申命記 第10回

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カナン定住後の規定その5(22章13節~23章,24章19-22)

引き続き、おもしろい条項をひろってみます。聖書をおもちの方は、その他の条項も読んでみてください。

性的な罪(22章13-23章1)

もし男が女をめとって、初夜ののちに気が変わった場合、独身に戻る方法があります。「彼女は処女ではなかった」と訴え出れば、婚約中の娘が婚約相手以外の男と寝た場合は二人とも死刑という規定により、彼女は死刑にされるからです。相手の男が誰だかわからない場合は、女だけが死刑にされたようです。

そんなひどい男がいるのかとも思いますが(実は聖書にはもっとひどい男(*1)も登場するのですが)、これは新郎がそんな虚偽の訴えを起こした場合についての規定です。その場合は新婦の両親が、二人が初夜を過ごした床のシーツを持ち出して「処女の証拠」を示せば、イスラエルの女に不名誉な濡れ衣を着せようとした新郎が有罪となります。鞭打ち刑の上、新婦の父に銀100シェケル(1.14kg)を払わなければなりません。さらに、今後もう離縁できなくなります。

ここでは他に、男が他人の妻と寝ることや、父の妻をめとることが禁じられています。結婚は、人間にできるもっとも神聖なことのひとつなのです。それをけがすようなことは、してはなりません。

(・・・こういう生々しい話を解説するのは、何というか。。。)

ところで、クリスマスの記録の中にこうあります。

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。(*2)

いわゆる処女降誕の記録ですが、ヨセフは自分に覚えがないのにマリアが妊娠したのだから、マリアが姦淫の罪を犯したに違いないと考えざるを得なかったはずです。
ヨセフは正しい人であったとあります。弱者をかばうためであっても法を曲げてはならないというおきて(*3)に従えばマリアを死刑にするために突き出さなければなりませんが、[わたし【ヤハウェ】が求めるのは憐れみであって、いけにえではない](*4)というヤハウェの言葉もあり、ヨセフの苦悩は大きかったでしょうがギリギリの決断として、ひそかに縁を切ってマリアを安全に里に帰そうとしたのでしょう。

主の会衆に加わる資格(23章2-9)

「主【ヤハウェ】の会衆」とは何のことでしょうか。
会衆と訳されたヘブライ語のカーハールは、ユダヤ人がヘブライ語聖書をギリシャ語に翻訳した「七十人訳」ではエクレーシアと訳されています。エクレーシアは新約聖書には100回以上出てきますが、「教会」と訳されています。
エクレーシアは「召集する」という言葉から来ていますが、教会は神によって召集された者たちの集まりなのです。

話を戻すと、「ヤハウェの会衆」とは、ヤハウェによって呼び集められた者たち、つまりヤハウェを神とする者、ヤハウェから「わたしの民」と呼ばれる者ということです。
イスラエルには、たびたび出てくる寄留者など、多くの異邦人もいました。アブラハムの代には、アブラハムの血統ではない多くの奴隷たちも、割礼を受けてヤハウェとの契約に参加しています。エジプト脱出のときにも、イスラエル人以外の奴隷たちも一緒に出発してきました。
で、ここで規定されているのは、イスラエルの中に住む異邦人が「ヤハウェに召集された者」に加わるための資格です。

[睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者」つまり宦官は参加することはできません。

[混血の人]は、十代目の子孫になっても主の会衆に加わることはできないとされているのですが、この「混血の人」というのが語源も意味もよくわかっていません。「不倫の子」「私生児」「雑種の子」などいろいろな訳が試みられているのですが、はっきりしないようです。

占い師バラムの事件(*5)でイスラエルを妨害し、イスラエルをヤハウェから引き離そうとしたアンモン人とモアブ人も、十代目になってもダメとされています。
(しかしダビデ王はモアブ人女性ルツとイスラエル人男性ボアズとの子孫なのです。(⇒ルツ記参照)

エドム人は、三代目には「ヤハウェの会衆」に加われます。
イスラエルの先祖ヤコブの兄がエサウで、そのエサウの子孫がエドム人なのです。ヤハウェはアブラハムとイサクへの契約のゆえにエサウとその子孫も祝福し、イスラエルがエジプトを出てきたときもヤハウェは「エドム人の領土に迷惑かけるな」とイスラエルを迂回させました。

エジプト人も、三代目には「ヤハウェの会衆」に加われます。かつてエジプトに寄留していたからという理由です。かつて異国に寄留しているときに奴隷として苦しんだイスラエルは、寄留民のつらさがわかっているのだから、自分たちのところに身を寄せた異邦人寄留者は必ず保護せよ、というのがイスラエルの対外関係におけるヤハウェの基本方針なのです。自分たちを苦しめたエジプト人が相手のときはなおさら、つらかった時代と、そこからヤハウェに救い出されたことを思い出せというわけです。

こうしてみると、ずいぶん差別的という印象も受けますね。
ですが、たとえば宦官はイザヤの時代に、安息日と戒律を守るなら差別されることはないと改正され(*6)、新約の時代には実際にエチオピア人の宦官がクリスチャン(エクレーシアに加わる)になった記録があります。(*7)。
アンモン人とモアブ人も、異邦人寄留者の保護という原則からもれることはありません。そして新約時代にはすべての異邦人が、偶像崇拝の禁止など最小限のルールさえ守れば、ユダヤ人があれほどこだわった割礼や安息日規定さえ免除されてエクレーシアに加われるようになりました(*8)。
エジプトにいたっては、もっとすごいことになるようです。エジプトの中心にヤハウェのための祭壇が築かれ、イスラエル、アッシリアと並んで「わが民エジプト」と呼ばれるようになるという預言があるのです(*9)。

陣営を清く保つこと(23章10-15)

これまでも読んできたとおり、イスラエルが外敵と戦う時は、神ヤハウェがともに戦います。
つまり、戦争は神事であり、イスラエルの陣営は聖域になるということです。[あなたの神、主はあなたを救い、敵をあなたに渡すために、陣営の中を歩まれる。陣営は聖なるものである。主があなたの中に何か恥ずべきものを御覧になって、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。]とあります。

たとえば、夢精した兵はけがれているとされ、清くなるまで陣営の外に出なければなりません。夕方に沐浴した上で、日没後に(つまり翌日になったら)陣営に戻ることができます。
トイレも陣営の外に設営しなければなりません。穴を掘って用を足し、終わったらまた埋めなければならないとされました。

聖域(23章18-19)

カナン人の宗教ではごく普通だった神殿娼婦や神殿男娼が、イスラエルの神殿では禁じられました。彼女ら彼らの収入を神殿に奉納することも禁じられています(聖書に「犬の稼ぎ」とあるのは、神殿男娼の収入を指す)。

利子の禁止(23章20-21)

同朋に貸す時にはどんな利子もつけてはならないと定められています。「どんな利子も」というのは、貸し借りというのはお金だけではなく、たとえば突然の来客時に隣家からパンを借りる(*10)というようなときも、貸した以上に取り立ててはならないということでしょう。
それは、ヤハウェが与えた土地で、ヤハウェが[あなたの手の働きすべてに祝福を与えられる]から、働いた稼ぎで十分なはずだから不労収入を得ようとするなということのようです。

ただし、外国人に貸すときには利子をつけることが認められています。シェイクスピアの「ベニスの商人」にも、ユダヤ人の金貸しが登場しますが、主人公もユダヤ人だったら貸し借りに利子が発生しないので物語にならなかったはずです。

人の畑のもの(23章25-26,24章19-22)

2003年は日本のあちこちで新米などが盗まれるという事件がおきていますが、盗み出さなくても他人の畑に入って作物を勝手に食べただけで、普通はドロボーです。
ところがここでは[隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよい]と規定されています。

ところがここでは[隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよい]と規定されています。 これは弱者保護の法で、寡婦や孤児などを餓えさせないためのものです。ただし、ぶどうをカゴに入れて持ち帰るのは禁じられています。
同様に、隣人の麦畑に入って、手で穂を摘むことは何の問題もありません(*11)が、鎌を使って刈り取るのは禁じられています。

また、畑の持ち主にも、弱者へ配慮するように命じられています。
たとえば、畑で収穫作業のあと、うっかり麦の束をひとつ畑に忘れて帰ってしまったとします。その場合、それを取りに戻ってはいけません。オリーブを収穫する時に、枝をくまなく探してはいけません。ぶどうの取り入れのときも、摘みつくしてはいけないのです。[それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。]と命じられています。
これでは畑の持ち主が損するようですが、[こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主【ヤハウェ】はあなたを祝福される。]と保証されています。


*1 ダビデ王の王子アムノンは妹タマルを激しく愛したが、力づくで処女を奪った上、思いを遂げたとたんに彼女を捨てた。(サムエル記二13章)

*2 マタイ福音書1章18-19。このあとヨセフは、マリアが妊娠したのは神の力によるものであり、その子供は民を罪から救うものになると天使から示され、マリアをそのまま妻に迎えた。

*3 出エジプト記22章3

*4 マタイ福音書9章13ほか

*5 民数記22章~25章。⇒民数記第14回,民数記第15回,民数記第16回

*6 イザヤ56章3-5

*7 使徒言行録8章26-39

*8 使徒言行録15章1-29

*9 イザヤ19章1-25、特に19章19-25。

*10 ルカ福音書11章5に、パンを借りる話しがある。

*11 マタイ福音書12章1-2で、イエスの弟子たちが他人の麦畑を歩きながら穂をつんだとき、戒律に厳格なファリサイ主義者たちは「なぜ労働が禁じられている安息日に穂を摘むのか」とは言ったが「なぜ他人の畑のものを勝手に摘むのか」とはまったく言わなかった。

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#135
作成:2003年11月23日

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