士師記 第6回

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普通なギデオン(1) ギデオン、立つ(6章1~32)

「アブラハムには七人の子」という歌がありますが、聖書にはアブラハムの息子が8人登場します。「一人はノッポで、あとはチビ」だったかどうかも聖書からはわかりません。
正妻の子イサク。妾腹ながらその兄であるイシュマエル。そしてアブラハムが晩年に再婚して生まれた男児が6人(*1)。その6人のうちのミディアンから栄えたのがミディアン人です。

その後、モーセはミディアン人の神官のもとに身を寄せ、神官の娘と結婚しました。(*2)
しかしイスラエルがカナンに入ってきて以降は、ミディアンはイスラエルの敵となっていきました。(*3)
そして士師デボラの時代の後、イスラエルがまたもヤハウェに背をむけたとき、ヤハウェはイスラエルを7年間、ミディアン人の手に渡しました。イスラエルはミディアンの脅威のために「山の洞窟や、洞穴、要塞」に隠れ住むようになり(*4)、イスラエルが種をまいても、収穫期になればミディアンとその同盟者に荒らされ、実りも家畜も残しません。ヨルダン川の東からやってきてガザまで荒らしたと記録されていますから、イスラエルを横断して荒らしまわったわけです。[イスラエルは、ミディアン人のためにはなはだしく衰えた]とあります。

ここにいたってようやくイスラエルは悔い改めてヤハウェに助けを求めたのですが、このとき登場するのは士師ではなく、名前すら記録されていない預言者です。デボラのように預言者が士師になるわけでもありません。そして彼は次のよなヤハウェの言葉を伝えたのです。

わたしはエジプトからあなたたちを導き上り、奴隷の家から導き出した。
わたしはあなたたちをエジプトの手からだけでなく、あらゆる抑圧者の手から救い出し、あなたたちの赴く前に彼らを追い払って、その地をあなたたちに与えた。
わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちはアモリ人の国に住んでいても、アモリ人の神を畏れ敬ってはならない、とわたしは告げておいた。
だがあなたたちは、わたしの声に聞き従わなかった。

この預言者が語ったのが、イスラエルが山の洞窟などから出てきて集まったときだとしたら、これはキツイ。一年のうちで「ミディアン人を恐れないで集まれる時期」があるとしたら、ミディアン人が略奪しつくしてもう奪うものがなくて帰っていった直後くらいしかないでしょう。打ちのめされて、それでも次の収穫のための種をまこうか、でもまいてもどうせまた奪われるんだよなと絶望的になっているところへ、自業自得であることを思い出させられたわけです。
あるいはイスラエルが集まったときではなく、山中などイスラエルが隠れ潜んでいるところを預言者が巡回して、ヤハウェの言葉を伝えたのでしょうか。だとしたらさらにキツイ。

しかしヤハウェは、「私はもう知らん。勝手に滅ぼされろ」などとは言いません。
「イスラエルの裏切り→ヤハウェが敵民族でイスラエルをこらしめる→イスラエルが反省してヤハウェに帰る→ヤハウェが士師を立ててイスラエルを救う」のパターンがすでに4回も繰り返されたので、なぜこうなったのかイスラエルによくよく悟らせるために預言者を送って意を伝えはしましたが(でもこのあともワンパターンが繰り返されますけど)、その一方で今回もまた士師を立ててイスラエルを救おうとしているのです。

今回、ヤハウェが選んだのは、オトニエルのように実績のある者でもなければ、左利きのエフドのように豪胆な者でもありませんでした。マナセ族のギデオンという、他の人と同じようにミディアン人から逃げて住んでいた男です。
ギデオンは本当に普通の人でした。だから彼のところに天使が現れて[勇者よ、主【ヤハウェ】はあなたと共におられます。]と言ったときも、こう答えたのです。「ヤハウェが共にいるなら、なぜイスラエルはこんな苦境に?先祖代々『ヤハウェは我々をエジプトから導き出した』と語り伝えさせた驚くべき御業【みわざ】はすべて、どうなってしまったんですか。」

これに聖書は、「天使は」ではなく「主【ヤハウェ】は」こう言ったと記録しています。[あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたをつかわすのではないか。]

これは、ヤハウェがモーセを派遣したときの言葉(*5)とそっくりです。ヤハウェがイスラエルをエジプトから救った時のことをギデオンが引き合いに出したものだから、あの時と同じような言葉でヤハウェはギデオンを召し上げたのでしょうか。これはヤハウェのユーモアなのでしょうか?
いえ、そうではなく、モーセの時とかわらない表現でギデオンを召し上げることで「あなたがいう『驚くべき御業』は、私が宣言をもってモーセを派遣した結果ではないか。それと同じにように、この私が、宣言をもってあなたを派遣するのだ」ということを伝えているのだと思います。

いやしかし、そうは言ってもギデオンはあまりにも普通の人です。小麦を脱穀するにもミディアン人を恐れて物陰にこもるほどです。聖書からうかがえる、慎重すぎるような彼の性格から「弱虫ギデオン」と呼ばれたりもしますが、この時のイスラエル人はみなミディアン人を恐れて平地に出られなかったのですから、ギデオンは弱虫というよりも「普通」なのです。
まして12部族の中でも特別強力というわけではないマナセ族(*6)で、その中でも大した家柄ではない一族で、家族の中でも成人男子では一番の年下。勇者カレブの娘婿だった士師オトニエルのように、後ろ盾があるわけではないのです。私なんかがどうすればイスラエルを救えるでしょうかと、これまたモーセがイスラエル救出の任務を辞退しようとしたときのようです。(*7)

しかし、天使を遣わしたヤハウェは「わたしが共にいるのだから、ミディアン人がどんなに多くても、一人の敵を倒すように倒せる。」と宣言しました。
ヤハウェが一緒にいるのだから問題ない、と言われれば「普通のイスラエル人」であるギデオンにとっては十分です。ただ、この人は本当に天使なのでしょうか?(*8)
そこでギデオンは、「供え物を持ってくるから、しるし(証拠)を見せてください」と頼んで、子ヤギや、発酵させていないパンなどを持ってきたのです。天使はそれらを岩の上に置かせると、それらを杖の先でチョン。すると[岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした]のです。

気づくと、天使の姿は消えていました。でも「自分がここにいる」ということを炎で表すのは、ヤハウェがしばしば使う手段です(*9)。確かに天使だったのだと知ったギデオンは、今さらながら「ああ、主なるヤハウェよ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。](*10)と恐れ入りますが、しかしそんな彼にヤハウェの声が聞こえました。「シャロームがあなたと共にある。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」

シャロームとは、平和という意味です。しかも、人間同士が武器を頼りにかろうじて保つような平和ではなく、全能の神に守られるという平和です。ギデオンは「絶対に安全だ。世界のどこよりも安全だ」という保障を与えられたのです。
ところが、こうして安心を与えたヤハウェはいきなりその夜とんでもない指令を出します。カナン人の神であるバアルにささげられた祭壇を壊せというのです。さらに、ヤハウェにささげるいけにえを燃やすために、バアルの祭壇のかたわらにあるアシェラ神の像を切り倒して薪にしろと。

イスラエルが口先だけでなく心から反省してヤハウェに帰ったというなら、イスラエルの中から異教を取り除いて当たり前。
しかしギデオンは白昼堂々とこれを実行することはできず、召使の中から信用できる者10人を選んで夜中にこれを実行しました。まだイスラエルの人々は、心から異教から離れたわけではなかったようです。

ところが翌朝、バアルの祭壇が壊され、アシェラ像が切り倒され、ヤハウェのための祭壇で牛がささげられているのを見ると、人々はすぐに「犯人探し」を始めました。イスラエルはまだ、異教から離れてはいなかったのです。
そしてすぐに、ギデオンの仕業だということを突き止めると、ギデオンの父ヨアシュに詰め寄って「息子を出せ。殺さねばならない。」と責めたてました。ヤハウェはギデオンに指示するとき「あなたの父のものであるバアルの祭壇」と言っていますから、ヨアシュはこの異教の祭壇の管理人だったのでしょう。神主の息子がご神木を切り倒したようなものです。

しかし、ギデオンとは対照的に父ヨアシュは肝が据わっていました。なぜ彼が異教の祭壇の管理人になっていたのかは不明ですが、すでにその祭壇はないのだとばかりに、人々に反論します。「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう。」と言い放ったのです。
人々が反論することさえできずにいるのを見ると、ヨアシュはギデオンを「エルバアル」と呼びました。新共同訳ではこれは「バアルはみずから争う」の意味だと補注していますが、ニュアンス的には「バアルが自分で戦ってみろ」くらいなものでしょうか。このあと彼はミディアンとの戦いの先頭に立ちますが、ギデオンと呼ばれるよりもエルバアルと呼ばれるほうが多くなっていきます。


*1 イサクの系統がイスラエル人になる。イシュマエルはアラブ人の先祖と言われている(イスラム教では、イシュマエルがアブラハムの嫡男であるとされる)。アブラハムの再婚は創世記25章。→創世記第33回を参照。

*2 出エジプト記2章11~。→出エジプト記第2回を参照。

*3 イスラエルがエジプトから脱出してきたとき、ミディアン人はモアブ人とともに、イスラエルを倒すためにヤハウェから離れさせる策略をしかけた。民数記25章(民数記第16回)および同31章(民数記第19回)を参照。

*4 要塞といっても、カナンに定着して日が浅いイスラエルが、長期の篭城が可能な要塞を建設したとは考えにくい。おそらく天然の要害にろくな備蓄もないまま隠れ住んだのでしょう。

*5 ヤハウェはモーセをエジプト救出に派遣したときの言葉は「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」でした。出エジプト記3章10(当サイト出エジプト記第3回)を参照。

*6 マナセ族は、民数記25章の記録では出陣可能人数は12部族中6位。しかもその後、ヨルダン川の西と東に分かれ住み「マナセの半部族」と呼ばれるようになります。

*7 モーセはヤハウェから召しだされたとき、なんとかして辞退しようと必死だった。→出エジプト記第3回を参照。

*8 そもそも、天使がいきなり出てきた時点でなぜギデオンは驚かなかったのでしょうか。
第一には、イスラエルにとって「ヤハウェの臨在(りんざい=すぐそばに臨んで在ること)」はごく普通に感じられたことだったということがあります。ずいぶんのちの時代になりますが、マリアは天使長ガブリエルの訪問をまったく動じないで迎えています。
第二には、天使という存在は掘り下げるといろいろ難しいのですが、聖書に記録されている「神の使い」は少なくとも、頭の上に金色の輪っかが浮かんでいたり、背中に純白の翼がはえていたりという突拍子もない人間離れした姿ではないということがあります。創世記19章でソドムの町に現れた天使も、創世記32章でヤコブとレスリングした天使もです。それでギデオンは「ヤハウェが一緒にいるというなら心配しない。でもあなたは本当にヤハウェからの天使なのか?」と確認したかったのです。
なお、「天の軍勢」「天使の天の大群」「天使が空高く飛ぶ」という記述も聖書にあります。こうした「天空にいる天使」という記録が、聖書を読む人に翼を持つ天使の姿をイメージさせたのではないかと思いますが、実はこれらも「翼で」とは書かれていません。(「翼がない」という記録もありませんが。聖書に収められていないユダヤ人の伝承に何かあるのでしょうか。)なお、セラフィムと呼ばれる存在は六枚の翼を持っていることが、イザヤ書6章に記録されています。

*9 ヤハウェがモーセに最初に現れたときも、燃える柴という現象でした。→出エジプト記3章。 エリヤが一人で、異教の預言者たちと対決したときも、エリヤが建てた祭壇を(エリヤが水浸しにしておいたのに)燃え上がらせることで、自分が神であることを証明した。→列王記上18章。

*10 新共同訳では「主なる神よ」と訳していますが、原文では「アドナイ ヤハウェ」なので、引用では「主なるヤハウェ」としました。

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#167
作成:2008年3月25日

布忠.com