ヨシュア記 第8回

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アイ攻略(7章~8章29)

不心得者

神ヤハウェの奇跡によって、エリコを攻略したイスラエル。[男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。]という戦い方は、今日の私たちの意識から考えると非情すぎるように思えます。
また、一神教の正義とは何なのかという疑問も出てくると思います。聖書に記されている、神の命令による絶滅のことを、キリスト教用語で聖絶【せいぜつ】と呼んでいますが、クリスチャンであっても聖絶の箇所を読んで戸惑う人は少なくありません。

しかしそもそも、私たち人間はすべて聖絶されるしかない存在なのです。ただ、キリストであるイエスが、十字架という祭壇で、いけにえの小羊として殺された瞬間から、誰であってもキリストを信じることで聖絶をまぬがれることができるようになりました。(*1)
エリコの戦いはキリストの十字架よりもずっと昔のことではありますが、それでも神ヤハウェは人が滅びないことを望む神であり(*2)、望めばラハブのように神の民に入ることも許されました。ヤハウェがエリコの城壁を崩したのが7日目であったのも、ノアノ洪水が最終予告から七日目であったのと同じように(*3)、猶予期間を与えたということではないかと思います。

ですが結局、ラハブとその一族以外は、人間がつくった城壁を頼りにしてエリコにとどまる事を選んだために、滅ぼされたのです。
ヤハウェが滅ぼすべき者を滅ぼすための戦いで、イスラエルのための戦いではありませんから、古今東西を問わず戦争に参加した者の権利とされてきた略奪も許されていませんでした。戦闘前に[あなたたちは…滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主【ヤハウェ】にささげる聖なるものであるから、主【ヤハウェ】の宝物倉に納めよ。]と命じられていたのです。

ところが、イスラエルも60万人もの兵士の中には不心得者もいました。ユダ族のゼラ氏族ザブディ家のアカンという男が、分捕り物を私していたのです。

アイの戦い

イスラエルは、エリコの次にアイを攻めようとしました。エリコの西北西約18キロ、エリコから975メートルのぼったところにあったとされる、やはり城壁で囲まれた町です。(*4)

ヨシュアはアイに数人の偵察を送りましたが、その報告は[全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。]というものでした。
この報告を受けてヨシュアは、約3千の兵を選抜して攻め上ったのですが、結果は無残なものでした。イスラエルは敗退し追撃され、下り坂を逃げるうちに36人が殺されたのです。
この結果を受けて[(イスラエルの)民の心はくじけ、水のようになった。ヨシュアは衣服を引き裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、頭に塵をかぶった。]と記録されています。服を裂き、塵あるいは灰をかぶるというのは、最大級の絶望や悲しみの表現です。

小なりとはいえひとつの都市を攻略しようとして36人程度の戦死者でおおげさな、と思われるかもしれません。しかしことは重大でした。イスラエルがただ生き延びるために戦っているだけなら、時には時運つたなく敗れることもあるかもしれません。しかしイスラエルにおいては戦うのは神ヤハウェなのです。
事実、これまでイスラエルは敗北を経験していません。ヤハウェはあの大いなるエジプトさえも手玉に取った神なのです。とすれば考えられることは、イスラエルが負けることがヤハウェの心だったということでしょうか。ただ敗北が衝撃なのでもなく、戦死者が出たことが衝撃なのでもなく「ヤハウェがイスラエルを捨てたのか?一体なぜ?」という衝撃なのです。
それに、難民同然のイスラエルが勝ちつづけるのは「イスラエルとともにある神」の力によることは周囲の諸部族も知るところでした。今日は36人の戦死者で済みましたが、この敗北で「あの強力な神がもうイスラエルに味方していないぞ」ということが知れ渡れば、全滅させられるのは必定。

ヨシュアは[ああ、わが神、主【ヤハウェ】よ。なぜ、あなたはこの民にヨルダン川を渡らせたのですか。わたしたちをアモリ人の手に渡して滅ぼすおつもりだったのですか。]と絶叫的な祈りをぶつけます。エジプト脱出以来、ヤハウェを信頼せず何かというと不平不満をつぶやいたイスラエル人と同じようなことばですが、意味がまったく違います。ヤハウェを完全に信頼していたからこそ、ヤハウェの心がわからなくなっているのです。

それにしてもなぜイスラエルは敗れたのでしょうか。
偵察の報告やそれを受けてのヨシュアの判断に誤りがあったのか?しかしアイの全住民は一万二千人だったとありますから、出陣可能な戦力や城壁の規模について偵察やヨシュアの判断に大きな誤りはなかったと思われます。
事実、ヨシュアの祈りに対するヤハウェの答えは、戦略的な事柄ではありませんでした。[イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。]というのです。

つまり、ヤハウェがアイのカナン人を聖絶するためにイスラエルをもちいるはずだったのが、ヤハウェがイスラエルを聖絶するためにアイをもちいることになっていたのです。
ヤハウェがイスラエルの神になったのは、イスラエルが正しかったとか、何か功績があったからではありません。イスラエルが何者であるかに関係無くヤハウェは神であり、その神が一方的にイスラエルに目をとめたから今までの関係があったわけで、イスラエルがヤハウェとの契約に違反するならその関係は解消となってしまうのです。

しかしヤハウェは、イスラエルがヤハウェとの関係を回復できると示します。イスラエルの中の「滅ぼし尽くすべきもの」を除き去るなら、再びイスラエルと共にあるというのです。では誰が、聖絶されるべき者なのか。
ヤハウェは翌朝に、部族ごとに、氏族ごと、家族ごとに進み出て、ヤハウェの指摘を受けよ(*5)と命じました。そして[指摘されたなら、その人は財産もろとも火で焼き尽くされねばならない。彼は主の契約を破り、イスラエルにおいては愚かなことをしたからである。]と。

神明裁判

翌早朝、ヨシュアがイスラエルを部族ごとに進み出させるとユダ族がヤハウェの指摘を受けました。さらにユダ族のゼラの氏族が、そしてゼラのザブディ家が、ザブディ家のアカンが、指摘を受けたのです。

ヤハウェが(一時的にせよ)イスラエルと共にいることをやめ、そのためにイスラエルが初めて敗北し今も危険な状況にある、その原因がアカンであることが明らかにされたのです。しかしヨシュアの口調は、アカンを責めるようなものではありませんでした。[わたしの子よ。イスラエルの神、主【ヤハウェ】に栄光を帰し、主【ヤハウェ】をほめたたえ、あなたが何をしたのか包み隠さずわたしに告げなさい]と。

もし筆者だったら「なんてことをしてくれた。お前のせいで、全イスラエルが聖絶されるべき者となったのだぞ」とアカンの首をしめているところです。しかしヨシュアは、みずからの過ちのためにこれから聖絶されなければならないアカンに、絶たれるにしてもヤハウェを呪いながらではなく罪をみとめてヤハウェを賛美するようにと教えるのです。(*6)

この局面に至るまで自分から名乗り出ようとはしなかったアカンでしたが、ヨシュアの情に応えるように[わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました。](*7)と告白します。そしてシンアル(バビロニア)製のイケてる上着一枚、銀200シェケル(約2.4Kg)、重さ50シェケル(約0.5Kg)の金の延べ板を、自分のテントの下の地中に隠していることを白状したのです。

人々が行ってみると、自白のとおりだったので、それを[主【ヤハウェ】の前にひろげ]ました。こうしてようやく、[すべて主【ヤハウェ】にささげる聖なるものであるから、主【ヤハウェ】の宝物倉に納めよ。]という命令が実行されたのです。
一方、アカンは全財産はもとより家畜や、息子娘もろともに、谷で石打ちにされ火で焼かれました。アカンによってイスラエルに災いがもたらされ(アカル)、ヤハウェがアカンに災いをもたらしたということで、この地はアコルの谷と名づけられました。(*8)

アイ再戦

今や、イスラエルは「聖絶されるべきもの」ではなくなりました。ヤハウェは[恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。エリコとその王にしたように、アイとその王にしなさい。]と宣言します。
今になって考えて見れば、最初にアイに攻め込む前にこの宣言がなかったことは、その時ヤハウェがともにいなかったことを表していたのでしょう。

今回は[分捕り物と家畜は自分たちのために奪い取ってもよい。]と許可されています。つまり、聖絶にはエリコの時のように、そこに住む者の罪のゆえにその所有物まで滅ぼされるべき厳格な聖絶と、所有物までは滅ぼすに及ばない聖絶とがあるのです。(*9)
ただし、どちらの聖絶を適用するかを判断するのは、裁く権能を持つヤハウェです。アカンが聖絶されることになったのは、この判断を自分がしたため、つまり自分を神ヤハウェと等しい者としたためだったとも言えます。

また、ヤハウェがヨシュアに[あなたは、町を裏手からうかがうように伏兵を置け。]と指示しています。神がここまで具体的な戦術を示すというのも興味深いですが、エリコの時に「6日のあいだ城壁を周回し、7日目に呼ばわれ」と命じたのも戦術の指示と考えることができます。
ヨシュアは指示に従って全軍、つまり約60万人を率いてアイの北側の坂の上り口に進軍し、うち5千人をアイの西側、ベテルとの間に伏兵として配置しました。

イスラエルの動きを見たアイの王は、全軍を率いて北側に出陣。
全住民で1万2千というアイの出陣可能な人数を考えれば、イスラエル全軍はおそらく雲霞のごとく大軍に見えたことでしょう。しかし、ほんの18km先でエリコが滅ぼされるのを見て、しかもエリコほどの城壁ではないアイにとっては、篭城は選択できません。というより、座して死を待ったエリコ人の惰弱に比べれば、先日の圧勝があったとはいえ出陣したアイ人は勇猛。それもイスラエル全軍に挑むとあって、窮鼠の勢いだったと想像できます。
しかしヨシュアは冷静でした。アイ軍が出てくるとイスラエルは退却戦を演じつつ敵を町からおびき出したのです。[イスラエルを追わずに残った者は、アイにもベテルにも一人もいなかった。]とありますから、ベテルからも援軍が(伏兵している5千人に気づかずに)アイに来ていたようです。

頃合や良し。ヤハウェの指示でヨシュアが合図に投げ槍をかかげると、伏兵が立ち上がってアイに侵入。アイ軍が振り返ると、町から煙が天高く立ち昇っていたのです。アイ-ベテル連合軍は、向き直ってきたイスラエル軍本体と町から出てきた伏兵とにはさみうちにされ、[生き残った者も落ちのびた者も一人もいなくなるまで打ちのめされた]のです。
ただ王だけが生け捕りにされましたが、処刑され木にかけてさらされたあと、日没前に木からおろされました(*10)。申命記21章23によれば、木に吊るすることで神に呪われたことを表すので、イスラエルとアカンにもたらされた災いをアイに移すという表明かもしれません。


*1 聖絶についてはヨシュア記シリーズの第2回でも書きましたが、少し補足します。
ヨハネ福音書3章18節に[御子【キリスト】を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。]とあります。また、この裁きが行われるのは世の終末のときで、裁くのはキリスト自身です(ヨハネ黙示録20章12~15)。
十字軍など、キリスト教の歴史は神の名を騙っての殺戮や略奪、つまり聖絶のまねごとの歴史でもありますが、人がキリストに代わって他者を裁くことは許されていませんし(ルカ福音書6章37)、キリストの十字架によって聖絶は無用になっているのです。

*2 [ある人たちは、(終末の到来が)遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。]ペトロの手紙ニ3章9
[神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。]ヨハネ福音書3章16

*3 [主はノアに言われた。「…七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」…七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。]創世記7章1~10
当サイトの創世記第13回およびなぜ神は人を試すのかも参照ください。

*4 アイは創世記12章8にも出てくる聖書中でも古い町ですが、正確な事はよくわかっていません。考古学的にはエリコの西北西18キロにある遺跡が紀元前3000年頃に建てられたことがわかっていますが、ヨシュアによるカナン侵入が紀元前13世紀頃と考えられるのに対し、この遺跡は紀元前2000年頃に滅びています。このため、アイの戦いとは士師記1章22~に記されているベテルの戦いのことではないか(ベテルはアイから3キロの至近)とか、ベテル人がイスラエルをアイの廃墟で迎え撃とうとしたのではないか、あるいは聖書に書かれていることはアイの廃墟を説明するためにつくられた物語ではないか、などの説があります。

*5 ヤハウェの指摘を受けるとは、別の訳では「主【ヤハウェ】がくじを当てられる」とあります。箴言16章33に[くじは膝の上に投げるが/ふさわしい定めはすべて主から与えられる。]とあるように、聖書では籤【くじ】は偶然が決めるものではなく神意を表すものです。大祭司が持っていたウリムとトンミムというもの(民数記27章21や出エジプト記28章30などに出てくる)がくじの道具と考えられていますが、形状や使われ方は不明です。また、ヤハウェが預言者を通して直接ことばで伝える時代には使われなくなったようです。

*6 人は死んですぐに天国か地獄かに行くのではなく、*1に前述の通り裁かれるのは終末の時であり、それまでは陰府【よみ】にとどまります。(前述の通りキリストの十字架以後はキリストを信じた者は裁きをまぬがれますので、ルカ福音書23章43から死後ただちに天国に移されると考えられます)
ヨシュアがここでアカンに悔い改めをすすめる言いかたをしているのは[安らかに陰府におもむく](ヨブ記21章13)ため、また人が陰府にくだっても共にいて(詩編139篇8)、人を陰府から引き上げることもなさるヤハウェ(サムエル記一2章6、詩編30編4、同書86篇13)に立ち戻るためであるとも思われます。ただし、死後の復活と裁きについて明白に語られているのはヨシュア記よりずっと後代のダニエル書12章2で、旧約時代にどのように理解されていたかよくわからないところもあります。

*7 「確かに」と訳されている言葉は、「アーメン」と同義語。ヨハネ福音書3章3でイエスが[まことに、まことに、あなたに告げます。](新改訳)と言っているのもギリシャ語底本では「アーメン、アーメン」であるように、「しっかりした/信頼できる」という語根の言葉。

*8 ヘブライ語のアコルはアーカル「災いをもたらす者/悩ます者」の派生語。渦中の人物の名前「アカン」も同じ意味で、歴代史上2章7では彼は「アカル」と呼ばれている。本名だとすれば、彼の親カルミはなぜこのような名前をつけたのだろうか。ベニヤミンが生まれる時、難産のためか母ラケルはベン・オミ(わたしの苦しみの子)と名づけようとしたが(創世記35章18)、アカルも難産の末に生まれたのかもしれない。それとも今回の事件のゆえに、死後にアカン(アカル)とあだ名されるようになったのだろうか。

*9 申命記2章34-35や同書3章6-7も、所有物は聖絶の対象にならないケースだった。

*10 申命記21章22~に[処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。]
細かい話をすれば、ヨシュア記で死体を木からおろしたのが[太陽の沈むころ]とあるのは、「その日のうちに」という戒律と日没で日付が変わることを考えると「太陽の沈みきる前」だったことがわかります。

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#151
作成:2006年5月5日

布忠.com