士師記 第7回

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普通なギデオン(2) ギデオンの戦い(6章33~8章3)

ミディアン来襲(6章33~40)

その年もまたミディアン人が、同盟する諸民族とともにやってくる季節になりました。敵は東からやってくると、ヨルダン川を越えて、イズレエル平野に布陣しました。

このとき、[主の霊がギデオンをおおった]と記録されています。「着た」「とらえた」とも訳せる言葉によって、聖霊がギデオンとともにいるようになったと言っているのです。
そんなギデオンが角笛を吹くと、ギデオンの父ヨアシュ家からは本家筋といえるアビエゼルが一族を連れてやってきました。このアビエゼルがマナセ族全体に呼びかけると多数が参陣。さらにアシェル族、ゼブルン族、ナフタリ族に檄を飛ばすとそこからも兵力が合流しました。(*1)
アビエゼルはおそらく、マナセ族の重鎮として近隣部族にも名の知れた人物だったのでしょう。一方のギデオンはアビエゼル一族の中でもヨアシュ家の末っ子です。主の霊がギデオンをおおっていて、それがアビエゼルにもわかったからこそ、総本家の頭領が支族のヒヨっ子の指揮下に参じたわけです。

かくしてイスラエルの陣容が整い、決戦がリアルになったとき、ギデオンはもう一度、神意を確認しようとしてヤハウェに求めました。「羊一匹分の羊毛を置いておきますから、その羊毛だけ夜露で濡らして地面が乾いているようにしてください。そうすれば、あなたが私を用いてイスラエルを救おうとしていると納得します。」
翌早朝、ギデオンがその羊毛を触ってみると、夜露でびっしょり。しぼってみると鉢にいっぱいの水が出たのです。ギデオンがさらに「どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。今度は羊毛だけ乾いて、土には一面に夜露がくだるようにしてください。」と求めると、翌朝にはそのとおりになっていました。
この記録は筆者にとってどうにも不思議です。いえ、この奇跡が不思議で信じられないというのではなく、ギデオンの求めに応じてヤハウェが奇跡を見せたというのが不思議だと思うのです。通例、「奇跡を見せろ」という者には「見たって信じないでしょ」とばかりに却下するか、「事のあとでこうなるのが証拠となる」と後出しすることが多いように思うのですが。(*2)
よくわかりませんが、今回ヤハウェがギデオンの求めに応じたということは、ギデオンはすでに信じていて、ただ100%の確信を120%までにしたいということだったのかもしれません。

敵は幾万、味方は?(7章~8章3)

さて、ギデオン率いるイスラエルは3万2千人。ミディアンとその同盟軍は13万5千人。敵は4倍以上です。しかしギデオンはヤハウェから確信を与えられた上に、「自分なんかが指揮をとるなんて」と思ってたわりには多数が指揮下に馳せ参じてくれました。
おそらくギデオン自身「これだけの兵力があれば、4倍くらいはなんとかなる」と思ったでしょう。ところがその思いを見透かすように、ヤハウェはギデオンに「イスラエルは兵力が多すぎる。これではイスラエルは『神の力ではなく自分たちの力で勝ったのだ』と言うだろう。だから兵力を減らせ」と言い出したのです。そしてまず「怖がっている者を帰らせろ」と指示しました。
ヤハウェがついているとはいっても、臆病というものは伝染しますから、そういう者が少しでもいたら取り除いたほうがいいでしょう。ところがギデオンがヤハウェの言葉を告げると、「少しでもいたら」どころか、3万2千のうち2万2千が帰ってしまったのです。

「正直いって怖いけどさ」という者を2万2千も集めたのだから、逆にアビエゼルは大したものですが、ギデオンにしてみれば「え?そんなに?」というところだったでしょう。ところがヤハウェは、残った1万でもまだ多いといって選り分け、300人だけをギデオンに残らせたのです。

ヤハウェも、ギデオンに「敵陣に夜襲をかけろ。わたしは敵をあなたの手に渡す」と出撃を命じる一方で、「もし行くのが恐ろしいなら、従者プラとともに偵察に行け。そうすれば勇気を得て切り込むことができる」と助け舟を出しています。きっとギデオンは「え?300人?マジですか?」というところだったのではないでしょうか。

偵察もたった二人とはいえ、プラという名は「堂々たる」という意味ですから、さぞ心強い従者だったのでしょう。
この二人が敵陣にまぎれこんでみると、ミディアンとその同盟軍は「いなごのように数多く、平野に横たわっていた。らくだも海辺の砂のように数多く、数えきれなかった。」という陣容。これを見たギデオンがどう思ったかは記録されていませんが、聞こえてきた兵たちの会話が記録されています。

「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕【テント】まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった。」
「それはイスラエルのギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ。」

天幕とはおそらく本陣のテントでしょう。これを聞いたギデオンは、その場でひれ伏したと記録されています。別の訳では「礼拝した」です。敵陣の中で夜中にヤハウェを礼拝せずにいられなくなるくらい、「すでにミディアン人には『自分たちがギデオンによって打ち倒される』ということが神から啓示されている」ということを知った驚きは大きいものでした。

イスラエル陣に帰ったギデオンはすぐさま出撃の準備を整えました。たった300人の軍をさらに100人ずつ3隊にわけ(*3)、松明【たいまつ】と角笛を持って敵陣を包囲する作戦です。行動が敵にばれないように、松明は水がめで隠します。そして合図とともに、角笛を吹き鳴らし、鬨【とき】の声をあげて「主【ヤハウェ】のために、ギデオンのために」と叫ぶように指示しました。
これまでの記録からうかがえるギデオンの性格から、彼が「私のために戦え」と指示したとは考えにくいです。増長してしまった可能性がないではないですが、それよりも、「ヤハウェが立てた士師の名において」という意味であるか、あるいは「伐採する者」という意味の自分の名にかけて「ヤハウェのために、敵を切り倒す者のために」という意味ではないかと思います。

準備ができたイスラエル軍は、夜中に敵の歩哨が交代するころあいを見計らって、角笛を吹き、水がめを割って松明をかざし、「ヤハウェのために、ギデオンのために剣を」と叫び声を上げました。
しかし切り込むのではなく「各自持ち場を守り、敵陣を包囲」していると、叩き起こされた敵軍は総立ちになり、叫び声をあげて敗走し、さらにヤハウェが同士討ちを起こさせたと記録されています。

聖書には詳細には書かれていませんが、包囲戦では完全に囲むよりも、あえて一箇所をあけて逃げ道を示すのが得策だと言われます。完全に囲んでしまうと「窮鼠猫を噛む」で命がけで抵抗されることもありますが、「脱出できそうだ」と思わせることでかえって反撃させないようにすることができるのです。具体的に記録されてはいませんが、算を乱した敵が同士討ちしながら壊走したという記録から察するに、ミディアンの陣をぐるりと囲んだ松明は3方向だけにあって1方向をあけていたのではないかと思います。
とにかく、13万5千の軍勢はたった300人に驚いて、まるで源氏と対峙した平家の軍勢が富士川の水鳥の羽音に驚いて逃げたように(*4)、ヨルダン川まで逃げに逃げたのでした。
もう一つ気になるのは、ギデオンが偵察したときに見た「海辺の砂のように数多くのラクダ」です。ラクダは大きく力が強い上に気性が荒い動物で、熟練した乗り手でないと御すのが難しいと言われています。そんなラクダが数限りなくいるところでいきなり周囲が大騒動となったのです。驚いたラクダが興奮状態となり大暴走、その大群に踏み殺されたミディアン兵というのがかなりいたのではないかと思います。

一度は帰されたイスラエル北部の各部族も、戦況を見て300人に合流しミディアン人を追撃。
ギデオンも、戦場から一番近いエフライム族に「ベト・バラ(位置未詳ですが「渡り場」の意味なのでヨルダン川の岸辺のどこかでしょう)まで追い散らせ」と檄を飛ばしました。これに応えて出陣したエフライム族は、ミディアンの二人の将軍、オレブとゼエブを捕らえて倒しました。
ところがエフライム族は、二人の敵将の首級をギデオンのもとに持っていったとき「なんで最初からわたしたちを呼ばなかったのか」と激しく詰め寄ったのです。
あるいはエフライム族は、マナセ族ごときのしかも枝葉の一家の出であるギデオンの指揮を受けたのが気に入らなかったのかもしれません。もしかするとそういう面子にこだわるところがエフライムにあるので、ギデオンは「自分のような名もない者の召集に応じるだろうか」と気が引けたのかもしれません。士師は全イスラエルが承服する王ではないので、「ヤハウェが立てた者」ということが理解されていなければ、エフライム族がそのように思っても無理はありません。
けれどもギデオンも、自分に手柄の一つもあったわけではありません。それで「神がなさったことでしょ。その結果、敵将の首をとるという第一級の名誉がエフライム族のものになったでしょ。私なんて、何にもしてませんよ。」と事実を整理すると、エフライム族も面子が守られて憤りをやわらげたのでした。
もしもギデオンが勇猛果敢な大勇者で、この場面で「何を言ってやがる」などと言えるような男だったら、エフライム族の不平によってイスラエルは分裂したかもしれません。そう考えると、ヤハウェが今回「ただの平凡な男」を士師として擁立したところに深遠な知恵があるのかもしれません。

さて、ヨルダン川の西での戦闘で12万人の敵を討ち取りましたが、残る1万5千が二人の王とともにヨルダン川の東へ逃れました。ギデオンの戦いはまだ続きます。


*1 アビエゼルが使者を送ったのはイスラエル北部に住む部族。南部の部族に使者を送らなかったのは、敵が来たので散り散りに隠れているだろう各部族を探そうとするには、イズレエル平原に陣取った敵によって南部との連絡が分断されたためでしょうか。

*2 マタイ16章1~4、ルカ2章12、出エジプト記3章12など。

*3 かつてアブラハムが、東方から来た王たちの連合軍と戦ったときも、たった318人の手勢をさらに分散させて敵を襲い勝利しています。創世記14章を参照。

*4 1180年に、再挙兵した源頼朝とこれを追討に来た平家が富士川で対峙したときの史実。夜間、平家の背後を衝こうとした源氏の一隊が富士川に馬を乗り入れたとき、驚いた水鳥がいっせいに飛び立ち、その羽音で大混乱に陥った平家は総崩れで退却したと伝えられます。
源氏が大軍であり士気旺盛だったという点はギデオンの戦いと正反対ですが、安房(千葉)で再挙兵した時点の頼朝の手勢も300騎だったとか。
Wikipedia「富士川の戦い」

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#166
作成:2008年3月31日

布忠.com