士師記 第13回

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剛力のサムソン(2)

恋愛結婚、しかし。(13章25~14章18)

サムソンの一家はマハネ・ダン(*1)という地に暮らしていた頃、[主【ヤハウェ】の霊が彼を奮い立たせ始めた]と記録されています。具体的にどうとは書かれていませんが、周囲に「神が特別に彼に働きかけている」と感じさせる何かがあったのでしょう。

その頃サムソンがある女性と結婚したいと言い出したのですが、相手がペリシテ人だったものだから、両親は「一族に女がいないとでも言うのか。割礼もないペリシテ人から妻を迎えようだなんて」(*2)と猛反対です。
しかし聖書は[父母にはこれが主【ヤハウェ】の御計画であり、主【ヤハウェ】がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。](*3)と説明しています。

そこでサムソンは、両親を連れて、そのペリシテ女性が住むティムナ(*4)へ向かいました。実際に本人を見てもらって納得してもらおうと思ったのでしょうか。
その道中、おそらくサムソンが単独行動していたときに、一頭の若い獅子が襲いかかったと記録されています。しかし[主【ヤハウェ】の霊が激しく彼にくだったので]、サムソンは素手で、子ヤギでも裂くように獅子を裂いたのです。しかも父母はこれに気づかなかったとありますから、息も乱さず返り血の一滴も浴びずに。

その後のことは省略されていますが、しばらくしてサムソンが彼女を迎えに行ったと記録されていますから、両親も(渋々かもしれませんが)納得してくれたのでしょう。その帰りに例のライオンの死体を見に行ったところ、そこにミツバチが巣を作っていたと記録されています(*5)。それで彼は蜂蜜を[手でかき集め]て歩きながら食べ、父母にも差し出しました。
ただしサムソンは[その蜜が獅子の死骸からかき集めたものだとは言わなかった]と記録されています。「手で」かきあつめたと書かれていますが、獅子の死体に触ってしまったのが「死体に触れてはならない」というナジル人の誓いを破るものだったので、サムソンは両親に内緒にしたのでしょう。

やがてサムソンとペリシテ娘との婚礼の宴。そこには新婦側として30人のペリシテ人が参列していたと記録されていますが、ここでサムソンは彼らになぞかけをします。七日間の宴会の間に解けたら麻の衣と着替えの衣を全員に贈る、解けなかったら30人全員が私にそれらを贈れ、というのです。30人が応じるとサムソンは「食べる者から食べ物が出た。強いものから甘いものが出た。」という問題をだしました。
「食べる者/強いもの」はサムソンが倒したライオン、「食べ物/甘いもの」はハチミツのことですが、ペリシテ人にわかるわけがありません。そこで彼らは同族である新婦を脅迫してサムソンから答えを引き出させました(*6)。そして七日目の日没直前に(日没で日付が変わりますから期限ギリギリでした)、サムソンに向かって[蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か。]と回答したのです。

サムソンは、妻が答えを教えたということがすぐにわかって[わたしの雌牛で耕さなかったなら(=わたしの妻を使わなかったら)、わたしのなぞは解けなかっただろう。]とくやしがりました。

士師サムソン(14章19~15章)

悔しがったサムソンはどうしたか。[そのとき主の霊が激しく彼に降]ったので、当時ペリシテ人の5大都市のひとつだったアシュケロンに行って30人を殺して衣をはぎとり、なぞかけを解いた30人に与えたと記録されています。
それでも怒りが収まらないままサムソンは実家に帰ってしまいました。それで新婦の父はやむをえず、披露宴に出席していたサムソンの友人に彼女を嫁がせました。しばらくして彼女のもとを訪れたサムソンは、彼女が他人の妻に嫁いだとしって怒り、とんでもないことをします。ジャッカルを300匹もとらえ、二匹ずつ尾をしばってそこに松明を結びつけてペリシテ人の麦畑に送り込んだのです。それは小麦の収穫のころだったと記録されていますが、刈り入れた麦の山だけでなくぶどう畑やオリーブの木まで燃やされてしまったと記録されています。
ペリシテ人たちは「あのティムナ人の婿のサムソンがした。彼が婿の妻を取り上げ、その友に与えたからだ」と知って、しかし直接サムソンに手を出すのを恐れてか、ティムナ人の父娘を焼き殺したのです。するとサムソンはその報復に多数のペリシテ人を殺しました。(*7)

サムソンとペリシテ人の争いがエスカレートしてきていますが、サムソンが乱暴なだけにも思えます。もしかして、彼の乱暴狼藉を正当化するために、いちいち「主の霊が云々」という説明が加えられたのでしょうか。
聖書には[神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く]とも書かれています(*8)。サムソンのしたことが仮に個人的な感情によるものだとしても(どうもそのようにしか読めませんが)、その結果をも益となるようにするのが神なのです。
これはここまで読んできたイスラエルの歴史でも同様でした。たとえばヤコブの12人の息子は、兄が弟を奴隷として売り飛ばすほど不仲でした。しかしこの兄弟喧嘩をもヤハウェは益となるようにし、エジプトに売り飛ばされたヨセフによって一族が命をながらえることになったのです。イスラエル(ユダヤ人)の歴史そのものも同様で、聖書は神にさからい続けた歴史といってもいいほどですが、[彼ら(ユダヤ人)の罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になり][一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われる](*9)というように、益に変えられることが予告されているのです。(この予告は実現しつつあるように、筆者には思えます(*10)。)

話を戻しましょう。
意中の女性が他人のものになって麦畑を焼き払い、彼女が殺されると支配者が相手でもかたきを討つというのは、よく言えば一途ですが程度というものがあります。サムソンの行動は、占領下で日本人がGHQにテロを行ったようなもの。ペリシテ人は軍を展開し、ユダ族に「サムソンを差し出せ」と要求しました。(*11)
ユダ族はサムソンをとらえるのに3千人も派遣しましたが、サムソンは抵抗せずに縛らせました。しかしペリシテの陣営に連れていかれた瞬間、またも[主の霊が激しく彼に降り]、縛っていたロープは火をつけられた糸のようにちぎれ、サムソンはペリシテの陣営に襲い掛かったのです。彼がロバのあご骨をひろって打ち殺した敵は実に千人におよび、この地はレヒ(あご骨)と呼ばれるようになりました。

ロバのあご骨で1000人も殺せたのでしょうか?
戦時中に毎日新聞の記者が書いた「百人斬り競争」の記事によって、戦犯とされ処刑された旧日本軍将校について、(時代劇のチャンバラならともかく実際には)日本刀ではせいぜい数人しか斬れない事実を無視して、戦意高揚のためにつくられた武勇伝、という指摘があります。
サムソンのこの記事も同様かもしれません。
 ろばのあご骨で、ひと山、ふた山
 ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。
というのは原文では語呂合わせが駆使されているので、士師記が口伝で語り継がれていた時代に「語呂がよくキリがよく武勇伝にふさわしい数字」に整えられていったのではないでしょうか。そこまで考えなくても、「たくさん」という意味くらいに思ってよいかと。
とにかくサムソンがペリシテに多大な犠牲をしいたことは間違いありません。[(サムソンは)ペリシテ人の時代に、二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。]と記録されていますが、ペリシテ人に圧迫されていた時代にあって、サムソンがいたためにペリシテ人がイスラエルに手出しできず平和だった20年間という意味でしょう。


おまけ

事実を知らなければ答えようがないナゾナゾというのは、小さい子供がよくしますよね。ティムナ娘の件でも、サムソンの力なら自分で燃やすほうが早いだろうに、わざわざジャッカルを300匹も捕まえて騒動を大きくしているし、彼はどこか「腕白なガキ大将」を思わせるところがあるように思います。それがまた、サムソンが士師の中で人気のある理由かもしれません(ペリシテ人にとってはたまったものではありませんけど)。

若獅子を裂いたサムソンを聖書は「子ヤギでも裂くように」とたとえていますが、たとえとして成立してませんよね。並みの力自慢じゃ、子ヤギを素手で裂くのだって無理ですから。
前号から副題を「剛力のサムソン」としていますが、ここまでくると「超力のサムソン」にしたほうがよかったような気がしてきました。

しかしサムソン、「敵には強いが女にゃ弱い」というのは豪傑を絵に描いたようです。昔「THE家元」というバンドが「マッスル千代の富士」という曲で、天下無敵の相撲もかみさんには弱いと歌っていたのを思い出しました。


*1 マハネ・ダンは「ダン族の陣営」の意味。ユダ族の割り当て地の中にありました。のちにダン族が北部に移住する際、ダン族の兵600人がここで宿営したことから名づけられることになります。→18章12。

*2 申命記7章1~4で、カナンの7部族との結婚が禁じられています。その中にペリシテは含まれていないのですが、父マノアが言いたいのは「ペリシテも、ヤハウェとの契約のしるしとしての割礼は受けていないという意味ではカナン人と同じ、イスラエル人をヤハウェから離れさせる者だ」ということでしょう。

*3 新共同訳が[主がペリシテ人に手がかりを求めておられる]と訳している部分、口語訳では「サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていた」と主語が違っています。筆者の手元のヘブライ語と英語の対訳本によるとここの主語には he が対応されていて、ヤハウェともサムソンともとれる文脈なのですが、仮に著者がサムソンを指して he を使っていたとしてもそれも含めて「主のご計画」によるということで、新共同訳のような訳しかたになったのでしょう。参考までに対訳本では次のような語順になっています。(ダブルクォーテーションの間がそれぞれヘブライ語の1単語に対応)
"that" "from-Yahweh" "this" "for" "he occasion" "seeking" "from-Philistines" "for-at-the-time" "the-that" "Philistines" "ones-ruling" "over-Israel"

*4 ヨシュア記19章でダン族に割り当てられた町の中にティムナも含まれているのですが、この時代には「ペリシテ人の町」になっていたわけです。

*5 腐乱死体や白骨にミツバチが巣をつくるはずがないということで、ライオンはミイラ化していたのだろうという説が提案されています。ある学者は、アラビアのような暑さであれば24時間もあればミイラ化に十分と指摘しています。

*6 客たちは7日目になって新婦を脅迫したと記録されている一方で、新婦は七日間にわたって「私にも答えを教えてくれない」と夫に泣きすがったと記録されています。原文を確認していませんが、サムソンが出題した初日から新婦は夫に尋ね続けていたところに、7日目には客たちの要請もあっていっそうしつこく尋ねた、ということでしょうか。

*7 新共同訳では[(ペリシテ人を)徹底的に打ちのめし]たとありますが、これは多数を殺したという意味。参考までに現代英語訳(TEV)では「He attacked them fiercely and killed many of them.」としています。

*8 ローマの信徒への手紙8章28。ただしこれによってキリスト教徒が神の名においてしてきたことを正当化することはできません。女性蔑視や奴隷制度などの人権侵害、非白人やユダヤ人に対する人種差別、植民地政策や侵略戦争など、挙げたらきりがないし現代も続いていることですが、聖書は「人に過ちがあったとしても、神は災いを転じて福となすことができる」と言っているのであって、「キリスト教徒が何をしても神に支持される」という意味ではありません。

*9 ローマの信徒への手紙11章11および25~26。

*10 イエスがメシア(キリスト)であることを論証したパウロをユダヤ人は拒絶し、その結果キリスト教はローマ帝国(ヨーロッパ)へ、そして新大陸へと伝わりました。現代では、ロシアではソ連崩壊後にロシア正教が復活し、中国ではクリスチャンが人口の10%を超えたとも言われ、アフリカから多数の宣教師がヨーロッパに布教に行くようになり、いまやイスラム圏でもキリスト教徒が増え始めていて、[異邦人全体が救いに達する]時代を迎えているようです。そして今イスラエルでも、旧約聖書の律法を守ったままイエスをメシアと信じる人々が増え始めていて、[全イスラエルが救われる]時代が始まっているように見えます。

*11 ペリシテ人が、サムソンが属するダン族ではなく隣接するユダ族を攻めたのは、やはり直接手を出したくないと思うほどサムソンが強かったのでしょう。

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#174
作成:2008年9月7日

布忠.com