ヨシュア記 第9回

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戦いの後(8章30~9章)

戦勝記念

アイの戦いのあとについて聖書は[そのころ、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主【ヤハウェ】のための祭壇を築いた。](8章30)と記録しています。
今日「エバル山である」と考えられているジェベル・エスラミエ山は、アイと考えられている遺跡から二日ほどかかる距離にあります。9章6には、イスラエルがまだギルガルを根拠地としていたことが書かれていますから、「そのころ」とは、ギルガルを中心にエリコやアイを含むあたりを勢力圏として確保したころ、ということでしょう。

この祭壇は、今は亡きモーセが「エバル山に祭壇を築き、生け贄をささげてヤハウェの前で喜び祝え」と命じていた言葉によるものです。モーセの言葉に従って、鉄器で加工しない自然のままの石を組んで祭壇を築き、そこで生け贄を焼き尽くす奉納と和解の奉納とをおこないました。
そのあとのことも、ヨシュアはモーセの命じたとおりに行ったことが記録されていますので、この箇所は申命記27章(*1)とあわせて読むと様子がよりよくわかります。
全会衆(女や子供、寄留の異邦人まで含めて)が二手に分かれ、ルベンなど6部族がエバル山の前に、シメオンなど6部族はエバル山の南にあるゲリジム山(*2)の前に立ちました。そして[律法の言葉すなわち祝福と呪い]が読み上げられ、民が「アーメン(心からそう思うという意味)」と応えて、その戒律に従うことを誓ったのです。

ギブオン人の知恵

イスラエルがギルガルを中心に勢力圏を確立しつつあるころ、カナンの王たちはどうしていたのでしょうか。
難攻不落のはずのエリコでさえ、エジプトを出てから連戦連勝というイスラエルの情報によって、戦う前から手も足も出なくなっていました。ところが、小さな町アイが一度はイスラエルの撃退に成功したという話しが伝わったためか、王たちが[集結してヨシュアの率いるイスラエルと一致して戦おうとした]と書かれています。

その一方、ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト・エアリムといった町々は、戦うよりもイスラエルに降って生き延びることを考え、使者を出したのです。
といっても、イスラエルのカナン征服がただ「安住の地」を求めることなら、イスラエルの支配下での存続も可能かもしれませんが、実際は神ヤハウェによるカナン人とその偶像崇拝の絶滅のためにイスラエルがもちいられているので、イスラエルはヤハウェから[彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。]と命じられているのです。(*3)
でもそのこともギブオン人たちは知っていたようです。彼らが恐れていたのはイスラエルそのものというより、イスラエルと共にある強力な神でしたから、そのあたりのことは情報を入手していたのでしょう。イスラエル側もヨルダンを渡る以前からモーセがエバル山やゲリジム山をよく知っていたように、意外と情報戦の面もあったのかもしれません。とにかくギブオン人たちは、無理を承知でなんとかイスラエルに同盟を結ばせようと、知恵を絞りました。その結果彼らは、どこの誰とは明らかにしないまま、遠くから、つまり聖絶の対象であるカナン人ではないふうを装ったのです。

ギブオンはギルガルから30kmほどの距離ですが、使者たちは古靴や着古した外套をまとい、長旅をアピールするためにひからびたパンや破れたぶどう酒の皮袋まで用意して、ギルガルに着くと「あなたの神ヤハウェの御名を慕ってはるかな遠い国から参りました。ヤハウェがエジプトやヨルダンの東でしたことを伝え聞いて、不戦協定を結びたいのです」と求めました。

これにヨシュアも長老たちもだまされてしまいました。[ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保障する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。]と記録されています。しかもうかつなことに、[主【ヤハウェ】の指示を求めなかった。]のです。

使者たちがカナン人であることが露見したのは、早くも三日目のことでした。
すると、聖絶するべき者たちにヨシュアと指導者たちが保護を約束したことで、イスラエルの民の中に騒ぎが起こりました。エリコで滅ぼし尽くすべきものを滅ぼさなかったアカンがわざわいをもたらしたのを経験したばかりですから無理もありません。

しかしだまされて軽はずみにした誓いでも、誓いは誓いです。当時は条約を結ぶにあたっても両国の神の名を記して神々を証人とするのが流儀でしたから、詳しくは記録されていませんがヨシュアたちもヤハウェの名において誓ったことでしょう。だとすれば、虚偽にもとづくものであっても誓いを破るわけにはいきません。(*4)
事実、この誓いが有効だからこそ、のちの時代にイスラエル王国の初代の王サウルがギブオン人を殺したことでヤハウェはイスラエルに飢饉をもたらします(*5)。軽はずみに誓いをしてはならないということです。

聖書はむしろ、ギブオン人たちを卑怯とはせず[賢く立ちまわった]と評しているのが、おもしろいところです。町といってもギブオンはアイより大きく、男たちはみな勇士であることが知られていましたが(*6)、イスラエルを守る神のことを考え、あらがうよりも降ることを冷静に判断したのです。

彼らのしたことは、他のカナン人から見れば裏切りかもしれません。しかし聖書の史観に立てば、カナン人はみずからの罪のために滅ぼされるべき者。たとえるなら、立てこもった強盗のうち警察のよびかけに投降した者に向かって、投降しない者たちが卑怯だと言うようなものです。

もちろん、強盗が投降したからといっても無罪になるわけではありません。ギブオン人たちは結局、露見したあとイスラエル人の奴隷としてのみ生き延びるのを許されることになりました。それでも彼らはとにかく生き残り、奴隷としてではあってもモーセ律法で人権を保障され(*7)、前述の通り後代までも保護されるべき者となりました。エリコ人が罪のために滅ぼされるときに遊女ラハブとその一族がイスラエルの側に降ったことを思い出させます。

それにしても、勇士の町ギブオンがイスラエルに降ったことは、周囲に影響を与えることでした。ギブオンに近い町の王たちが、裏切ったギブオンを討ちに出たのです。これをきっかけに、パレスティナ南部の情勢が動き始めます。


*1 祭壇を築くことについてのモーセの指示の全文は申命記27章4~8を、律法の朗読と応答については同書27章9~26を、律法を守るときに約束される祝福と、律法に反したときに約束される呪いとは同書28章を参照→当サイト申命記第13回

*2 のちにサマリア人がこのゲリジム山に神殿を建てていたことが歴史家ヨセフスによって記録されている。サマリア人とはイスラエル王国分裂後の北王国を祖とする人々で、征服者によって異邦人との雑婚が進められたため、南王国を祖とするユダヤ人から差別されエルサレム神殿でヤハウェを礼拝することもできなかったことから、ゲリジム山で過越祭をおこなっていた。このことが、イエス・キリストと語らった「サマリアの女」の記録の背景にあり、ヨハネ福音書4章20にある「この山」はゲリジム山を指すと考えられる。

*3 申命記7章1~4

*4 イエスの時代にも、ヤハウェにおいて誓うことが行われていたが(マタイ福音書23章16~22)、そもそも誓いを立てることが人間の分を超えることであるとイエスは教えている(同書5章33~37)。 虚偽にもとづくものでも有効となることについては、創世記27章も参照→当サイト創世記第35回

*5 サムエル記下21章1~14

*6 ヨシュア記10章2

*7 イスラエルにおける奴隷の保護については、奴隷制度についても参照ください。

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#152
作成:2006年6月4日

布忠.com