申命記 第16回

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後継者ヨシュア(31章1節~23節)

ヨシュアの指名

神ヤハウェの導きのもと、これまでイスラエルを率いてきたモーセが、ついに世を去るときが近づきました。いよいよヨルダン川を渡って「約束の地」カナン(現在のパレスティナ地方)に入っていこうという時ですが、モーセはただ一度の、しかし重大な過ちのために、そこへ入ることが許されていないのです。

ではこの先、誰がイスラエルを率いていくのか?ヨルダン川を一歩渡れば、そこは強力な諸民族の領土です。彼らとの戦いを誰が指揮するのか。200万人とも250万人とも言われる、しかもヤハウェと、ヤハウェが任命した指導者とにさからってばかりの民を誰が率いていくのか。
モーセはイスラエルにこう宣言しました。

あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。

ヨシュアとは何者か

こうしてヤハウェによって選ばれモーセに指名されたヨシュアとは、一体何者なのでしょうか。過去に配信したメールマガジンと重複する部分もありますが、少し振り返ってみましょう。

彼のもとの名前はホシェアでしたが、モーセによってヨシュアと改名されました。ホシェアの意味は「救い」、ヨシュア(より原音に近い表記を試みるなら「イェホシューア」)は、「ヤハウェの短縮系+ホシェア=ヤハウェは救い」の意味です。
ちなみに、イエス・キリストの「イエス」は、ヘブライ語のイェホシューアのギリシャ語形です。(*1)

ヨシュアの父はヌン。ヌンの父はエフライム部族の部族長エリシャマ(*2)。エフライム部族の祖エフライムは、マナセ部族の祖であるマナセの弟でしたが、エフライムの子孫は兄マナセの子孫よりも偉大なものになると予告されていました。(*3)

このヨシュアが聖書に最初に登場するのは出エジプト記17章です。エジプトを脱出し「葦の海」を渡ったイスラエルにアマレク人が襲いかかってきたとき、ヨシュアはモーセに命じられて出陣。ろくに武器もない戦闘のド素人たちを率いてアマレク人を打ち破りました。
このとき、ヨシュアとイスラエル軍は独力で勝ったのではなく、モーセが兄であり初代大祭司となるアロンなどとともにヤハウェに祈り続けたその祈りによってヤハウェが勝利を与えたと記録されています(*4)。

出エジプト記24章でモーセが「神の山」に登りヤハウェから十戒を授かったときも、ヨシュアだけが神域の中までモーセに付き従い、山の中腹あたりまで同行しています。[彼(モーセ)の従者である若者、ヌンの子ヨシュア](*5)とも書かれています。

彼はまた、その後の第一次カナン偵察隊の一人でもあります。この偵察隊12人のうち10人までもが、ヤハウェがその土地を与えると約束していたにもかかわらず「攻め込むべきではない」と報告したために、イスラエルは約束の地カナンに入ることを40年も延期され、その間荒野をさまようことになったのですが、この時にヤハウェの約束を信じて攻め込むことを主張したのが、ユダ族のカレブとエフライム族のヨシュアの2人でした。(*6)
モーセがヨシュアを改名させたのはこの偵察のときです。

ヨシュアは、エジプト脱出を経験した世代の生き残りであり、つまりヤハウェがイスラエルを救出し導いてきた歴史の証人といえます。ヤハウェへの信仰も、戦歴も、血筋も、文句のつけようがありません。また、モーセの従者として多くのことを見、学んできました。
もしもモーセが、あるいはイスラエルの長老たちが選ぶとしたら、あるいは選挙で選ぶとしたら、それでもヨシュアが選ばれたことでしょう。しかしモーセを指導者に選んだのがイスラエルではなく神ヤハウェであったように、モーセの後継者としてヨシュアを選んだのもイスラエルの主権者ヤハウェでした。いえ、ヨシュアをモーセの後継者とする予定で、ヤハウェはこれまでヨシュアに経験を積ませてきたというべきでしょう。

そんな人物をモーセは、全イスラエルの前で次のように後継者に指名しました。

強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。主【ヤハウェ】御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。

読み聞かせよ

創世記から申命記までの5巻は「モーセの書」「律法の書」などと呼ばれます。これらの書が、モーセがヤハウェから聞いたことをイスラエルに伝えた事を記しているからです。(*7)
モーセは、ヤハウェから聞いたことを必死で書きとめたことでしょう。これまでもイスラエルは、自分の耳で聞いたヤハウェの言葉にさえ、すぐに背を向けたのです。ましてエジプト脱出を経験していない世代やその子孫の代になったら、とモーセは心配で仕方なかったことでしょう。

とにかくモーセは書き記した。そして、ヤハウェがヨシュアを選んだことまで書き記したところで、それを祭司部族であるレビ族とイスラエルの全長老とに渡して、読み聞かせ続けるように命じました。定められた年ごとの祭りで、定められた場所で、イスラエルの男も女も子供も、さらにイスラエルに寄留している外国人も集めて読み聞かせるのです。

全能神ヤハウェに従えば国民の安全と財産が保証されるのだから、国家の安全保障上の問題としても国民がヤハウェに従うことが重要なのです。

引継ぎ式

ヤハウェはモーセに[あなたの死ぬ日は近づいた。ヨシュアを呼び寄せ、共に臨在の幕屋の中に立ちなさい。わたしは彼に任務を授ける。]と申しつけました。いよいよモーセからヨシュアに、その職責が引き継がれます。
モーセとヨシュアが幕屋の中に立つと、ヤハウェがイスラエルに臨むいつものときと同じように、雲の柱が幕屋の入り口に湧き立ち、その内からヤハウェが語りかけました。

その言葉は二人にとって重いものでした。モーセが先祖と共に眠りについたとたんに、イスラエルの民はカナンに入っていった先々でカナン人の神々を慕うようになり、ヤハウェを捨ててヤハウェとの契約を破り、そのためにヤハウェの怒りがイスラエルに向けられ、彼らが他の神々に向かうことによって行ったすべての悪のゆえに多くの災いと苦難に襲われる、と言うのです。

その時のために今、ひとつの歌を与えるとヤハウェは言いました。この歌は32章に書きとめられていますが、ヤハウェがイスラエルを導いたことと、それにも関わらずイスラエルがヤハウェに背を向け、そのためにイスラエルを災いが襲うという内容です。この歌をイスラエル自身が歌うこと自体が、イスラエルになぜ災いが来る(来た)のかについてイスラエル自身が証言することになり、またそのようになることをヤハウェは、イスラエルを約束の地に入れる前から知っていたことを証言するものでもあるのです。
(この歌については次号で。)

指導者の後継者への引継ぎ式にしては、未来への希望のかけらひとつないかのような感じです。
私利私欲のために政治家になったかのように見える永田町の面々も、政治の道をこころざした時には、モーニング娘が歌ったように「日本の未来は世界がうらやむ」にしたい、きっとそうできるはずだ、そのために働きたいと燃えていたでしょう。しかしヤハウェはヨシュアに、イスラエルの未来には災いが待っているというのです。
ただ困難だけが待っているような責務をどうして引き受けて行くことができるでしょうか。しかしヤハウェは、この職務をヨシュアに命じるに際してひとつの約束を与えました。

強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、わたしが彼らに誓った土地にイスラエルの人々を導き入れる者である。わたしはいつもあなたと共にいる。

モーセはヤハウェからこの任に命じられたとき、「誰か他の人を」と言って必死で逃げようとしましたが、ヤハウェはゆるしませんでした。ヤハウェから仕事を任されるのというのはある意味で因果なもので、聖書に登場する預言者の何人もが「どうして私がこんな目に」と叫びを上げています。しかし、老人モーセに大役を命じたからにはヤハウェ自身が常にモーセと共にいて、モーセに必要な能力は惜しみなく授けたように、ヤハウェは「任せたら任せっきり」という無責任なことはしません。

恥ずかしながら筆者などは謙遜抜きで信仰が未熟ですが、「わたしはいつもあなたと共にいる」という神の言葉を本気で信じられる人に、神は惜しみなく必要なものを与えます。
筆者は、何人かの牧師から「牧師になんてなるつもりはなかった」と聞いたことがありますが、そんな人ほど(奇跡とでも言いたくなるほど、確率的にはありえないような方法で)神に助けられているのを、筆者は実際に見ています。


*1 民数記13章16。イェホシューアの「ホ」は無声音のためイェーシューアに近い。これがギリシャ語形になるとイエースース、格変化でイエスーとなり、日本語ではイエズス、イエスなど表記されている。

*2 エフライムからヨシュアまでの系図は歴代誌上7:20以下(新共同訳ではこの箇所のみ「ヌン」ではなく「ノン」と表記)。エリシャマは民数記1章10で、エフライム族の家系の長として登場。

*3 創世記48章8~20

*4 モーセが、杖を持った手を天に向けて祈っているとイスラエルが優勢に、疲れて手を下ろすとアマレクが優勢になったと記録されています。このためアロンたちがモーセの手を支え続けましたが、これは力をあわせて祈る姿を現してもいました。

*5 出エジプト記33章11

*6 偵察行については民数記13章。この40年の間に当時の成人はすべて死に絶え、モーセとアロンもカナンに入る前に死んで、ただヨシュアとカレブだけが約束の地に入ることが許されたのでした。

*7 聖書各巻の成立の時期や過程についてはいまだ結論は出ていません。申命記は「ヨシヤ王の改革(列王記下22章以下)に先立って、紀元前7世紀のある一著者によって著作された」とする説が19世紀後半には大きかったのですが、その後の考古学的発見により「やはりモーセ時代の可能性も十分にある」という説や「ヨシヤ王よりずっとあとの時代」とする説が出るなど、研究が進むほど問題が増えているかのようです。

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#141
作成:2004年10月10日

布忠.com