民数記 第17回

menu

女性の権利(27章1節~11節)

第2回の人口調査は、カナン占領後に土地を分配するためでもありました。このとき数えられたのは20歳以上の男性のみ。しかしマナセ族のツェロフハドには娘が5人いましたが、息子がありませんでした。
それでこの姉妹たちは、モーセたち指導者と民との前に進み出て訴えました。「わたしたちの父は荒野で死にましたが、例のコラによる反逆に加わったのではありません。なのに男の子がなかったというだけで、わたしたちの父の家系が絶えてよいのでしょうか。父の兄弟たちと同じように、わたしたちにも所有地をください」

もっともな訴えです。子孫繁栄も土地の分配も、ヤハウェがイスラエルに約束した祝福ではないか。そして生まれてくるのが男児か女児かは、神であるヤハウェが支配しているのではないか。40年前にヤハウェにそむいたのだから、他の人と同じ程度に不信仰ではあるけれど、コラの反逆に加わらなかったのだから、他の人と同じ程度には信仰的でもあるツェロフハドの家が、なぜ祝福からもれなければならないのか。

この訴えをモーセがヤハウェの前に持ち込むと、ヤハウェは娘たちの訴えを認めました。ツェロフハド家だけの特例ではなくおきてとして、「第一の相続者は息子、息子がいない場合は娘、娘がいない場合は故人の兄弟、それもいない場合は氏族の中で最も近い親族」と定められたのです。

モーセの後継者指名(27章12節~23節)

今、イスラエルは約束の地カナンを目前にしています。しかしモーセは、メリバでの事件のために、約束の地に入ることができません。ということは、カナンへ攻めこむ時が近づくことは、モーセの死ぬときが近づくことでもあるのです。

ただしヤハウェはモーセに、約束の地を見ることだけはゆるしました。高い山を示し、そこに登って約束の地を見渡すようにと、ヤハウェはモーセに指示しています。(その顛末は申命記34章に記録されています)

しかしモーセには、自分の死が近いことを悟った今、誰が自分の役目を継ぐのかということのほうが、自分の生死より重要でした。いったい誰が、自分の代わりに、簡単にヤハウェに背を向けるこの大勢の民を指揮していけるのか。
モーセがイスラエルを指揮する権限は、律法にはありません。王でもないし、モーセの指導者としての地位はイスラエルの制度には何の根拠もないのです。役職として定められたものなら、指導者の権の継承について律法に定められたかもしれません。アロンの息子エルアザルが大祭司職を受け継いだのは、アロンの家系がその職につくと律法に定められたからです。
指導者としてのモーセの職責は、イスラエルをエジプトから救出しカナンを占領するまでの、いわば特例なのです。しかしモーセはカナンに入る前に死ななければならないなら、カナン占領までの間、指導者が必要です。

モーセはヤハウェに懇願しました。[どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください]と。

ヤハウェはモーセに答えて言いました。[霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。]
実際、ヨシュア以外に適任者は、これまで聖書に名前が出てきた者の中にはいませんでした。門前の小僧といいますが、モーセの従者として常に付き従い一番そばでモーセの仕事を見てきた彼は、神ヤハウェに従って民を指導することの何たるかを学んできたでしょう。また先頭に立って戦った彼は、カナン征討にあたっての軍事的指導者としての経験も豊富。何より、イスラエル全体がヤハウェにそむいたときに、カレブと二人だけで文字通り死を賭して、ヤハウェに背いてはならないと民に訴えた信仰の人でもあります。

もしモーセが自分で後継者を指名するとしたら、やはりヨシュアを選んだことでしょう。しかし同じ結果だとしても、ヤハウェに代わって民を導く者はヤハウェ自身に指名されるべきでした。

ヤハウェはさらにモーセに語りました。[あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。]
ウリムとは大祭司がヤハウェの神意をあおぐアイテムです。ヤハウェは確かに、ヨシュアをモーセの後継者に選びましたが、ヨシュアが指導者であることを民にも示さなければ、この疑り深い民は「モーセが自分の側近を選んだだけだ」と言い出さないとも限りません。ヨシュアの権威に納得できるように、大祭司エルアザルが民に神意をあきらかにする必要があるのです。

[ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。]
これまではヤハウェ(の言葉を取り次ぐモーセ)の指示のもとでヨシュアが指揮権をふるってきたわけですが、指揮権を持ったままヨシュアがモーセの後を継いで指導者になったらどうなるか。
まず、指導者が軍事独裁に走る可能性があります。ヤハウェ自身が選んだヨシュアはそんな人ではないと思いますが、軍事独裁が可能な制度になってしまうということです。
逆に、指導者が何をしても民が「ヨシュアは職権を濫用している」と言って不服従になる可能性があります(戦前の日本政府が軍縮条約に参加したとき、野党もマスコミも国民も「統帥権の干犯だ」と政府攻撃したように)。
これらを防止するためには、戦うのは指導者でも戦いを発起するのはヤハウェであるということを、規定しておく必要がありました。それで攻めるも退くも、ヤハウェの言葉をとりつぐ大祭司エルアザルの命令による、とされたのです。
のちにイスラエルの初代の王サウルは、みずから開戦のためのいけにえを祭壇にささげて出陣したことを罪とされます(*1)。預言者サムエルの出陣命令を待たずにみずから出陣命令を発したからなのです。


*1 サムエル記一13章8-14

前へ 上へ 次へ

#121
作成:2002年12月13日
更新:2002年12月29日

布忠.com