ヨシュア記 第15回

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土地の分配の完了(21章)

レビ族の町

カナンの土地の分配が終わったところで、それらの土地の中にある町のいくつかがレビ族に割り当てられたことが21章に記録されています。

14章4に[レビ人は、カナンの土地の中には住むべき町と財産である家畜の放牧地のほか、何の割り当て地も与えられなかった。]と書かれているとおり、いえ、もっと昔にレビ族の祖であるレビが父ヤコブから[わたしは彼らをヤコブの間に分け/イスラエルの間に散らす。]と預言されていたとおり、彼らは他の部族のように領域を割り当てられるのではなく、他の部族の領域の中に町を割り当てられたのです。ここに記録されたのは、それらの町のリストです。

ある学者たちは、このリストにある町のいくつかはこの時点ではイスラエルが占領できていないとの理由から、このあたりの記述は後代のものであるという説を提案しています。
しかし、たとえばダン族も割り当てられた土地を占領できずのちに北部に移住することになったりしています。ヨシュア記の記録は土地(レビ族の場合には町)の割り当てについてのもので、実際にそこに住むようになったのがいつであるかはまた別のことだと思って読むのがいいようです。

とにかく、こうして祭司の部族であるレビ族が他の部族の中に別れ住むようになりました。
イスラエルの中でも「聖地」と呼べるのは、ヤハウェが[わたしの名を置くためにわたしが選んだ都](*1)と呼ぶエルサレムです。イスラエル各地の町々に祭司レビ族が住むといっても、そこにヤハウェが分祀されたというわけではありません。しかしイスラエルの民は、エルサレムに詣でたときだけヤハウェと関わるのではなく、生活全般がヤハウェとの契約の中にあるのです。レビ族がいるおかげでイスラエル全体が祭儀を正しく行うことができるようになるといえるでしょう。

なお、前回でてきた「逃れの町」は、レビ族に割り当てられた町の中から選ばれていますので、21章の町の名のリストに20章の逃れの町の名もでてきています。

土地の分配の結び

21章の最後にこう記されています。

主【ヤハウェ】が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。主【ヤハウェ】はまた、先祖に誓われたとおり、彼らの周囲を安らかに住めるようにされたので、彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。主【ヤハウェ】は敵を一人残らず彼らの手に渡された。主【ヤハウェ】がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。

前述のとおり「そこに住」むようになるのは場合によってはあとになりますし、ヤハウェの指示に従わず異民族と妥協してしまったケースもありますが、イスラエルの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブなどにヤハウェが示した約束はこうして実現されたのです。


内戦発生?(22章)

12部族のうちルベン人、ガド人、そしてマナセ人の半分は、ヨルダン川の東側を所有地とすることをモーセに許されていました。彼らはそこに妻子や家畜などと、それらを守るための人員を残して、他の兄弟部族が約束の地を勝ち取るまでともに戦ってきたのです。

ヨシュアは彼らを呼び寄せると、彼らが同胞を見捨てずともに戦ってきた誠実をたたえ、今やヤハウェの約束どおり同胞に安住の地が与えられたのだから、ヨルダン川東の所有地に帰ってよいと許可しました。

といっても、彼らが「神の民イスラエル」から離脱したわけではないのはもちろんです。ヨシュアは彼らを東へ送り出すにあたって、次の言葉を送っています。

ただ主【ヤハウェ】のしもべモーセが命じた戒めと教えを忠実に守り、あなたたちの神、主【ヤハウェ】を愛し、その道に歩み、その戒めを守って主【ヤハウェ】を固く信頼し、心を尽くし、魂を尽くして、主【ヤハウェ】に仕えなさい。

言葉はいましめるものですが、ともにヤハウェの民であり続けるべき兄弟たちへの祝福の言葉であるともいえます。(*2)

こうしてヨルダン川の東に帰っていった2部族半ですが、彼らは帰るとそこに「目立って大きい祭壇」を築きました。ところがこれがもとで、西の9部族半が軍を送って東の2部族半を滅ぼそうかという一歩手前まで行ったのです。

この祭壇と訳されている言葉は、語源的には「いけにえの獣を屠殺する所」という意味です。
となるとこれは、申命記で「いけにえなどをヤハウェにささげる場合は神殿で」(*3)と命じられていることに対する背反行為なのです。この申命記の記述は、ヤハウェ以外のものを神として礼拝することを禁じるためのものでしたが、ルベン族たちが祭壇を築いたことは偶像礼拝を始めたということではないかという心配をイスラエルにもたらしたわけです。
これを聞いた西側の9部族半は、東の2部族半を滅ぼすべく軍を送ることを決定すると同時に、祭司ピネハスを団長とする調査団を送りました。

東の人々がそうまで背景には、ヨシュア記7章のアカン事件のことがありました。アカン一人がヤハウェの指示にそむいたため、アイ攻略戦でヤハウェの守りはイスラエル軍を離れ、同胞が戦死しイスラエルはカナンに入って初めてとなる敗戦を喫したのです(*4)。
今回も2部族半がヤハウェに背信行為を働いたとなれば、イスラエル全体がヤハウェから裁かれるかもしれません。

しかし幸いなことに、2部族半の意図は偶像礼拝ではありませんでした。
そこで彼らは、ピネハス調査団に本心を説明します。[神よ、主【ヤハウェ】なる神よ。神よ、主【ヤハウェ】なる神よ。神はご存じです。イスラエルも分かってください。]という始め方に、彼らもこの事態に相当おどろきあわてている様子がうかがえます。

実は彼らが祭壇を作ったのは「いけにえの獣を屠殺する」ためではなく[主の祭壇の模型]とするためだったのです。
彼らは、自分たちがヨルダン川の東側に住むことについて、「西に住む同胞たちから、将来切り捨てられることはないだろうか」ということを心配したのです。カナン征服をともに戦った自分たちの世代はいいとしても、子孫たちはどうなるのだろうか、と。それで[主の祭壇の模型]をつくり、東に住む自分たちと西に住む同胞たちとの関係を子孫に伝えていこうと考えたのでした。

筆者は「だったらそもそもヨルダン川の東で止まらないで、約束の地に入ればよかったじゃないか」と思うのですが、とにかくそう心配するほどに「ヨルダン川のあちらか、こちらか」つまり「『約束の地』の内か外か」は重要だったわけです。
ピネハスたち調査団は、この回答を西に持ち帰りました。そして西の人々はこのことを良しとし、神をたたえ、二部族半を滅ぼそうという声はなくなりました。
一方、東の人々は、この祭壇を「わたしたちの間では主が神であることの証人」と名づけたのです。


*1 列王記一11章36ほか。

*2 後の時代にあらわれるキリストは、福音書の中でもたびたび旧約聖書を引用して教えましたが、「どの戒律がもっとも重要か」との質問にはこのヨシュアの言葉から答えています。(マタイ福音書22章37ほか)

*3 申命記12章5-7
[主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい。焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、牛や羊の初子などをそこに携えて行き、あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。]
ここにある「主の住まい」とは、エルサレム神殿がまだ建てられていないこの時点では幕屋の祭壇ということになります。

*4 ヨシュア記7章。⇒ヨシュア記第8回

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#158
作成:2007年3月25日

布忠.com