申命記 第6回

menu

カナン定住後の規定その1(12章~14章21節)

[これから述べるおきてと法は、あなたの先祖の神、主【ヤハウェ】があなたに与えて得させられる土地で、あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである。]
と前置きして、モーセは各条項にあたる規則を述べていきます。それは、約束の地カナンに入りそこに定住するようになってからの社会生活また信仰生活のための規定が中心です。

礼拝(12章2-31)

まず、現在そこに住んでいる諸国民が偶像を礼拝していた場所、つまり山や丘の上や木の下に作られた、カナン人にとっての聖なる場所を[一つ残らず徹底的に破壊しなさい。]と命じられています。これら偶像崇拝の民はどこででも「ここに神がいる」として祭儀をおこなっていたようです。

しかし、神を礼拝する場所は人間が決めるのではなく、神自身が指定するのだとモーセは言います。[主【ヤハウェ】がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主【ヤハウェ】の住まいを尋ね、そこへ行]って礼拝するようにというのです。
自分の好む場所で礼拝することは、神の都合ではなく人間の都合を優先することで、やがては自分の好む神々を礼拝することにもなるのです。今、カナンの諸民族は、まさにそうした偶像礼拝のゆえに追い出されようとしているのです。

[天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。](*1)とあるように、どんな神殿を建てても、天地宇宙を創造したヤハウェが住むには小さすぎます。ヤハウェが[その名を置く]と定めたところを、ヤハウェの住まいとして礼拝するのです。
具体的には、12部族のうち祭司部族であるレビ族がヤハウェに仕える、エルサレムの神殿(神殿が建てられるまでは、例の幕屋)がその場所になります。

カナン人の宗教に従ってワナにおちないようにと、くどいほど繰り返されています。[彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。…彼らは主【ヤハウェ】がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。]と。
イスラエルの民は、まさかそんなことはしないと思ったことでしょう。でも彼らの子孫は、カナン人が拝んだバアル神にささげるために、自分の子供たちを焼いてささげるまでになってしまうのです。(*2)

異教へ傾くことへの警告(13章1-14章2)

とにかくイスラエルは、彼らが条約を結ぶ神ヤハウェの目に正しいかどうかを基準とし、他の神々に仕えようなどという者があれば石で打ち殺せと命じられました。

具体的には、預言者や夢占いをする者が「神のお告げだ」と言ったとおりになったとしても「それは異教の神々のお告げだから、そちらを礼拝しよう」などというなら耳を貸してはならないこと、異教の服喪の風習のように、死者の追悼のために自分の身を傷つけて血を流したり頭を剃ったりしてはならないこと、が命じられました。

それにしても、殺せとは厳しい。

しかし、命の源であり、豊な恵みを与えるヤハウェからイスラエルを引き離すことは、今の日本でたとえるなら、すべての医療行為と医薬品を国民から取り上げ、わざわざ大凶作を引き起こし、意図的にマーケットを暴落させるのと同じことです。

敵に勝利するヤハウェからイスラエルを引き離すことは、警察を解散し、隣に敵がいる状態で自衛隊と在日米軍を武装解除するようなものです。日本の場合は海という防衛がありますが、イスラエルの場合にはそれさえない。しかもメソポタミア方面の大国とエジプトの間という、侵略してくれと言わんばかりの位置です。

イスラエルをヤハウェから引き離すということは、健康や生命、財産、安全や平和を破壊するテロ行為も同然なのです。

動物の扱い(14章3~14章21)

[あなたは、あなたの神、主【ヤハウェ】の聖なる民である。主【ヤハウェ】は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた。]という前置きのもとに、食べてよいもの、食べてはいけないものが示されました。
食のタブーについては以前にも扱いましたので(*3)詳しいことは省略しますが、この前置きの意味するところは、ヤハウェが清いのだから、ヤハウェの宝であるあなたがたも清くあれということです。

屠殺する前に死んでいた動物(病死や自然死を含む)は一切食べてはならず、[寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい]と命じられているところが興味深いと思います。
寄留者の保護を命じるヤハウェが、「死んだ動物は衛生的に問題があるから食べるな」とは言いません。合理的な根拠があるからではなく、神ヤハウェが命じるから食べてはならないというおきてなのです。だから、ヤハウェとの契約関係にない外国人なら、食べていいわけです。
ヤハウェが「清くないから食べるな」と定めたことを守るかどうかがポイントなのです。アダムとエバがいわゆる「禁断の木の実」を禁じられたことに似ています。

[あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。]という規定がありますが、これは異教に傾いてはならないという規定です。子山羊をその母の乳で煮て、その汁を収穫後の畑にまいて来年の豊作を願うという風習があったためです。
律法を重んじるユダヤ人はこの規定を他の動物にも適用し、たとえば牛肉と乳製品を一緒に料理することも禁じられました。日本だったら親子丼が禁止されていたかも?

おまけ

カナン人がどこででも、神の像や石柱や祭壇をつくって神々につかえてきたというのは、日本でいえば、山といえば祠【ほこら】をつくり、巨木や巨石といえば注連縄【しめなわ】を張るようなものかと思われるかもしれません。

でも日本のそういう場所では、カナン人の宗教のような偶像はあまり登場しないような気がします。
生き物(狐狸や偉人)を神格化した場合を別にすれば、山や巨木が神なのではなく、そこに宿り、あるいは降臨する神をおがむという日本古来の信仰は「コレが神だ」というよりも「ココに神がいる」という信仰と言えそうです。幕屋や神殿、契約の箱や十戒の石版が神なのではなく、そこは神が[その名を置く]場所であるというヤハウェ礼拝は、日本人の信心には理解しやすいかもという気がします。


*1 使徒言行録7章49。

*2 エレミヤ書19章。

*3 レビ記7章22節以下および同書11章。本誌バックナンバーのURLはレビ記第6回およびレビ記第9回

前へ 上へ 次へ

#131
作成:2003年6月29日

布忠.com