申命記 第12回

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信仰の表明(26章1~15)

モーセの第二説教のクライマックスです。以上(前号まで)の条項を聞いた上でヤハウェへの信仰を表明するようにと、イスラエルに求めています。

最初の収穫を奉納せよ(26章1-11)

イスラエルは今、ヨルダン川を越えていこうとしているのであって、まだイスラエルは「約束の地」を手に入れていません。これからカナンに住む諸民族と戦わなければいけないのです。
しかしモーセは、ヤハウェがイスラエルに得させる土地に入ってそこに住むときには、と、「勝つかどうかわからないが、もし勝ってその土地を手に入れたら」ではなく「その土地を得ることはもう決定済みなので」という文脈で話しを進めて行きます。

その時には[あなたの神、主【ヤハウェ】が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物]を聖所にたずさえて行って、祭司に[今日、わたしはあなたの神、主【ヤハウェ】の御前に報告いたします。わたしは、主【ヤハウェ】がわたしたちに与えると先祖たちに誓われた土地に入りました」と言って感謝を表明するように、とモーセは命じました。
そして祭司は民からささげもののかごを受け取って、祭壇に供えるのです。その時、民はこのようにヤハウェへの信仰を表明せよとモーセは命じています。

わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちをしいたげ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦としいたげを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。

このように、すべてがヤハウェの約束のとおりに、しかもヤハウェの一方的な恩恵として実現されたことを、当然ながら口先でなく心から理解して神に感謝しなさい、とモーセは言っているのです。

こうして感謝の奉納がすんだら、ヤハウェから与えられたすべての賜物(たまもの=プレゼント)を、奉納の儀式をとりおこなう祭司レビ族はもちろん、イスラエルの中にいる外国人寄留者とともに、喜び祝いなさいとモーセは勧めています。

おきての実行(26章12-15)

毎年、収穫の十分の一を奉納するほかに、それとは別に三年目ごとにまた十分の一を奉納することとされています(*1)。
この第二の「十分の一」は、祭司職であるレビ族を養うほか、寄留者、孤児、寡婦を養うために用いられるのですが、これを納めたときイスラエルはヤハウェの前でこのように言えと、モーセは命じています。

すべてあなたが命じられたいましめに従って、レビ人、寄留者、孤児、寡婦にほどこし、あなたのいましめからはずれたり、それを忘れたりしませんでした。それを喪中に食べたり、汚れているときに取り出したり、死者に供えたりしたことはありません。わたしの神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが命じられたとおりに行いました。天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、あなたの民イスラエルを祝福し、あなたが先祖に誓われたとおりに、わたしたちに授けられた地、乳と蜜の流れる土地を祝福してください。

キリスト教は神と人間の契約の宗教であるとはよく言われることですが、契約というものは当事者双方が義務を負います。ヤハウェは「あたしゃ神様だからエライんだよ」などと人間を一方的に戒律で縛るのではなく、契約を守って人間を祝福し恵みを与えるのです。
だからモーセは、「おきてを守ったなら、あなたがたは神にこれらを正当に求めてよい」と言ったのです。これは逆にいえば「神にこれらを求めるためにも、おきてを守り通せ」ということでもあります。

なお、「死者に供えたりしたことはありません」というのは、十戒でヤハウェのほか何者も神としてはならないということから来ています。だからキリスト教徒は、死んだ「人間」が神様や仏様になったとして供え物を供えたり、手を合わせたて拝んだりはしません。
ですがそれは、故人をないがしろにしてよいという発想ではないのです。ヤハウェは、[わたしを愛し、わたしのいましめを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。](*2)と約束したように、人をその家系ごと祝福する神です。また[あなたたちの先祖の神](*3)と何度も書かれていますし、聖書にはあちこちに家系図が記録されています。
「キリスト教は先祖を大事にしない」と誤解されることがあるのですが、ご先祖様を拝まないというだけであって、先祖を大切にしなければならないことは強く教えられている宗教なのです。

第2説教の結び(26章16~19)

モーセは最後にイスラエルに[あなたは心を尽くし、魂を尽くして、それ(おきてといましめ)を忠実に守りなさい。]と命じています。平たく言えば「全身全霊で」ということです。

こうしてイスラエルはヤハウェに、

主【ヤハウェ】を自分の神とし、その道に従って歩み、おきてといましめと法を守り、御声に聞き従います。

と誓約しました。一方、神ヤハウェもイスラエルを

(ヤハウェが)造ったあらゆる国民にはるかにまさるものとし、あなたに賛美と名声と誉れを与え、すでに約束したとおり、あなたをあなたの神、主【ヤハウェ】の聖なる民にする。

と誓約したのです。
契約ですから、双方が誓約を宣言することによって、締結されたのです。


*1 申命記14章28

*2 出エジプト記20章6

*3 申命記1章11ほか多数

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#137
作成:2004年1月12日

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