ヨシュア記 第11回

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カナン北部の戦い(11章)

カナン南部の王たちが全滅したことは、北部の王たちにも伝わりました。北部の盟主的存在だった都市がハツォルで、城壁のうちに3万もの軍隊が立てこもることもできる規模だったと言われています。
そのハツォルの王ヤビンはかなり広範囲に使者を送り、これを受けて北部の王たちは[全軍勢を率いて出動したが、それは浜辺の砂の数ほどの大軍となり、軍馬、戦車も非常に多かった。]と記録されています。

四十年前に最初にカナンを偵察した時、超大国エジプトをヤハウェが打ちのめすのを目の前で見たばかりで勢いに乗っていたイスラエルの目にも、とても太刀打ちできないと思わせたカナンの諸部族です(*1)。そんなカナン人がいまや、みずからの存亡をかけてイスラエルと戦おうと全軍を率いて、メロムの水場(*2)に陣を敷いたのです。

しかしヤハウェは、イスラエルに動揺する間も与えず[彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え。]と宣言しました。
これを受けてイスラエルはメロムの敵陣を急襲。そして[主【ヤハウェ】が彼らをイスラエルの手に渡されたので]、イスラエルは敵を打ち負かしさらに追撃し、兵は一人残らず討ち取り、その軍事力はヤハウェが命じた通り[馬の足の筋を切り、戦車を焼き払った。]と記録されています。

まだこのあとも戦いが続くというのに、せっかく敵から奪った馬や戦車を破却してしまうというのは、もったいないようにも思います。しかしイスラエルは兵器の力で戦うのではなく、全能の神の力で戦うのです。
四十年前の斥候の一人だったヨシュアが当時[彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主【ヤハウェ】が我々と共におられる。](*3)と言ったことが、この日に実現しました。奪った兵器の破却は、人の手で作った兵器に頼った者たちは神の力に頼って戦う者たちに敗れるのだということを、カナン人はもちろんイスラエル人にも示すためのものでしょう。

こののちヨシュアはカナン北部の盟主ハツォルを占領し、王を処刑したあと住民を全滅させて町を焼き払いました。さらにハツォルに同調した諸都市もすべて占領し、王もろとも滅ぼし尽くしたと記録されています。焼き払ったのはハツォルだけで、他の町の分捕り物と家畜はイスラエルの人々が自分の所有としましたが、罪深いカナン人についてはかつてモーセが命じた通り[息のある者は一人も残さなかった]のです。

この戦いによって[ヨシュアの占領地は、この地方全域である。すなわち、山地、ネゲブ全域、ゴシェンの全地域、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ、すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガドまでである。]という結果になりました。

というと、この一戦ですべてが決したかのようですが、[ヨシュアとこれらすべての王たちとの戦いは長い年月にわたり]とも記録されています。
聖書はしばしば、時間の経過に沿った記録になっていないことがあります。報告書として記録された軍記ではなく、「つまるところ神は何をしたのか」を伝えるものだからです。
そしてつまるところ、イスラエルの属国となったギブオンの人々を除いて、カナン人は滅ぼされたというわけです。

ここでヨシュア記は興味深いことを語っています。[彼ら(カナン人)の心をかたくなにしてイスラエルと戦わせたのは主【ヤハウェ】であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた。]というのです。

まるで「カナン人が滅ぼされたのは、ヤハウェが彼らを滅ぼされるべき者であるようにしていたからだ」というかのようですね。
ある意味、そうなのです。ヤハウェがイスラエルをカナンに連れ戻したのは、滅ぼさなければならないほどに罪が極まったカナン人たちを討つためでした。(*4)
つまり、すでに判決が定まり、刑が執行される時がきていたのです。ノアの洪水の時にヤハウェは罪深い者たちを討つために水を使いましたが、今回カナン人を討つためにはイスラエルを使ったということです。
もしカナン人の罪が極まる前に彼らが心を入れ替えていたなら、判決が下る前にそうしていたら、ヤハウェは彼らをかたくなにすることはなかったでしょう。(*5)

同じようなことが、イスラエルがエジプトを出るときにもありました。ヤハウェはファラオをかたくなにしたので、ファラオはどんなに災厄が国を襲っても頑迷なままだったのです。ヤハウェがファラオをかたくなにするとか、かたくなにしたという表現が、出エジプト記の中だけで14回も出てきます。


勝利の記録(12章)

こうして[この地方全域を獲得し]たイスラエルですが、版図として制圧し続けるには、兵力もとぼしく、装備も命令系統も貧弱でした。イスラエルはこの後も長くカナン人と戦うことになります。

しかし神の目には、勝利はすでに定まったことでした。
それで11章は[この地方の戦いは、こうして終わった。]で結ばれています。続く12章は、イスラエルが討ち取ってきた王たちのリストです。まだモーセが存命だったころにヨルダン川の東で討ち取った王たちから、ヨシュアの代になってヨルダン川の西側で討ち取った王たちまで、一覧になっています。
これは、神の救いや約束というものが、何か抽象的あるいは精神的なものではなく、具体的な現実であることを証言するものでもあるといえます。


*1 民数記13章28~14章1。⇒民数記第7回

*2 メロムの水場とは「高地の水」の意味。ガリラヤ湖の北西15kmに位置する現在のメイロンと考えられています(遺跡が発見されていないため違うのではという説もあります)。このメイロンはガリラヤ湖の水源でになっています。余談ですが、第四次中東戦争でイスラエルがシリアから攻め取ったゴラン高原は、日本では自衛隊がPKO派遣されたことでも知られていますが、現代イスラエルにとっても重要な水源で、筆者がイスラエルに行ったときも「ゴランの水を守れ」との横断幕を見ました。

*3 民数記14章9

*4 かつてヤハウェはアブラハムに、アブラハムの子孫が異国に行った後、アモリ人(ここではカナンの諸部族の総称)の罪が極みに達したときに帰ってくると予告していました。→創世記15章16、本誌サイト創世記第22回

*5 ヨナ書の全編を参照。ここではヤハウェが罪深い都市ニネベを滅ぼす前に、ニネベの人々は王から下々に至るまで心を入れ替えたので、ヤハウェは裁きをとりやめた。この事態にユダヤ人ヨナが驚いたとき、ヤハウェは[どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。]と答えている(同書の最終節)

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#154
作成:2006年7月25日

布忠.com