ヨシュア記 第4回

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エリコ偵察(2章)

カナン(パレスティナ)の町エリコ。1929~1936年の発掘調査では「ヨシュア率いるイスラエルが攻め寄せたときに破壊された城壁が発見された」と報告されましたが、この時発見されたものはヨシュアの時代よりずっと古いものであることが後にわかりました。エリコは何度か興亡を繰り返しましたが、紀元前7000年頃にはすでに文化が栄えていたそうです。世界最古の都市のひとつであると言われゆえんです。
そんなに昔から栄えていたということは、このヨルダン川の西の平野が当時は肥沃であったということでしょう。それで防衛のために、この都市は堅牢な城壁(城壁の上に家を建てて人が住んでいるほどの)に囲まれていました。

ヨルダン川の東のイスラエル宿営地から、ヨシュアは二人の斥候をエリコに送りました。
40年前にカナンに入ろうとしたときには、送りこんだ12人の斥候のうち10人が「勝てっこない」と報告したのがもとでイスラエルは神にそむいて約束の地に背を向け、そのためにイスラエルは40年も荒野を彷徨することになりました(*1)。それもあってか今回、ヨシュアは二人をひそかに送り出したと記録されています。

この二人はヨルダン川を越え、エリコの城門が開いているうちに入り込むと、[ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。]と記録されています。ヤクザ映画でよくある、抗争前に「身を清める」などと言って春を買うようなものでしょうか。仮にも神の民と呼ばれるイスラエルの決死隊2人が?
いえ、どうやら彼等は情報収集の目的でこのような場所に身を潜めたようです。時代劇などでも、遊郭で男が女の前で口をすべらせたり、あるいは人目をはばかる密談が交わされたりしますし、古今東西を問わずこういう場所には情報が集まるものなのかもしれません。

しかしエリコ側も、連戦連勝のイスラエルが接近しているとあって警戒していたのか、すぐに官憲がラハブの家を捜索に来て「お前のところに来たスパイを引き渡せ」と命じました。敵地で居場所のばれたスパイの運命やいかに!
ところがラハブは、敵のスパイをかくまい、「その人たちなら、城門が閉まる頃に出て行きました。急いで追いかければ、追いつけるかもしれません」と言って官憲をだましたのです。

なぜラハブはこんなことをしたのでしょうか?
官憲が立ち去った後、ラハブはイスラエルの斥候にこう言いました。

ヤハウェがこの土地をイスラエルに与えたことで、私たちエリコ人は恐怖におそわれています。イスラエルがエジプトを出たときにヤハウェが葦の海を干上がらせたこと(*2)や、アモリ人の二人の王を滅ぼし尽くしたこと(*3)も聞いています。それを聞いたとき、わたしたちの心はくじけ(*4)、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神ヤハウェこそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。

ラハブのところに客に来るエリコの男たちがイスラエルにおびえていたということでしょう。斥候が遊女のところにきたのは正解だったようです。
それにしてもエリコのカナン人がそれほどイスラエルを、いや、イスラエルの神ヤハウェを恐れているとは。40年前の偵察は敵の外見を見て「カナン人は巨人だ。戦えば虫けらのように叩き潰される」と報告しましたが、今回の2人の斥候は敵の内心を知ったのです。ヤハウェが、エジプトのファラオを打ちのめすにあたって言った[わたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。](*5)という言葉のとおりに、今やカナン人はヤハウェの威光を恐れるようになっていたのです。
斥候たちがエリコに侵入するやいなや官憲が探しに来たのも、市民がこれほど恐れている内情がイスラエルに漏れることを警戒してのことだったのかもしれません。

もっとも入手するべき情報を入手した斥候たちが帰ろうとすると、ラハブは彼等に、この情報の代価として自分と一族を助けてくれるように求めました。もちろん二人は否とは言いません。[あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主【ヤハウェ】がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。]と誓いました。

ユダヤ人というと「異邦人(外国人)に非許容的な選民思想の民族」という印象があるでしょうか。そう考えると、敵である異邦人、それも遊女に対してこのように誓うというのは奇異に思えるかもしれません。
アブラハムがヤハウェと最初に契約を結んだとき、アブラハムの奴隷たちもその契約に参加しました。エジプト脱出時にもイスラエル人以外の非エジプト人たちが一緒に来ました。のちにイエスの時代には、ローマ帝国つまり異邦人の支配下にあったせいか純潔性をより強調するようになっていたようですが、それでもユダヤ教に改宗した異邦人はもちろんのこと、公式には改宗していなくてもヤハウェへの信仰のある人なら「神を敬う人々」として受け入れていたのです(*6)。
異邦人が自分たちの宗教を持ち込むなら許容できませんが、ヤハウェを信仰する共同体としてのイスラエルに入ろうという者に対しては排外的ではなかったということのようです。

斥候たちの約束を信じて、ラハブは彼等を逃がしました。エリコの城門は夜の間は閉められていますが、ラハブの家は城壁にあったので、窓からロープをたらして二人をおろしたのです。その時二人は、この窓に真っ赤なひもを結びつけておくようにと言いました。イスラエルがエリコの攻撃を始めたときにそれを目印に、ラハブと一族を助けるというのです。

二人は城壁の外に降り立つと、ラハブの助言に従って、城門が閉まる前に彼等の捜索に出ていった官憲を避けるために三日間、山に隠れました。追っ手は「イスラエルの斥候はヨルダン川方面に向かったはず」と考えたはずですから。
そして追っ手が引き挙げるのを待ってヨルダン川を渡り、ヨシュアのもとに帰るとすべてを報告してからこう言ったのです。

ヤハウェは、あの土地をことごとく、我々の手に渡されました。土地の住民は皆、我々のことでおじけづいています。


*1 民数記13章~14章

*2 出エジプト記14章で紅海を渡ったこと。

*3 ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグはどちらもイスラエルを討とうとして滅ぼされた。→民数記21章

*4 「心がくじけ」…別の訳では「心がしなえて」(新改訳)、「心は消え」(口語訳)。

*5 出エジプト記9章16。

*6 ルカによる福音書7章で、ローマ軍人の隊長の部下が重病になったとき、ユダヤ人の長老たちはイエスのところに来てその部下を治してくれるように頼んで[あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。]と言っている。

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#147
作成:2005年11月8日

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