ヨシュア記 第5回

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向こう岸へゆこう(3章~5章1節)

黒人霊歌と呼ばれる音楽を御存知でしょうか。アメリカに連れてこられて苦労していた黒人たちが、自分たちのおかれた状況をキリスト教信仰に結びつけて歌にして行ったものです。その中に「ヨルダン川こえて」という一曲があります。

ヨルダン川こえて 向こう岸へゆこう
約束の御国へ 共に行こう
間もなく この世の旅路は終わるだろう
毎日待つばかり あの日を待つばかり
友よ、あの岸へ行こう
光は、あの岸辺に
自由は、あの岸辺に
やすらぎも、あの岸辺に
ああ、光は、あの岸辺に
自由は、あの岸辺に
やすらぎも、あの岸辺に

苦しみしかないようなこの世を離れて、キリストが約束した天国へいつの日か着くことを期待する歌です。日本人で言えば此岸から彼岸へという感覚でしょうか、そんなふうに引き合いに出されるほど「ヨルダン川を越える」というのはイスラエルにとって大事件でした。流浪の民が、数百年の昔にアブラハムに約束された土地へ入ろうというのです。

命令

斥候の報告を受けたヨシュアは、イスラエルを率いてシティムの宿営地を出発し、ヨルダン川のほとりにつきました。そしてそこで三日のあいだ野営したのち、民に布告しました。

あなたたちは、あなたたちの神、主【ヤハウェ】の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、今いる所をたって、その後に続け。契約の箱との間には約二千アンマ【約890m】の距離をとり、それ以上近寄ってはならない。そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる。

しかし目の前はヨルダン川で、橋も見当りません。
ヨルダン川は、北のヘルモン山からガリラヤ湖を経て死海にそそぐまで約400km流れるあいだに約800mの高低差があります。平均すれば1kmで2m、流れがゆるやかな箇所もあったでしょうが、ヨルダン(「下る流れ」という意味)と名づけられるからにはそれなりの勢いがあったことでしょう。しかも聖書には[春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた]と記録されています。この時期はヘルモン山の雪解け水と、春の雨(*2)によって、水かさが増すのです。
子供や家畜を連れ、テントなどの家財道具をかついで、どうやってこの河を越えるのか。しかしヨシュアはそれについては説明せず、ただ[自分自身を聖別せよ。主【ヤハウェ】は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。]と宣言しただけでした。

一方ヨシュアは、祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命令、これに従って祭司たちが契約の箱をかついで出発しました。
するとヤハウェはヨシュアにこう言ったのです。

今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。

これによってヨシュアは、ヤハウェが何をしようとしているかを悟り、全イスラエルに「ヤハウェの言葉を聞け」と命じてこう告げました。

これから起こることは、生ける神があなたたちの間におられて、パレスティナの諸民族をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることの証拠となる。見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。ヤハウェの箱をかつぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。

渡河

イスラエル全体が身を清めて翌日を迎えると、民の先頭に立って、契約の箱をかつぐ祭司たちが前進しました。
そして祭司たちの足がヨルダン川の水に一歩入ると、[川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ]たと記録されています。[一度も通ったことのない道]が現れたのです。
祭司たちが箱をかついでヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、200万人以上とも言われる全イスラエルが干上がった川床を渡って向こう岸へ渡っていきました。
みんなが渡り終えてから、川の真中に立っていた祭司たちも岸に上がりました。そして[彼らの足の裏が乾いた土を踏んだとき、ヨルダン川の流れは元どおりになり、以前のように堤を越えんばかりに流れた]のです。

すべてが、モーセに率いられて葦の海を渡ったときと同じでした(*1)。これによって全イスラエルは、ヤハウェがモーセとともにあったようにヨシュアとともにあることを知ったのです。あるいは、それを示すためにヤハウェは同じような舞台を設定したのかもしれません。ともかく、このときから全イスラエルは[モーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った。]と記録されています。

記念碑を建てる

祭司たちも含めてすべてが向こう岸へ上がると、ルベン族、ガド族、それにマナセ族の半分、計4万の武装した軍勢が、モーセとの約束の通り「ヤハウェの箱」に先だってエリコの平野を前進しはじめました。そしてイスラエルは、エリコの町の東にあるギルガルに着いて、そこで宿営しました。

ここにヨシュアは、ヤハウェの指示に従って記念碑を建てています。渡河の前に12部族から1人ずつ選ばれていた代表に命じて、ヨルダン川の真中の祭司たちが立ち止まっていたところから石をひとつずつ拾ってこさせていたのですが、その12の石をギルガルに据えて記念としたのです。

そしてヨシュアは、ヤハウェから告げられたことをイスラエルに伝えました。「いつか子供たちが『この石はどんな意味があってここに立てられてるの?』とたずねるなら、こう教えなさい。『イスラエルのみんながこの川の乾いたところを渡ったことを記念するためだよ。神であるヤハウェがこの川を乾かしてしまったんだ、葦の海(紅海)を渡ったときのようにね。それは世界中の人がヤハウェの力強さを知るためと、神であるヤハウェを君たちがうやまうためだったんだ』と」

この奇跡によってヤハウェは、自身がモーセとともにあったようにヨシュアとともにあることをイスラエルに示し、同時に「イスラエルの神」がどれほど偉大であるかを周辺に見せ付けました。近隣の王たちはこのニュースを耳にして[心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かおうとする者はいなかった。]と記録されています。


ヨシュア記3章~4章の記録についての注意

今回の箇所には、ヨルダン川を渡ったことが3回書かれています。川から石を拾ったことも3回書かれ、しかもその石を記念碑として立てた場所が3回とも異なっています。このためこのページの内容は、ヨシュア記3章~4章を筆者(当サイト管理人)が整理したものになっています。

学者の中には、この部分は異なる3種類の資料をつないだものだと考える人たちもいます。ある意味においてはそうかもしれませんし、そうではないということもできます。

たとえば相撲のTV中継で、生の映像に続いて、向こう正面からの映像が流され、さらにスローモーションの映像が流されたとします。生の映像では画面右に押し出して勝負がついたとすれば、向こう正面からの映像では左に押し出したように見えるでしょう。視聴者は「3種類の異なる映像」を見ているわけですが、でもここで「自分が見たのは3種類の異なる取り組みだった」と考える必要はないし、実際そのように考えるのは(テレビを初めて見た人を除けば)いないでしょう。つまり、自分が見たのは「ひとつのできごと」であることを理解していて、「今見たのは3つの試合で、最初の取り組みでは右に押し出し、次の取り組みでは左に押し出し、最後のではゆっくり右に押し出した」とは考えないでしょう。

聖書の記録も似たようなものです。聖書はしばしば、できごとを時間を追って記録してはいません。
ヨルダン川を渡る場面もそうですし、他にもたとえば創世記では天地創造が2回記録されていて、しかも創造された順番がことなっているように見えます。新約聖書の4種類の福音書にも、同じできごとが少し様子が違って記録されていることがあります。先ほどの相撲の例と同様、大事なのは「どのように記録されているか」ではなく「その記録が読者に知らせようとしている主題は何か」なのです。

ところで、もし筆者が聖書の執筆者あるいは書写した者なら、きっともう少しつじつまがあうように整えていたでしょう。一件、つじつまがあわないように思われることがそのままにされていること自体が、聖書の各巻が「編集という名の改ざん」をされていないことを証言しているように思われます。


*1 モーセに率いられたイスラエルが葦の海(紅海)を渡った時のことは、出エジプト記13章17~15章21を参照。→出エジプト記第12回出エジプト記第13回出エジプト記第14回

*2 3月~4月頃に降る、穀物の収穫を豊かにする雨。他の訳では「後の雨」とも。申命記11章11、ヤコブ書5章7など参照。

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#148
作成:2005年11月23日
更新:2005年12月4日

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