士師記 第4回

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カレブの甥オトニエル(3章7~11)

今回から、士師ひとりひとりとその時代を見ていきます。

まずはじめに登場するのはユダ族のオトニエル。士師記1章にも登場した、ヨシュアの相棒カレブの甥で、戦功により一族の実力者カレブの娘を得た男です。(*1)
オトニエルという名は「神の獅子」の意味。神の獅子が士師になったというのはダジャレのようですが。

イスラエルがヤハウェを離れ、バアル神やアシェラ神に仕えるようになると、その不誠実のゆえにヤハウェはイスラエルを「アラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイム」(*2)の手に売り渡されたと記録されています。これによりイスラエルは、8年にわたってクシャン・リシュアタイムに支配されました。
エジプトで奴隷だった頃以来となる、支配される悲哀を味わうイスラエル。その苦しみにヤハウェに助けを求めて叫ぶと、[主【ヤハウェ】はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。]と記録されています。

その救助者こそオトニエルでした。
この「救助者」という言葉は、イザヤ書43章3では神自身を指して「救い主」と訳されているのと同じ言葉です。[主【ヤハウェ】の霊が彼(オトニエル)の上に臨み]という記録とあわせて、ヤハウェ自身がイスラエルを救うために彼を用いたのであって決して英雄が自分の能力で活躍したのではないことを聖書は証言しているようです。

ヤハウェの霊、つまり「聖霊」と呼ばれる神がかたわらに立つと、オトニエルは士師としてイスラエルを裁きました。。彼が戦いに出ると、ヤハウェがクシャン・リシュアタイムを彼の手に渡したと記録されています。

ただし、オトニエルがクシャン・リシュアタイムを[抑えることができた]としか書かれていません。滅ぼしたわけでも「約束の地」から追い払うことができたわけでもないようです。
ヤハウェが、異民族をもう一人も追い払わないと言ったことによるのでしょうか(*3)。しかしともかく、オトニエルが士師としてイスラエルを裁いた40年、彼が死ぬまでの間は、イスラエルは平穏であったと記録されています。(*4)
逆に言うと、その40年の間は、イスラエルはヤハウェに従って歩んだということです。


左利きのエフド(3章12~30)

第二の士師は、ベニヤミン族のエフド。名前の意味は「私は賛美する」です。

イスラエルが、[またも主【ヤハウェ】の目に悪とされることを行った。]と記録されています。(*5)
この契約違反にヤハウェは、今度はモアブの王エグロンによってイスラエルを圧迫しました。エグロンはアンモン人とアマレク人を集め、イスラエルを破って、「なつめやしの町」と呼ばれたエリコを占領しました。

モアブ人もアンモン人も、アブラハムの甥ロトの子孫です(*6)。かつてイスラエルがエジプトを脱出してカナンに入ろうとした時、ヤハウェは、モアブ人の地はロトの子孫に与えたものだとして手出しを禁じました。そのロトの子孫によってイスラエルを圧迫し、イスラエルが労せずに陥落させたエリコの占領を許したのは、イスラエルにとっては大いなる皮肉というべきか、それくらいヤハウェは怒っているのだというべきか。

結局、イスラエルは18年にわたって、モアブの王エグロンの支配を受けました。
その時イスラエルの叫びを聞いたヤハウェが立てた救助者が、「左利きのエフド」でした。

彼の二つ名は、もちろんカッコイイというだけで記録されているのではなく、左利きであったためにイスラエルを救ったのです。
彼がみつぎ物をエグロンのもとに運んだ時、策略をもって王と二人きりになると、右腰から刃渡り約45cmの剣(*7)を抜いてエグロンを倒したのです。
右利きの人であれば、剣は左腰に帯びます(日本の剣道でも礼をするまでは竹刀を左腰に持ちますね)。おそらくエフドは、剣を右腰に隠し持つことでボディチェックをくぐり抜け、いざ事に及ぶ時に利き手である左手で剣を抜き放ったのでしょう。

王エグロンの死によりモアブ人、アンモン人、アマレク人の寄り合い所帯が混乱する間に、エフドは角笛を吹き鳴らしてイスラエルを集めました。そしてヨルダン川の渡し場を確保して敵の退路を絶つと、[皆たくましい兵士たち]であったモアブ軍約1万人をすべて打ち殺し、一人も逃がしませんでした。

その後イスラエルは80年にわたって平穏だったと記録されています。


牛飼いシャムガル(3章31)

第三の士師シャムガルについては、聖書は一文しか記録していません。[エフドの後、アナトの子シャムガルが現れ、牛追いの棒でペリシテ人六百人を打ち殺した。彼もイスラエルを救った。]とあるだけです。
シャムガルという名もヘブライ語ではなく、どの部族の出身かもわかりません。(*8)

しかも次に登場する第四の士師の記録は「エフドのあと」と始まりますから、シャムガルは存在感のウスいこと。
ただしその第四の士師であるデボラがシャムガルのことも歌に歌っていますので、士師の人数を12とするためにあとから創作されたということではないと思いますが(創作されたなら、もっとはっきりした出自を考えるのではないかと)

何者かよくわかりませんが、しかしペリシテ人を600人も打ち殺したというのは、そうとうの活躍です。
前号でも少し触れましたが、ペリシテは強力な民族です。エジプトを脱出した時も、[神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。]とヤハウェが配慮する必要があったほど。(*9)
紀元前12世紀にエジプトに侵入した「海の民」というのがペリシテ人ではないかといわれていますが、だとすると、その時は撃退されたとはいえ大エジプトに挑むほどというのは相当の軍事的実力を持つ民でしょう。
それを600人も倒したシャムガルは、後に登場する剛力無双の士師サムソンと並ぶ豪傑といってよいでしょう。


おまけ。現代のエフドさん

2008年2月に来日したイスラエルのエフド・オルメルト首相。英語だと Ehud Olmert です。「左利きのエフド」も英語聖書では Ehud なので、もしかするとオルメルト首相のファーストネームは士師にちなんだものかもしれません。

元首相のエフド・バラク氏も Ehud です。現代イスラエルでよく男児につけられる名前なのでしょうか。


*1 オトニエルは、カレブの弟であるケナズの子。ユダ族が戦う際にカレブが「キルヤト・セフェルを撃ち破って占領した者には、娘アクサを妻として与える」(1章12)と宣言しましたが、このオトニエルが功によりアクサを獲得しました。⇒士師記第2回を参照。

*2 リシュアタイムは「二重の悪」との意と考えられるので、本名というよりはイスラエル側がつけたあだ名というところでしょう。アラム・ナハライムもどこを指すのかよくわかっていません(普通はメソポタミア北部を指すので、口語訳でもここは「メソポタミヤの王」と訳していましたが、それだと距離的に遠すぎるように思われます)。結局、歴史上のどこの地のどの王と同定されるかは未詳です。

*3 士師記2章20以下。⇒ 士師記第3回を参照。

*4 士師記の第1回で基礎知識にも書きましたが、士師記に出てくる年数の記述を単純に足すことには無理があります。士師記は「年代記」というよりも、歴史にあらわれたヤハウェについて記す「預言書」なのです。
オトニエルが治めた40年というのも、実際に40年だった可能性もありますが、概数として「おおむね一世代」ということを表している可能性もあります。

*5 新共同訳では省略していますが、新改訳では底本の語順により近く「そうすると、」でこの段落を始めています。しかし、たとえば出エジプト記の冒頭が「そしてこれらは」だったり、民数記の冒頭が「そして彼らは」だったりするのと同様、これはヘブライの文書の文化なので、接続詞として訳す必要が本当にあるかは疑問に感じます。
というわけで士師記3章12も、これがオトニエルの死の直後におこったことなのかはわからないのですが、本誌では便宜上、記録されている事柄の順序は実際にあったとおりであると仮定して読み進めることにします。

*6 創世記19章36~38。⇒ 創世記第27回を参照。

*7 新共同訳では「1ゴメド」。この単位は調べられなかったのですが、新改訳および口語訳では「1キュビト」となっていて、これは約44.5cmとなります。

*8 シャムガルという名は、フルリ語に由来するとすれば「シミグ(神)が賜った」の意味となるそうです(だとすると、なぜにフルリ語?外国人だったわけではないと思うのだけど)。
士師記に記録されている士師は12人。これが12部族からそれぞれ出ているとすると、シャムガルはアシェル族と推定することもできます(ユダ族から2人、シメオン族から0人ですが、シメオン族はユダ族に吸収されていったと考えられています)。「12人」が常に12部族を指すわけではありませんので(キリストの12弟子も12部族から一人ずつというわけではなかったし)、「アシェル族、かも?」くらいの話しです。

*9 出エジプト記13章17 ⇒ 出エジプト記第12回を参照。

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#165
作成:2008年2月17日
更新:2008年2月24日

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