民数記 第21回

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レビ族の町(35章1~5)

前回、カナン征服後の土地の分配方法について触れましたが、そこで土地を分配されるのは、レビ族を除き、ヨセフ族を2部族(マナセ族とエフライム族)として数えた12部族です。レビ族には、土地ではなく、ヤハウェ自身が嗣業【しぎょう】(代々受け継がれる家業、財産)として与えられるのです(*1)。
とはいっても、住む土地がないというのはレビ族には困ります。神殿周辺に住むとすると、他の部族にとって不便です(やがてエルサレムに建てられる神殿から、北方に土地を分配される部族までは、かなり距離があります。

そこで、各部族から合計48の町とその周辺の放牧地が、レビ族が住むためともう一つの目的のために供出されることとなりました。放牧地の広さについてはややこしい書き方がされていますが、直径1000アンマの町の城壁から、各方角へ1000アンマずつ、ということかと思います(1アンマと1キュビトは同じ。1000アンマで約440m)

逃れの町(35章6~34)

各部族から提供される48の町のもう一つの目的とは、それを「逃れの町」とするというものです。48のうち6つの町が、誤って人を殺した者が裁判を受ける前に、被害者の身内から復讐されるのを防ぐため、逃げ込むところとされました。
十戒の「殺してはならない」は、「謀殺してはならない」というニュアンスのある言葉で、誤って、つまり故意ではなく殺してしまった場合は区別されるのです。

では謀殺と過失致死の境目はどこにあるのか?聖書は具体例をあげて「この場合は殺人である」と明示しています。
たとえば、鉄の道具、人を殺せるほどの石や木、つまり凶器となるもので誰かを打って死なせた場合は殺人『事件』、素手でも敵意を抱いて殴りつけ死なせた場合は同様。この場合は遺族による復讐が許されます。しかし、思わず人を突くとか、故意ではなく何かを投げつけた場合や、人を殺せるほどの石でも不注意で人の上に落として死なせた場合、つまり『事故』の場合は、裁判を受ける権利があります。申命記19章には[木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けてその隣人に当たり、死なせたような場合]という例も示されています。

有罪とされ死刑に定まった者は、賠償金で自由になることはできません。人の行為によって土地がけがれるという思想が聖書にはあるのですが、中でも殺人は土地をけがすものであり、たとえ遺族に賠償金を払ったとしても、土地(イスラエルは神ヤハウェが臨む地)をけがした行為は消えないのです。

ところで、十戒では[隣人に関して偽証してはならない」と定められています。証言者は「この証言が偽証なら、自分は神に滅ぼされてもよい」という責任の上で証言しなければなりません。その上、必ず複数の証人によらなければ、死刑判決は出せないとされました。
その拘束力は、キリストであるイエスをどうしても殺したかった最高法院でさえ、偽証者は集められたものの証言が食い違ったためになかなかイエスを十字架刑に定めることができなかったほどです。(*2)

一方、裁判の結果死刑をまぬがれても、それで放免というわけではありませんでした。事故であっても人を死なせた者は、裁判のあと逃れの町に帰され、そこに収監されたまま生きなければならないのです。つまり無期懲役です。もし逃れの町とその周囲の放牧地から出て歩いていれば、そこで被害者の身内が復讐しても罪には問われません。

ただし、大祭司が死んだ場合には、逃れの町を出ることができるとされました。 これは単純に特赦とか恩赦というものではありません。神ヤハウェの前に民全体を代表する大祭司が死んだ時、人を死なせた者の罪もあがなわれ、逃れの町を出ることができるのです。
のちに、究極の大祭司であるキリストが十字架で死ぬことによって、すべての人の罪があがなわれる道が開かれます。大祭司の死によって受刑者の罪があがなわれるとは、キリストによる罪のあがないをあらかじめ表すもの(予表)なのです。

土地の移動の禁止(36章1~12)

先にツェロフハドの娘たちの訴えによって、故人に息子がない場合は娘が土地を相続することが定められました。(*3)
しかし一方、土地は部族ごとにクジで分けられることも定められました。

これでは、土地を相続した娘が他部族に嫁いだ場合、ヤハウェがクジで分け与えた土地が、こちらの部族から削られてあちらの部族のものとされる、ということになります。
それでいいのですか?という疑問が、ツェロフハドと同じマナセ族の中から起こされました。

これに対するヤハウェの答えは、[嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。]というものでした。
もともと息子がない場合に娘が相続するという規定は、一族の土地を守るためのものなのです。

とりあえず、ツェロフハドの娘たちは同じマナセ族の男性と結婚したと記録されています。
では他部族の男と恋に落ちたらどうするのでしょう。結婚はできないのでしょうか。
それに対する明確な答えは聖書にはないようですが、ケースは異なりますがルツ記4章の記事から類推すれば、土地を相続するのは「義務」ではなく「権利」でそれを近親者の男性に譲渡することはできたのではないかと思われます(←まるっきり想像です)。

結び(36章13)

[以上は、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主がモーセを通してイスラエルの人々に命じられた命令と法である。]という言葉で、民数記は閉じられています。

この民数記で、ヌンの子ヨシュアがモーセの後継者となること、ミディアン征討がモーセの最後の仕事であることが、ヤハウェから示されました。
次の旧約聖書第5巻は、モーセの遺言ともいえる、最後の大演説です。


*1 → 民数記18章20

*2 マルコ福音書14章ほか。

*3 → 民数記27章

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#125
作成:2003年3月4日

布忠.com