申命記 第17回

menu

モーセの歌(31章24節~32章47節)

自分の死を目前にして、あとを後継者ヨシュアに託したモーセは、最後に、ヤハウェから教えられた歌をイスラエルの民に歌って聞かせます。

律法を託す

31章9節と24,25節を読むと、モーセはこれまで神ヤハウェから聞いてイスラエルの民に伝えてきたおきてのすべてを、書物に書いてはレビ族に渡し、そしてとうとうすべてを書き終えたようです。
レビ族はイスラエル12部族を代表してヤハウェに仕える祭司の部族です。移動神殿である幕屋を建てたり分解したり運んだりするのもレビ族であり、十戒が記されたあの石版を納める「契約の箱」を運ぶのもレビ族です。その契約のかたわらにこの律法の書を置くようにとモーセは命じ、そしてこう言いました。

わたしが今日、まだ共に生きているときでさえ、あなたたちは主【ヤハウェ】に背いている。わたしが死んだ後は、なおさらであろう。

これを聞いた者たちは「そんなことはない」と思ったでしょうか。それとも自分たちの今までを振り返って「そう言われるのも仕方ない。実際、モーセが死んだら…」と思ったでしょうか。

モーセの歌

自分の死後にイスラエルが何をしでかすかを予告したモーセは、イスラエルに向かってひとつの歌を歌いました。ヤハウェから教えられた、ヤハウェがイスラエルにどのように関わってきたかについての歌であり(*1)、モーセはヨシュアとともにこの歌を民に聞かせたのです。(*2)

新共同訳で4ページに渡る長い歌ですので全文をここに引用はしませんが、聖書をお持ちの方は、ご自分で読んでみてください。
以下、要約を試みます。(詩を要約するというのも難しいですが)

32章の1~3は、この歌の序曲です。天地(とその中の万物)に向かってこの歌を聞けと呼びかけ、[わたしは主【ヤハウェ】の御名を唱える]と賛美します。

4~6節は、この歌のあらすじというか、趣旨です。この歌が予告する災厄は不運な災難でもなく、神の不当ないたずらでもないことを宣言します。抜粋します。

主【ヤハウェ】は岩、その御業は完全で
その道はことごとく正しい。
不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ
その傷ゆえに、もはや神の子らではない。

7~14節は、イスラエルがヤハウェからどれだけの天恵を受けてきたかを歌います。これまでのイスラエルの歴史は、ヤハウェによる具体的な加護の歴史でもあったのです。抜粋します。

遠い昔の日々を思い起こし
代々の年を顧みよ。
あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。
長老に尋ねれば、話してくれるだろう。
主【ヤハウェ】は荒れ野で彼【ヤコブ】を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分のひとみのように守られた。
ただ主【ヤハウェ】のみ、その民を導き
外国の神は彼と共にいなかった。
(ヤハウェはイスラエルを)野の作物で養い
岩から野蜜を
硬い岩から油を得させられた。
彼らは、牛の凝乳(チーズ)、羊の乳
雄羊の脂身
バシャンの雄牛と雄山羊
極上の小麦を与えられ
深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ。

東アジアで言うところの桃源郷のようです。
しかし15~18節では、それほどまでの恵みを受けていながら、イスラエルが恩を忘れヤハウェにそむいたことを告発します。

エシュルン(イスラエル)はしかし、肥えると足でけった。
お前は肥え太ると、かたくなになり
造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。
彼らは他の神々に心を寄せ
主【ヤハウェ】にねたみを起こさせ
いとうべきことを行って、主【ヤハウェ】を怒らせた。

これは恩知らずなだけでなく、契約違反でもありました。
19~25節では、ヤハウェとの契約を破ったイスラエルが受けなければならない罰が予告されます。抜粋します。

主【ヤハウェ】はこれを見て
彼らを退けて、言われた。
わたしは、わたしの顔を隠して
彼らの行く末を見届けよう。
彼らは神ならぬものをもって
わたしのねたみを引き起こし
むなしいものをもって
わたしの怒りを燃えたたせた。
それゆえ、わたしは民ならぬ者をもって
彼らのねたみを引き起こし
愚かな国をもって
彼らの怒りを燃えたたせる。

この予告のとおり、ヤハウェから「わたしの民」と呼ばれたイスラエルは、ヤハウェの民ではない異民族の侵略をうけることになるのです。
しかしそれでも、ヤハウェはイスラエルを愛します。26~42節では、異民族が「イスラエルに勝ったのは自分たちの神々のおかげだ」とするなら異民族に報復するのです。

わたしは言ったであろう。「彼らを跡形もなくし
人々から彼らの記憶を消してしまおう」と。
もし、敵が高ぶり、苦しめる者が誤解して
「我々の手が勝ちを得た
これを成し遂げたのは主ではない」と言うのを
わたしが恐れなかったならば。
もし、岩なる神が彼ら(イスラエル)を売らず
主【ヤハウェ】が渡されなかったなら
どうして(異民族の)一人で(イスラエルの)千人を追い
二人で万人を破りえたであろうか。
わたしが報復し、報いをする
彼らの足がよろめく時まで。
彼らの災いの日は近い。
彼らの終わりは速やかに来る。
主【ヤハウェ】は言われる。
「どこにいるのか、彼らの神々は。どこにあるのか、彼らが身を寄せる岩は。
彼ら【異民族の神々】はいけにえの脂肪を食らい
注がれた酒を飲んだではないか。
さあ、その神々に助けてもらえ
お前たちの避け所となってもらえ。

最後に、結びの43節では、高らかに歌い上げます。

国々よ、主【ヤハウェ】の民に喜びの声をあげよ。
主【ヤハウェ】はその僕【しもべ】らの血に報復し
苦しめる者に報復して、その民の土地を贖【あがな】われる。

2章25には[今日わたしは天下の諸国民があなたに脅威と恐れを抱くようにする。]とありました。ヤハウェの民イスラエルの敵とにヤハウェがすることは、諸国民にヤハウェを畏怖させることになるというのです。
しかしこの43節では、イスラエルはなんと信頼に足る神を持ったことかと諸国が祝福するようになるというのです。
いずれにしても、イスラエルの神の力を認めないわけにはいなくなるという宣言です。

この歌をモーセは、後継者ヨシュアとともに、ヤハウェから教えられて民に歌って聞かせたのです。
かつてエジプトを脱出し、紅海(葦の海)を渡ったとき、モーセはイスラエルとともに歌を歌いました。ヤハウェを賛美する、長い歌でした。(*3)
荒れ野の旅を歌で始めて、そして荒れ野の旅を終えてカナンに攻めこもうとする今、歌でしめくくろうとしているのです。

記録されているのは歌詞のみで、どのようなメロディだったかはわかりませんが、歌に始まり歌に終わるモーセの晩年でした。(エジプト脱出時点で80歳、それから40年経って現在は120歳。)

モーセは全イスラエルにこれらの言葉をすべて語り終えてから、というか歌い終わってから、くれぐれもすべてを心にとめ、子々孫々までこの律法の言葉を忠実に守らせるようにと言いました。
イスラエルがヤハウェにそむくことが目に見えるようであっても、よりどころとなるのはこのヤハウェの言葉だけなのです。イスラエルがヤハウェの言葉を守るなら、ヨルダン川を渡って手にする「約束の地」で長く繁栄することは確かなことなのです。


*1 申命記31章19~21

*2 申命記32章44(ここにあるホシェアは、ヨシュアの昔の名前)

*3 創世記12章3

前へ 上へ 次へ

#142
作成:2005年1月17日

布忠.com