ヨシュア記 第10回

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カナン南部の戦い(10章)

イスラエルの連戦連勝に加えて、ギブオンなどが戦わずにイスラエルに降伏したという事態に、エルサレム(*1)の王は「非常に恐れた」と記録されています。
なにしろギブオンは[アイよりも大きく、王をいただく都市ほどの大きな町であり、その上、そこの男たちは皆、勇士だった]のです。そんなギブオンが、戦うどころかみずから望んで「奴隷でもいいからイスラエルの下で生き延びる」という選択をしたのです。

その昔アブラハム一族がカナンで有力豪族となったとき、地元の王の求めにより友好条約を結んだこともありました(*2)。けれどそのときは相手は領土的野心もない遊牧民だったのが、今回のイスラエルは、すでに有力な都市を制圧しあるいは属国にしているのです。

おそらくエルサレムは、ギブオンと同盟してイスラエルに当たるか、少なくともギブオンがイスラエルの兵力を多少なりとも弱めてくれることを期待していたでしょう。それがこの事態。
エルサレムの王アドニ・ツェデクは、カナン南部の王たちに援軍を要請し、五王の連合軍(*3)となって、まずは裏切ったギブオンを討つべく集結しました。これを受けてギブオンも、ギルガルに宿営するヨシュアに援軍を要請。

イスラエルはいわばギブオンの宗主国である上に、[我々はイスラエルの神、主【ヤハウェ】にかけて彼ら(ギブオン人)に誓った。…彼らを生かしておこう。]という決断をしていました。ヨシュアとしては、「ヤハウェは救い」を意味する自分の名にかけても、ギブオン人を救わないわけにはいきません。迷わず全軍を率いて出陣しました。

ギルガルからギブオンへは直線距離で約30kmですが、曲がりくねった道で、しかも高低差1000mというかなり急な上り坂。しかしイスラエル軍は夜通し行軍するとそのままアモリ軍を急襲。さらに[主【ヤハウェ】はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられた]ということもあり、アモリ人側は大打撃を受けました。
しかも、壊走するアモリ人の上にヤハウェが[天から大石を降らせた]と記録されています。すぐあとの記録に[雹【ひょう】に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった。]とありますから大石=雹のようですが、それにしてもイスラエル兵に殺された以上の死者とは。まさにこの戦いはイスラエルの戦いではなくヤハウェの戦いでした。

このあとに興味深い記録があります。ヨシュアがヤハウェをたたえて

日よとどまれギブオンの上に
月よとどまれアヤロンの谷に。

と言うと、

日はとどまり
月は動きをやめた
民が敵を打ち破るまで。

と記録されているのです。

つまり地球の自転が24時間にわたって停止したということです。
丁寧に[主【ヤハウェ】がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。]と記されているくらいですから、ヨシュア記の著者にもこれがとんでもない奇跡だという思いはあったようです。筆者は神にそれが不可能だとは思いませんが、もしこれが事実だとするとすごいことになりそうです。

筆者は理系にはかなり不案内ですが、それでも思いつくままに挙げると、まず慣性の法則で地球上のすべては自転と同じスピードで移動しているわけで、その速さは赤道付近なら24時間で地球を一周するスピードということになります。自転が急停止したとすると、地上のすべてが東に向かって吹っ飛ぶでしょう。海水も動揺の動きをするなら、すべての大陸の西海岸が大津波に襲われます。ふたたび自転が始まったときは、すべてが今度は西向きに吹っ飛ばされ、すべての大陸の東側で大津波です。
自転が停止している間は、気温も海水温度も昼側が太陽に温められ夜側が冷えて、対流がおこって全地球規模の大嵐になるんじゃないでしょうか。

このような大災害があったとは、考古学から報告されていないようです。
おそらくこの奇跡はおこらなかっただろうという説もあります。ヨシュアの言葉に続く記録の部分も詩文調になっていることから、この部分全体があとから付加された賛歌のようなものだろうと。

他の奇跡の記録と同様、この箇所をどう読むかは読者のみなさんの自由ですが、太陽と月が止められるということに一つの意味があります。アモリ人は太陽神や月神を信仰していたのですが、アモリ人が頼りにする太陽や月が動きをとめたためにアモリ人が逃げも隠れもできずに討たれていったということは、太陽神や月神がヤハウェに敗北したというストーリーになっているのです。
これは自然崇拝から発生した偶像神に、自然を創造したヤハウェが勝利するということです。モーセがファラオの目の前で、エジプトの母なる川ナイルの水を血に変えたり、エジプト人の神々の一柱であるカエルによる災厄を起したりしたことにも通じるわけです(*4)。

この奇跡の直後、10章15に、ヨシュアが全軍を率いてギルガルに戻ったと記録されていますが、その後に戦いの記録がまだあって10章の最後にまたギルガルに凱旋した記録があります。10章15は、記録の混乱でないとするなら、帰趨が決したというか、ブッシュ米大統領ふうにいえば「大規模な戦闘は終結した」という程度の意味でしょう。

このあとイスラエルは、洞穴に逃げ込んだ5人の王をそのまま監禁すると、敗走兵を追討。アモリ人はごくわずかの敗残兵以外は全滅させられたと記録されています。イスラエル軍がマケダ(エルサレムと地中海の中間あたりにあった)に対峙する陣営に帰還した頃には、カナン南部には[もはやイスラエルの人々を中傷する者はなかった。]つまりあえて敵意を表明しようなどと思う者はなかったと記録されています。
ヨシュアはこのマケダ前の陣営で五王を処刑したのち、マケダの町も滅ぼしました。さらに五王の根拠地を攻撃して留守居の部隊もろとも全住民を滅ぼしていき、カナン南部の[全域を征服し、その王たちを一人も残さず、息ある者をことごとく滅ぼし尽くした。]と記録されています。

全滅させたという表現も何度か出てきて、今回の出撃でカナン南部を完全制圧したかのようですが、実際にはこの方面を完全にイスラエルの版図とするには、このあとまだ長い年月がかかります。とはいえ、南部カナンの中でも有力だっただろう五王がまとめてギブオンで敗北したために、かなり効率的に戦争を進めることができたのは事実でしょう。
一回の出撃でこれだけの成果をあげることになったのも、やはり[イスラエルの神、主【ヤハウェ】がイスラエルのために戦われたからである。]とヨシュア記の著者は記しています。

10章の最後に[ヨシュアは全イスラエルを率いてギルガルの陣営に凱旋した。]と記録されています。そしてこの結果を受けて、カナン北部の王たちも危機感をつのらせることになります。


*1 聖書にはじめて「エルサレム」が出てくるのがここですが、創世記14章18に出てくる「サレム」がエルサレムと同じ地をさすと考えられています。→創世記第21回

*2 アブラハムもイサクも、ゲラルの王アビメレクと条約を結んだ。創世記21章と26章を参照。→創世記第28回創世記第34回

*3 [アモリ人の五人の王][山地に住むアモリ人のすべての王たち]と表現されています。旧約聖書では、はじめはカナンの諸民族の総称として、のちには南部カナン人を指して、アモリ人と呼んでいます。アブラムの時代には、前述のメソポタミア四王との戦いではアブラムと同盟を組んで戦いました。
エルサレム以外の4都市については、ヘブロンは創世記にも出てくる歴史ある土地。ヤルムテは「丘」の意味で、地形を利用した堅固な要害。ラキシュはエジプトに向かう幹線道路沿いにあり、交易で栄えていたと考えられる。エグロンは、エルサレムの南西約45kmにあったラキシュからさらに西約11kmのところにあり、ギルガルからはけっこうな長征だったことがうかがえます。

*4 モーセがエジプト人の信仰するものを敗北させたことについては→出エジプト記第6回

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#153
作成:2006年7月9日

布忠.com