士師記 第10回
帰ってきたエフタ(2)
イスラエルの正当性(11章12〜11章28)
イスラエルのリーダーとなったエフタが最初にしたことは、アンモン軍に大義名分を質すことでした。
これにアンモンの王は[イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノンからヤボク、ヨルダンまでのわが国土を奪ったからだ。今、それを平和に返還せよ。]と答えましたが、それが歴史の歪曲であることをエフタは突いていきます。
まず、エジプトを出てきたイスラエルは、近道であるアンモンの地を避けています。アンモンとモアブは、アブラハムの甥ロトの子孫なので、ヤハウェが手出しを禁じたのです。(*1)
さらに、ヤコブの兄エサウの子孫であるエドム人の土地も迂回。この迂回のためにイスラエルは(非があるのは彼ら自身ですが)ヤハウェに不平不満を言って、それでこらしめられることになったのです。(*2)
イスラエルは迂回して迂回して、アンモンの王がいうアルノンではなくその東側に宿営しました。その際も、モアブの国境を侵犯することがないように注意がはらわれています。(*3)
その後のカナンの他部族とイスラエルとの戦いに、アンモン人やモアブ人が絡むことはありましたが、それを踏まえてエフタは「あなたはあなたの神ケモシュが得させた地を、わたしたちは、わたしたちの神ヤハウェが得させた地を得たのではないか。すでにイスラエルは300年(*4)もこの地を実効支配しているのに、領土権を主張するならなぜイスラエルが入ってきたときにやらなかったのか」とたたみかけました。
民族同士の戦いは、それぞれの民族の神同士の戦いと考えられていた時代です。しかも、モーセとヨシュアに率いられたイスラエルがカナン征服を成功したのは、ヤハウェ自身が周辺の諸民族に「イスラエルの神は強すぎる」と示していったからです。つまりエフタは、「今さらヤハウェvsケモシュという戦いを始めるというのか。その勝負づけは300年前に済んでるのじゃないか」と言っているわけです。
エフタが「審判者であるヤハウェが今日、イスラエルとアンモンを裁かれるように」というと、アンモンの王はもう答えられませんでした。
現代の領土紛争にたとえるなら、一方が「国際司法裁判所なり国連なりで判断してもらおうじゃないか」と言うと他方が無視する、といったところでしょうか。アンモンの王が「イスラエルの神であるヤハウェ」を審判者として受け入れる理由はないにせよ、理がないことを力で押し通そうという者は「出るところへ出ようじゃないか」といわれたら黙るしかないのです。
悲しむべき帰還(11章29〜40)
さて、これまでに登場した士師はだいたい、ヤハウェが選んで擁立したという記録が出てきます。でもエフタについては実はここまでそうした記述がありませんでした。神意ではなく、ギレアドの長老たちが選んだかのようです。
が、ここへ来てようやく[主の霊がエフタに臨んだ]という記録が出ています。こうして聖霊なる神にともなわれたエフタは、ミツパからアンモン人に向かって兵を前進させました。
ところがこの時エフタは、とんでもない誓いを立ててしまいます。「もしヤハウェがアンモン人をわが手に渡されるなら、無事に勝って帰ったとき、私の家から最初に出て迎える者を『焼き尽くす奉納物』としてささげます」と言ったのです。
奴隷か使用人でも生け贄にしようと思ったのでしょうか。レビ記18章21では、人身御供は異教の風習として禁じられているのですが。それとも「生きて帰れるなんてことがあるはずない」という思いがこのように言わせたのでしょうか。
とにかくエフタは出陣しました。
するとヤハウェは、イスラエルを艱難辛苦の目にあわせていた敵を[エフタの手にお渡しになった]のです。イスラエルが異教の神々を捨てたことで[イスラエルの苦しみが耐えられなくなった]ヤハウェは、帰ってきたイスラエルを庇護のもとに置いたのでした。(*5)
イスラエルはアンモン人の領土の中にある町を20も攻め落とすまほど敵を討ち、屈服させたと記録されています。
かくして戦いから帰ってきたエフタ。彼が家に着いたとき真っ先に飛び出してきて迎えたのは、年頃の一人娘でした。彼女は手鼓を打ち鳴らし踊りながら、帰ってきた父を迎えました。
それを見たエフタは、悲しみのあまり自分の衣を引き裂いたと記録されています。出陣の前に「勝って帰ったら、家から最初に出迎える者を『焼き尽くす奉納物』としてささげる」と誓っていたからです。
トブから帰ってきた時には、困難ながらも光栄な役割が待っていましたが、その役割をはたして戦場から帰ってきたときにこんな展開が待っているとは。しかもそれはエフタ自身が招いた悲しみ。
誰一人、エフタ自身も、勝利を得たイスラエルの人々も、ヤハウェ自身も望まない生け贄を、ささげなくてはならなくなったのです。いえ、もしも娘でなく奴隷か誰かだったなら、エフタだけは喜んでいけにえにしたかもしれません。そんな彼の心根が、この結末を招いたのでしょう。
「ヤハウェ自身がその蛮行を止めることはしないのか」と思う読者もいるかと思います。筆者自身もそう思います。しかしヤハウェには「誓いを破ってよい」と言うこともできないのです。まして人に誓いを破らせるために実力行使することも。(*6)
父から誓いのことを知らされた娘は[父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。]と告げました。
といっても彼女は、何の懊悩もなく命を差し出したわけではありません。彼女は父にこう言いました。[二か月の間、わたしを自由にしてください。わたしは友達と共に出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです。]
父が許すと、彼女は友達と共に、今や平和と安全を回復したイスラエルの山々に分け入って[処女のままであることを泣き悲しんだ。]と記録されています。
聖書には神から人への多くの定めが記されていますが、その一番最初は[産めよ、増えよ、]でした。創世記1章28に記録されたヤハウェのこの言葉は、最初の定めであるだけでなく、神から人へ最初にかけられた言葉でした(*7)
そののち婚外の性を厳しく制限するおきてが与えられました。エフタの娘の言葉は、単に「性的な快楽」のことだけを残念がっているのではなくそれを超えて、「結婚によって結ばれた男女だけに許される、神からの祝福と幸福をともなう喜び」を知らないままで、という悲しみなのだと思います。
二ヶ月が過ぎると、娘は父のもとへ帰り、エフタは自分が誓ってしまったとおりにしたと記録されています。
そののち、イスラエルにある習慣が生まれと聖書に記されています。[年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。]
新約聖書の「ヘブライ人への手紙」の第11章を、「信仰者列伝」と呼ぶ人もいます(*8)。旧約聖書に出てくる人々のことを「信仰によって誰それはこれこれのことをした」と書いているからですが、その中にエフタの名もあるのです。サムエル記の中で士師たちを回顧する場面を別とすれば、士師記以外では唯一エフタの名が出てくる箇所です。
もしかするとそれは、エフタ自身のことよりも、あの習慣によって語り継がれた「名も記録されていない信仰深い娘」の父としてのことなのではないでしょうか。
*1 申命記2章19〜。→申命記第2回を参照。
ロトの子らについては創世記19章30〜38。→創世記第27回を参照。
*2 民数記21章4〜。
*3 民数記21章11〜。
ともに民数記第13回を参照。
*4 第8の士師エフタの時代まで、ヨシュアの頃から文字通りに300年が過ぎていたかは不明。キリがよすぎるので、もしかするとかなり大雑把に切り上げられた数字かもしれません。
*5 ローマの信徒への手紙11章28〜29には、イエスをキリストだと信じなかったユダヤ人についてさえ「神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」と書かれています。
*6 マタイ5章34でキリストが「一切誓いを立ててはならない。」と教えています。その時それを聞いた人々(イスラエル人だから旧約聖書の物語はよく知っている)は間違いなく、このエフタと娘のことを思い出しただろうと思います。
*7 アブラハムの妻サラが90歳の時に神から出産を予告されて「もはや楽しみがあるはずもなし」とつぶやいた場面(創世記18章12)は、TEV(現代英語訳)では「Now that I am old and worn out, can I still enjoy sex?」と訳しています。
*8 「ヘブライ人への手紙」の著者(誰かはわかっていません。パウロっぽいとも言われますが。)は、ノアやアブラハムなどの事跡を紹介したあと、[これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。]と書いています。