申命記 第3回

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従順のすすめ(4章1節~40節)

忠実であれ

条文そのものを提示する前に、モーセは、それらを遵守するようにと勧告しています。

イスラエルよ。今、わたしが教えるおきてと法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主【ヤハウェ】が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。

出エジプト記以来、ヤハウェがモーセを通して旧世代イスラエルに示してきた「おきてと法」を、あらためて教えようというのです。

キリスト教そして聖書について「おきてで拘束する窮屈なもの」というイメージもあるかと思います。ですがこれは一方的な命令ではありません。イスラエルがおきてと法に従うなら、ヤハウェは恵みを与えるという契約になっているのです。
前回「宗主権条約」という言葉を使いましたが、私たち人間の歴史において、たとえば植民地と宗主国の関係には、現代の感覚からすればあまりに非道なものもありました。「歴史において」と言ってもつい最近までそうでしたし、今でも旧植民地の人間に対する旧宗主国の差別感情には根強いものがある場合があります。
けれど神ヤハウェと人間の関係は、そういうものではありません。なぜならヤハウェは人を愛しているのです。誰でも愛する人にはできる限りのよいことをしてあげたくなるし、何かを贈るなら目一杯のものを贈りたくなるでしょう。それをヤハウェは、全能者のスケールでやりたがっているのです。

ヤハウェと契約するとは

ところで、結婚した人が、自分は浮気を重ねながら、相手には自分だけを愛していろなどという資格があるでしょうか。
聖書は神と人の関係をしばしば結婚にたとえていますが、ヤハウェ以外の何かに浮気をしてはならない、というのが最低限の資格になっています。具体的には、

あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主【ヤハウェ】の戒めを守りなさい。

ということです。相手の言葉をねじまげたり、約束を破ったりするのは、愛にもとづいた関係ではありませんよね。

じゃ、もし浮気したら?
[あなたたちは、主【ヤハウェ】がバアル・ペオルでなさったことをその目で見たではないか。]とモーセは警告しています。
イスラエルの男たちがミディアンの女たちに誘惑され、ペオルのバアル神をおがむようになった結果、2万4千人もがヤハウェの怒りに裁かれたのです。(*1)

では、ヤハウェの「おきてと法」に忠実であったら?
モーセは[諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。]と断言しています。

なぜ断言できるのか。モーセはこう応えます。[いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主【ヤハウェ】のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。]
私たちは聖書に記録されたことを読むしかできませんが、これをモーセから聞いているイスラエルは、ヤハウェがどのような神であるかをその目で見てきたのです。だからモーセは断言し、また自分の死が目前となった今は必死になって、子々孫々までヤハウェから離れるなと訴えるのです。

思い出せ、ホレブ(シナイ山)でヤハウェの前に立った日を。あの日ヤハウェが告げ示し、ヤハウェ自身が石板に書き記したのが十戒であった。
思い出せ、あの日ヤハウェの声を聞いたが、何の形も見なかったことを。堕落して、男神や女神の像や、動物や想像上の生物の像をつくったりして拝んではならない。
また太陽や月や星などの天の万象をおがむな。それはヤハウェがすべての民に分け与えた「モノ」でしかない。それらをおがむ民もいるが、ヤハウェはイスラエルを鉄の炉のように過酷なエジプトから導き出し、自分の嗣業【しぎょう】の民とした。
私(モーセ)自身は、このヨルダン川を越えて、あなたたちがヤハウェから与えられる良い土地に入ることは許されていない。しかしあなたたちは渡って行って、その良い土地を得る。その際あなたたちは注意して、あなたたちの神であるヤハウェがあなたたちと結ばれた契約を忘れず、ヤハウェが禁じたいかなる形の像も造らぬようにしなさい。

ヤキモチ妬きな神

なぜなら[あなたの神、主【ヤハウェ】は焼き尽くす火であり、熱情の神だからである。]とモーセは警告しています。
「熱情の神」を「妬(ねた)む神」としている訳もあります。ヤキモチを妬(や)く神とは興味深い表現ですが、愛がなければヤキモチもないと考えると、ヤハウェが本気で人を愛する神であると読めます。

ではイスラエルがそむいた場合、その「熱情の神」はどうするのか。モーセはこう言っています。

あなたの神、主【ヤハウェ】が悪と見なされることを行い、御怒りを招くならば、…ヨルダン川を渡って得るその土地から離されて速やかに滅び去り、そこに長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされる。主【ヤハウェ】はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主【ヤハウェ】に追いやられて、国々で生き残る者はわずかにすぎないであろう。

しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主【ヤハウェ】を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。(*2)

残念ながら、モーセのこの言葉は実現してしまいます。イスラエルはたびたび周辺の強国に攻められ、虜囚の憂き目にあいました。聖書は、それはイスラエルが神ヤハウェから離れたためだと言っています。そしてご存知の通り、最後にはローマ帝国に滅ぼされてユダヤ人は世界に離散することになったのです。

選ばれた民

勧告の最後にモーセは、この偉大な神と関係を持つことの幸いを力説します。

「歴史をさかのぼり、地の果てまで探しても、これほど大いなることがあっただろうか。そのようなことを聞いたことがあるだろうか。数々の試練と証拠と奇跡と、戦いと力と恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。それによってイスラエルは、ヤハウェこそ神であり、ほかに神はいないということを知るに至ったのだ。
ヤハウェはイスラエルの先祖アブラハムたちを愛されたゆえに、その子孫を選び、みずから大いなる力をもって、イスラエルをエジプトから導き出された。そして強大な国々をイスラエルの前から追い払い、今日のように彼らの土地をあなたの嗣業の土地としてくださった。
イスラエルよ。あなたは、今日、上の天においても下の地においても主【ヤハウェ】こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、今日、わたしが命じる主【ヤハウェ】のおきてと戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主【ヤハウェ】がとこしえに与えられる土地で長く生きる。」

ヤハウェが偉大であるがゆえに、ヤハウェから離れない限り、子々孫々までこの地で繁栄するのです。


逃れの町(4章41節~43節)

民数記でも何度か書かれていましたが、モーセはここでも「逃れの町」について告げています。
殺意によってではなく、過失で人を殺してしまった人が、遺族の復讐から逃れるための町です。(*3)

ここでは、すでに征服したヨルダン川の東側について、ルベン族、ガド族、マナセの半部族の領地にひとつずつ、計3つの町が定められています。
延々34章まで続く申命記の内容を、モーセが短時間でイスラエルに語ったとは思いにくいです。むしろ数日間に渡るものだったかもしれません。しかし「約束の地」での生活がすでに始まったため、緊急度の高い規定としてここで扱っているのだと思われます。


解説

モーセは、イスラエルが[主【ヤハウェ】が悪と見なされることを行い、御怒りを招く]ことを予見した上で、次のように言っています。

これらすべてのことがあなたにのぞむ終わりの日、苦しみの時に、あなたはあなたの神、主【ヤハウェ】のもとに立ち帰り、その声に聞き従う。あなたの神、主【ヤハウェ】は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである。

これは、現在のイスラエル国が20世紀に建国したことを予言していたのでしょうか。
だとすると、すでに終末が来たことになる?それに筆者の個人的な見解ですが、現在のイスラエル政府が、神ヤハウェのもとに立ち帰り、その声に聞き従っている、とは思いにくい感じがします。今はまだ、イスラエルはヤハウェのもとに立ち帰る途上なのではないでしょうか。

使徒パウロは、ローマの信徒への手紙11章で、こう書いています。

ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、…彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。…一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。…神のたまものと招きとは取り消されないものなのです。

ユダヤ人は神ヤハウェから離れ、神キリストを拒絶しました。それによってキリスト教はユダヤ人の枠を超え、ローマ帝国へ、世界へ、そして日本へと、異邦人(非ユダヤ人)に広く伝わることになりました。
そしてすべての異邦人に福音が伝えられた後、全イスラエルがヤハウェのもとに立ちかえる終わりの日が来ます。「苦しみの時」とは、世の終末の前に来ると預言されている大迫害時代のことでしょうか。その後に、ユダヤ人が異邦人とともに迎えるグランドフィナーレが来るのです。


*1 民数記25章。→当サイト民数記第16回

*2 イエス・キリストは、どのおきてが一番重要かという質問に[『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。]と答えています。(マタイ22:37)
このほかにも、イエスは申命記から多く引用しています。

*3 民数記35章。→当サイト民数記第21回

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#128
作成:2003年4月2日

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