申命記 第11回

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カナン定住後の規定その6(24章~25章)

第二部のうち、条項部分の最後です。

離婚と復縁(24章1-4)

男性優位のユダヤ社会、離婚するのも夫のほうからしか離婚できませんでした。
戒律上は[妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったとき]に限って、離縁状を妻に渡せば離婚できるとされています。が、実際には妻に落ち度がなくても夫の勝手で離縁状を渡して追い出すようなことも横行していたようです。それでのちに神キリストは「神が結び合わせた結婚を、当事者も含めて人間が離してはならない」と宣言し、この条項を「妻が不倫した場合に限られる」と改正しました。ただし、姦淫の罪を犯した妻は石打ちで死刑となるのですが、それについてもキリストは「まったく罪のない人間が最初に石を投げつけるのでなければならない」と改正しています。つまり人間には誰も刑を執行できないのです。

話を申命記に戻すと、離縁状を渡して離婚が成立した場合でも、また復縁できたようです。ただし離婚後、元妻がほかの男と再婚した場合は、さらに離婚あるいは死別してまたも独身になった場合でも、復縁はできないとされています。

人道上の規定(24章5-18)

新婚1年間は、兵役や公務を免除されると定められました。遊んでいていいというわけではなく[めとった妻を喜ばせねばならない]と命じられています。(兵役のほうが楽なんて言ってるのは誰?)

ひき臼を質に取ってはならないと定められています。臼がなければ、パンが作れないので、臼を質草に取るのは[命そのものを質に取ることになるから]です。貸す人は借りる人の家に入って担保を選ぶことはできず、家の外で待っていて、借りる人が担保の品を持ってくるのを待てとも命じられています。
この精神でいえば、大工が大工道具を質に入れて仕事ができないという「大工調べ」という古典落語がありますが、旧約の社会ではそれも違反かも。

また、借りる人が貧しい場合には[その担保を取ったまま床に就いてはならない]と定められています。文脈がわかりにくいかもしれませんが、直訳すると「担保の中で寝てはならない」となります。貧しい者は布団の代わりに上着(外套のようなものでしょうか)にくるまって寝るという背景があります。上着を取り上げるのは、一番中こごえてろというのと同じなのです(*1)。だから日没までに一度返してやらなければならない、そうすれば借りた人は[自分の上着を掛けて寝ることができ]るので貸し手を祝福するであろう、それによって貸し手は神ヤハウェから報いを受ける、とされています。

また、同胞でも寄留している外国人でも、[貧しく乏しい雇い人を搾取してはならない。賃金はその日のうちに、日没前に支払わねばならない]とされています。
雇い人がお上に訴えるからではなく、雇い人がヤハウェに訴えることがないようにというのがおもしろいところです。役人に訴えられたのなら、悪徳商人と悪代官なら裏でもみ消せるかもしれませんが、神にワイロはききません。

少年による重大事件の際に「親を市中引き回しにしろ」と言った大臣がいました。表現は過剰ですが、言いたいこととはわかります。しかし聖書は、人間は自分の罪によってのみ罰を受けるとして[父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。]としています。
ただ、前々号(*2)で扱ったように、もし親に従わなないような(それで犯罪を犯すような)子供に育ててしまった場合、最終的には、息子を死刑にするために親自身が訴え出るという苦しみを味わわなければならなくなります。まともな親なら、市中引き回しにされるよりつらいことでしょう。

そのほか、[寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。寡婦の着物(前述の上着とは違い、服というもの一般)を質に取ってはならない。]など、弱者保護のおきてが聖書には多くあります。
たびたび触れていますが、イスラエル自身が、エジプトの奴隷という弱者だったのを[あなたの神、主【ヤハウェ】が救い出してくださった]というのがベースになっているのです。

鞭打ち(25章1-3)

裁判の結果、有罪となった者に鞭打ちの刑を科す場合、[四十回までは打ってもよいが、それ以上はいけない。それ以上鞭打たれて、同胞があなたの前で卑しめられないためである。]と定められました。
自分の罪により鞭打ちの刑を受ける者であっても、依然として同胞であって卑しめられてはならないという、現代でいう「犯罪者の人権」を思わせる規定です。

実際には、「もし打ってる途中で数え間違えた場合、この律法に違反してしまう」ということで、39回で打つことをやめていたようです。(*3)
イスラエル人らしいといえば、らしいですね。(他にも、「神の名をみだりに口にしてはならない」と言われれば「1回も口にしなければ、律法に違反しない」と考えたり、「安息日に労働してはならない」と言われれば「何が労働で何が労働ではないか」を徹底的に細かく切り分けたり。「行き過ぎだ」と批判することは簡単ですが、神の言葉を大事にする精神はすごいものがあります)

脱穀する牛の保護(25章4)

[脱穀している牛に口籠【くつこ】を掛けてはならない]とあります。口籠というのは牛の口にかぶせる籠で、収穫した穀物を牛が食べないようにするものですが、そうではなく牛といえども労働に対して報酬を取れるようにしてやれという規定です。
使徒パウロはこの条項から、伝道者も伝道の働きによって収入を得るようにと定められているのだとしています。(*4)

家名の存続(25章5-10)

イスラエルでは、長男が家を継ぐのが原則です。
日本でも、現代では法律上は兄弟が対等に相続しますが、感覚的にはやはり長男というものが特別なようです。

では、長男が跡取りを残さずに死んだら?日本だったら次男が代わりに継ぐのでしょうが、旧約の律法は違います。次男は長男の妻と結婚しなければならないのです。そして彼女が生んだ子は、長男の跡取りとなります。代理母出産ならぬ、代理父出産とでも言ったらいいでしょうか。ラテン語で「夫の兄弟」「義兄弟」を意味する言葉から「レビラート婚」と呼ばれるこの制度は、イスラエルのみならず他の国々でも見られる習慣なのだそうです。

これにより、長男の妻は夫が亡くなったからといってよその家の男と再婚することはできないのですが、逆にいえば、後継ぎを生むことなく夫を失った妻を保護する仕組みとも言えます。

弟にとって、兄の跡取りとして子供をもうけることは「兄弟の義務」であるとされています。彼がこの義務を果たさないなら、兄嫁は訴えでることになります。それでも弟が拒むなら、彼は公衆の面前で「兄弟の名をイスラエルの中に残すのを拒む者」と呼ばれ、兄嫁から顔に唾をかけられ、靴を脱がされて(*5)、弟の子孫も「靴を脱がされた者の家」と呼ばれるとされています。

組み打ちの場合(25章11-12)

二人の男が殴り合いをしている場合、一方の妻が夫を助けようとして、相手の急所をつかんではならない、という規定です。その場合、[その手は切り落とされねばならない。憐れみをかけてはならない]と、かなり厳しい調子です。
はしたない行為だということなのでしょうが、刑罰として身体を害する規定は(マタイ福音書5章29-30を別とすれば)「目には目を」の同害復讐法だけなのですが、それに匹敵する罪だというのです。
他の方法で夫を助けるのは問題ないらしいというのも興味深いところです。

正しい秤(25章13-16)

神ヤハウェが聖なる者であるように、人も聖なる者となれ、というのが聖書の戒律の基本原則ですが、ヤハウェが公正であるように、人も公正でなければなりません。
ここでは、大小二種類の重りや升を所持して売買や貸し借りのときに不正を行うことが禁じられています。キリストも「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」と教えました。(*6)

アマレクを滅ぼせ(25章17-19)

エジプトを脱出してきたイスラエルを、最初に襲ってきた敵がアマレク人でした(*7)。[あなた【イスラエルの民】が疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。]とあります。 それで、約束の地に入って落ち着いたら[アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。]と命じられています。完全に滅ぼせというのです。

後々までアマレク人はイスラエルを苦しめ、サウル王もダビデ王もアマレク人と戦います。イスラエル王国の南北分裂後、ヒゼキヤ王の時代にようやく滅ぼすことに成功します。


*1 マタイ福音書5章38以下でキリストは「目には目を」を廃止した上で[下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい]と命じましたが、それは上着の中で眠るという貧しい者の最低限の権利を投げ打っても、悪に対して善で報いよという、厳しい命令なのです。

*2 親に逆らう息子については申命記第9回を参照。

*3 コリントの信徒への手紙二11章24に[四十に一つ足りない鞭]という表現がある。

*4 コリントの信徒への手紙一9章9以下

*5 通常、履物を脱いで相手に渡すのは権利を譲渡する意味があるが(ルツ記4章7)、ここでは義務を果たさない者を辱めるために裸足にさせている。

*6 マタイ福音書7章2

*7 アマレクの襲撃については出エジプト記第17回を参照。

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#136
作成:2003年12月8日

布忠.com