとしてイスラエルが神に用いられたのであって、ノアの時代に洪水が用いられたり、ソドムとゴモラの時に火と硫黄が用いられたり、あるいはイスラエルが堕落したときにアッシリアやバビロンが用いられたりしたのと同じであるという説明をこれまでしてきました。(これはユダヤ教・キリスト教の立場に立たない人にとっては受け入れるのが難しい視点かとも思います。)

それにしてもこのダン族の侵略行為は、現代のキリスト教徒にとっても受け入れがたいものです。
とはいえキリスト教徒の歴史は、残念ながら「聖書は奴隷制を認めている」「聖書は男尊女卑を認めている」と聖書を便利に使ってきた歴史でもあります。ダン族の記録が、大航海時代以来のキリスト教徒に「聖書は侵略を認めている」と言わせなかったと信じたいのですが。(日本の教会で「昭和天皇の戦争責任」ということが言われるのを聞くたびに、即位から敗戦まで約20年の昭和天皇の責任を言う前にキリスト教徒自身の長い侵略主義の歴史を言わなければならないのではと思います。(*9))

ただ、非常に興味深く、かつ注目したいことは、聖書はこのダン族の侵略を決して認めていないということです。この記事を記録した者(ダン族と同じイスラエル人)は、次のように書いています。

(ダン族は自分たちが滅ぼしたライシュの町を)再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった

暴力的に町の名を変えられたが、その町は元来ライシュなのだ、と。ダン族のしたことは認めるわけにいかないのだと。ロシアの旧都サンクトペテルブルグの歴史を思わせるものがあります(ソ連時代にレーニンを記念するレニングラードに改名されましたが、住民はもとの名を記憶し続け、ソ連崩壊後に住民投票でサンクトペテルブルグに戻しました(*10)。)

ダン族についてもうひとつ、興味深い記録を私たちはすでに読んでいます。
初代イスラエルことヤコブは創世記49章で、12部族の祖となる12人の息子たちに遺言しました。その時、ダンに対して

ダンは自分の民を裁く
イスラエルのほかの部族のように。
ダンは、道端の蛇
小道のほとりに潜む蝮。
馬のかかとをかむと
乗り手はあおむけに落ちる。

と預言していますが、その直後に、次の息子への預言を遺言する前に

主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。

と、祈りとも嘆息ともとれる言葉をはさんでいるのです。
士師記18章を読んだ今、これは「父ヤコブが、息子ダンのために救いを求めた」というよりも「イスラエルの父祖ヤコブが、ダン族のために救いを求めた」というものであるように思えてきます。


*1  落語「芝浜」は、ある魚屋が芝(現在の東京都港区)の浜で大金の入った財布を拾ったことに始まる一席。働かなくても食べていけるほどの大金に喜んだ魚屋は、仲間を呼んで大宴会を開きましたが、一眠りしたあと妻に「あの財布はどうした」とたずねると「知らないわよ。夢でも見たんじゃないの?」と言われます。大宴会の費用で苦労した魚屋は心をあらため、酒を断って仕事に打ち込むようになり、やがてひと財産をつくるほどになりました。そんなある年の暮れ、妻が例の財布を差し出し「ためにならないと思って隠しました」とゆるしを求め、魚屋は妻の判断こそ正しかったと認めるという話です。妻が「ここまでがんばったのだし、暮れだから」と久しぶりのお酒をすすめると、職人が「やめておこう、また夢になるといけねぇ」と答えるオチもきいていて、人情ものの中でも名作に数えられるものです。

*2 シェケルはもとは小麦180粒の重さと言われますが、聖書には2種類のシェケルがあって、「聖所のシェケル」が10g、通俗のシェケルが11.5gとされます。1シェケル=11.5gとすると、東京工業製品取引所のサイトによると2008年11月11日付けの銀相場は10gあたり約320円なので、1100シェケルだと404,800円になります。(ただしこれは「銀1100シェケルの現在の市場価格」であって、「それでどれだけのものが買えるか」という価値は時代によって変わります。)

*3 像をつくることは偶像礼拝につながりかねないことから十戒で禁じられていました。ここで彫像と訳されているヘブライ語は十戒で禁じられている偶像と同じ単語(出エジプト記20章4)、また鋳造と訳されているヘブライ語は出エジプト記32章4でアロンが作らせた偶像「鋳物の子牛」の「鋳物」と同じ単語です。ミカの母は鋳造と彫像で子牛を造ったのではないかとも推測できます。

*4 テラフィムがどういうものであるかは未詳ですが、列王記二23:24でヨシヤ王の宗教改革によって一掃されたものの中にテラフィムが含まれ、エゼキエル書21章26やゼカリヤ書10章2では占いに関連してテラフィムが出てくることから、偶像の一種と考えられます。似た語「セラフィム」との混同にご注意。

*5 「確信犯」という日本語は、現在では「悪いことだとわかっていてする」というニュアンスで使われることが多いですが、辞書的には「道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪。」という意味です。(礼拝の像を彫ること一般の話ではなく、聖書の世界観においてミカたちの行動は犯罪的という意味です。)

*6 [ユダのベツレヘムに、ユダ族の一人の若者がいた。彼はレビ人でそこに寄留していた。]と書かれていますが、ユダ族であると同時にレビ人(レビ族)であるというのは、ユダ族の土地にいて祭司のつとめをするレビ人という意味と考えられます。18章の終わりでは[モーセの孫でゲルショムの子であるヨナタン]と書かれています。

*7 例の若いレビ人の家系が[その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。]とも記録されているのですが、これが前733年頃にイスラエルがアッシリア帝国の捕囚となって強制移住させられたことを指すとすると、その前にソロモン王が祭儀を中央集権化した時代もダン族はシロの神殿で祭儀をおこなったことになってしまいます。

*8 士師記20章1をはじめ、旧約聖書に7回「ダンからベエル・シェバまで」という表現が出てきます。ダンには当時の神殿跡の遺跡が今も残り、規模の大きさを伝えています。

*9 ただし、日本の現代の教会は世界に類を見ないと言えるほどの反戦主義で、テレビ朝日の報道番組でもブッシュ大統領の中東侵略を「アメリカの福音主義の教会は支持し、日本の福音主義の教会は非難している」と紹介されたほどです。日本の教会の「戦争協力」が過ちを犯したものだったとしても、「万事が益となるように」(ローマ8章28)することのできる神の働きによって、戦争に反対する教会とされたのではないか、と筆者には思えます。(もちろん「だから教会が戦争協力したことは意味があった」という意味ではありません。神は「ユダの裏切り」をも「キリストの十字架による贖罪」のために用いるほど、人の過ちを益に変えることができるということです。)

*10 サンクトペテルブルグは「聖ペテロ(ペトロ)の街」の意味で、この都を建てた帝政ロシアのピョートル(ペテロ)大帝と、使徒ペトロとを同時に記念する名前。第一次大戦でロシアがドイツと戦争状態になったときには、ドイツ語風の名前をロシア語風にペトログラードと改めましたが、名前の意味は同じでした。

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#176
作成:2008年11月10日
更新:2009年2月5日

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