士師記 第9回

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帰ってきたエフタ(3)

晩年(12章1~7)

エフタ率いるギレアド勢が敵を追い払ったあとで、エフライム族がぞろぞろとやってきて、「戦う時になんで俺たちを呼ばなかった!お前を家もろとも焼き払ってやる」とエフタを脅したと記録されています。

この一族は、ギデオンのときにも同じことをしています。(*1)
でも今回は相手が悪かった。勇者とも呼ばれ、トブにいたときは周囲を圧していたほど腕におぼえのあるエフタが、自分の愚かさのゆえに娘を犠牲にしてしまったという最悪の精神状態でいたのです。そんなところへケンカを売って、ギデオンの時のように低姿勢で相手してもらえるわけもありませんでした。
エフタが、エフライム族に何の権利もないことを宣言すると、エフライム族はエフタを侮辱する物言い。結果、エフタが率いるギレアドとエフライム族との間に内戦が発生し、エフライムは打ち破られて4万2千人も倒されてしまいました。

その後エフタは、長老たちが約束したとおりイスラエルを裁く者となりました。士師として6年間をつとめたのち、死んでギレアドに葬られたと記録されています。


韋駄天のイブツァン(12章8~10)

9人目の士師はイブツァン。ベツレヘムの出身と記録されています。

ベツレヘムというと、キリストであるイエスが生まれた馬小屋のある町を思い出される方もあるかと思いますが、ユダ族の地にあったそのベツレヘムとは別に、ゼブルン族の地にもベツレヘムがありました。
この当時はユダ族の町の方を「ユダのベツレヘム」と呼んでいますが(*2)、ここではただの「ベツレヘム」なので、イブツァンはゼブルン族の出身であると考えられます。

名前の意味は「速い」であろうと言われています。他には、治世が7年だったことと、30人の娘を一族以外の者に嫁がせ、30人の息子に一族以外から嫁を迎えたことくらいしか、記録されていません。
一族以外といっても、ヤハウェが12部族それぞれに割り当てた土地が他の部族に移管されてはならないので、「ゼブルン族の中の他の一族」との縁組みでしょう。ともかく周囲に「縁組したい」と思わせるだけの有力者だったのでしょう。


エロン(12章11~12)

10番目の士師は、ゼブルンの人エロン。名前の意味は「テレビンの木」です。

この人はイブツァン以上に謎で、治世が10年ということのほかは埋葬地しか記録がありません。

聖書ではテレビンの木のそばで祭事が行われることが多いのですが(*3)、門前町のようなところこの出身だったのでしょうか。あるいは、まったくの想像ですが、祭司ではないとしても(祭司になれるのはレビ族だけ)日本でいう寺男のような人物だったのかもしれません。


アブドン(12章13~15)

11番目の士師はピルアトン人のアブドン。治世は8年。埋葬地は[アマレク人の山、エフライムの地にあるピルアトン]と記録されているとおり、エフライム族の代表です。(*4)

ピルアトンという名前自体が「丘の頂上」の意味ですが、なぜそこが「アマレク人の山」と呼ばれているのかはわかりません。アマレク人との激戦を記念して敵の名を冠する丘があったのでしょうか。
アブドンという名は「礼拝の場所」の意味なので、「ピルアトンのアブドン」というと「丘の上の教会」という感じですね。会堂司のような立場だったのかもしれません。

この人も子だくさんで、さらに70頭のロバを有していたことが特記されていますから、裕福な家の出身だったのでしょう。

当サイトで士師を紹介するにあたって「左利きのエフド」などのコピーを考えようとしましたが、トラとヤイルもそうでしたが、イブツァン、エロン、アブドンあたりも目立った業績は記録されておらず、あだ名のつけようがありません。
次号から紹介する12人目の士師サムソンはまた大活劇となりますが。

でも、後世から「この時代は何もなかった」といわれるくらいの方が、その時代にリアルに生きていた人々にとっては、平和でいい時代だったのではないでしょうか。「ヤハウェにそむいたせいで苦しい時代があって、でもヤハウェは士師を送って救ってくれた」という記録のほうが後世にとっては歴史の教訓となりますけど、
日本にたとえるなら、未来のためにも振り返るべきことの多い昭和時代に比べて、大正時代は平和だったように。(*5)

対外戦争で活躍した士師たちの記録は勇ましく、後世の私たちが読み物として読むにはおもしろいです。でもその時代にリアルに生きていた民にとっては、目立った記録がなく読んでもおもしろみに欠ける士師たちの時代こそ平穏無事な時代であり、しかも「イスラエルがヤハウェを裏切る→ヤハウェがイスラエルをこらしめるために外国軍を侵入させる」ということがなかった時代ということですから、宗教面でも倫理道徳の面でも安定していた時代、ヤハウェとイスラエルとにとって幸福な時代だったわけです。

この平成の時代が、将来の日本の子供たちが現代史を学ぶ際に「この頃って、何もなかったんだな。まるで大正時代みたい」(教会の子供たちからは「士師エロンの時代みたい」)と言われるようであってほしいと思います。


*1 士師記8章1~ →士師記第7回を参照。

*2 「エフラタ、すなわちベツレヘム」はヨシュア記15章59でユダ族に割り当てられ、「ベツレヘム」はヨシュア記19章15でゼブルン族に割り当てられています。たぶんゼブルンの方が名前としては古く、それと区別するために、士師記と同じ時代のことを記録しているルツ記などで「ユダのベ ツレヘム」と呼んでいるのだと思います。
現在では、ユダのベツレヘムは「キリスト降誕の地」として記念され、聖誕教会という大きな教会が建てられていますが(2002年にテロリストが立てこもった所です)、ゼブルンのベツレヘムはシナゴク跡があるだけだそうです。

*3 ヨシュア記24章26には、聖所にテレビンの木があったと記録されています。
天使がギデオンを士師に任じたのもテレビンの木の下(士師記6章11)でした。
ギデオンの子アビメレクが王を僭称したのもテレビンの木のかたわらでした(同9章6)。
情景としては、神社の御神木に近いものがあるように思います。(ただし、テレビンの木自体が神聖視されていたとか、ヤハウェがこの木に降りたという記録はありません。)
関西学院のサイトで、テレビンの木が紹介されています。http://www.kwansei.ac.jp/Contents_5456_0_209_0_13.html

*4 歴代誌下27章14にも[エフライムの子らの一人ピルアトン人]という記述があり、「エフライム族のピルアトン家」であることがわかります。

*5 戦争の時代だった明治・昭和に比べると、大正時代というのは、米騒動、原首相暗殺、普通選挙法など「歴史上のできごと」として勉強することはあっても、「教訓として汲むべきこと」として学ぶことが少ないように思います。それが、激動の時代だった昭和に思いをいたす日として「昭和の日」が制定された一方で、大正は組むべき普通選挙法の成立や婦人参政権運動の盛り上がりなどやはり大正時代といえば大正デモクラシーが注目されるのではないでしょうか。

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#172
作成:2008年7月21日
更新:2013年10月5日

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