民数記 第16回

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罠(25章1節~18節)

モアブ人の王バラクと占い師バラムは、イスラエルを呪うことに失敗したあと、自分のところに帰っていったと記録されています。
そのまま読めば、王は城に、バラムは家に帰っていったと読めますが、自分の所業へ帰っていったという意味かもしれません。というのは良からぬことを画策していたからです。民数記25章に記録されている、モアブとミディアンによってイスラエルにもたらされた悲劇は、その背後にバラムがいた、と31章8に書かれているからです。その悲劇とは。

イスラエルがシティムというところに宿営していたとき、[民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。]と記録されています。イスラエルの男たちはモアブの娘たちと交わり、やがて娘たちがカナンの神々に偶像に生贄をささげるときにイスラエルの男たちも参加するようになり、その神々をおがむようにまでなったことも記録されているのです。
明確には書いてありませんが、神ヤハウェに祝福されているイスラエルをヤハウェから引き離すためのバラク王のたくらみなのかもしれません。31章16には、この事件はバラムが女たちをそそのかしてもたらされたと書かれています。

しかし罠だろうと何だろうと、ヤハウェの民イスラエルにとってはこれは絶対にしてはならない契約違反でした。
旧約の預言者たちはたびたび、異民族との結婚を禁じています。しかし一方で異民族と結婚したイスラエル人の例も少なくなく、イエス・キリストの系図にも複数の異民族女性の名があります。
その違いは、ヤハウェとの契約(特に十戒の、ヤハウェのほか何者も神とするべからず)にあります。異民族との結婚を禁じるのは、異民族の宗教に傾かないための方策なのです。政略結婚を重ねたソロモン王も、異民族との結婚じたいではなく、異民族との結婚をきっかけとして妻たちの宗教に走ってしまったことによって、晩節をけがしてしまいます。

ましてこのときイスラエルの男たちは、まっとうな結婚ではなくモアブの娘たちとふしだらな関係をむすんだようなのです。露骨に言ってしまえば、スケベ心に負け言いなりになってモアブのバアル神の祭儀に加わっていったということです。

これによりヤハウェは[イスラエルに対して憤られた]と書かれています。そしてヤハウェはモーセに、[民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすれば、主の憤りはイスラエルから去るであろう。]と告げたのです。これを受けてモーセは、裁判人たち(他の訳では「さばきつかさ」おそらく前出の[民の長たち])に、バアル礼拝をおこなった者を殺すように命じました。

この訳では、人の罪のために他人を処刑、ともとれますが、聖書にもそんな罰の例は他に無く、神キリストだけが人の罪をあがなえるという聖書のテーマとも矛盾します。
だとすると[彼ら]は[民の長]とは別人の実行犯たちで、バアル礼拝に走った者たちを処刑させるために、長たちを強制的に集める(捕らえる)必要があったのでしょう。想像ですが、[民の長たち]は、民のおこないが大した罪とは思わず放置していた、せいぜい眉をひそめるくらいで処刑にあたいするほどとは思っていなかったのではないか。そこで長たちを強制的に集めてきて、実行犯たちを処刑してさらすように、とモーセは命じられたのではないかと思います。

このような指示をヤハウェがモーセに命じ、モーセが民の長たちに指示している間にも、事態は悪化していました。イスラエル人の男の一人でジムリという者が、今度はミディアン人の有力者の娘を、イスラエルの宿営の中の自分の家(テント)に連れ込んだのです。男は[シメオン族のうちの家族の指導者]と記録されしかも奥の間のある家に住んでいたことから、有力者であったと推察されます。
長たちの一人までもヤハウェに対する背信行為をするのを見て、もはや周囲も眉をひそめてすませることはできませんでした。大祭司エルアザルの子(つまりアロンの孫)であるピネハスは、ジムリを追っていって女もろとも槍で一突きに処刑したのでした。

これによってイスラエルを襲った災害は治まりました。また特にピネハスは、イスラエルの罪を摘んだ行為によって、ヤハウェから[わたしは彼にわたしの平和の契約を授ける。彼と彼に続く子孫は、永遠の祭司職の契約に与(あずか)る]と顕彰されました。
さらにヤハウェは、災厄のもととなったミディアン人を討てと命じました。この命令の実行は31章に記録されているのですが、この事件は[この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがくだった](*1)というのが真相だったのです。そのミディアン人との戦いでこの大背信事件は落着するのですが、この事件でイスラエル人はジムリも含めて2万4千人がこのとき死んだと記録されています。

二度目の人口調査(25章19節~26章)

そのミディアン人との戦いの前に、ヤハウェはイスラエルの人口調査を命じました。祭司職の部族であるレビ族を除いた各部族の、兵役可能な20歳以上の男性を家系ごとに調査せよというもので、民数記冒頭に記録されているシナイ半島でおこなわれた調査から約40年たっての第二回調査ということになります。

部族ごとの調査結果を、前回調査時と比較してみます。

人口調査(第2回)
部族兵力増減
ルベン族43,730人前回調査時の46,500人から2,770人減
シメオン族22,200人同59,300人から37,100人減
ガド族40,500人同45,650人から5,150人減
ユダ族76,500人同74,600人から1,900人増
イサカル族64,300人同54,400人から9,900人増
ゼブルン族60,500人同57,400人から3,100人増
マナセ族52,700人同32,200人から20,500人増
エフライム族32,500人同40,500人から8,000人減
ベニヤミン族45,600人同35,400人から10,200人増
ダン族64,400人同62,700人から1,700人増
アシェル族53,400人同41,500人から11,900人増
ナフタリ族45,400人同53,400人から8,000人減
合計601,730人同603,550人から1,820人減

合計数があまり変わっていないように見えますが、60万1730人の中で前回の調査時から生き残っているのはたった二人しかいません。40年前、ヤハウェにそむき約束の地に背を向けた世代はみなこの間に死に絶え、ヤハウェに従ったヨシュアとカレブだけが残ったのです。
なのに人口(兵力)ががくっと落ちたりはしていない。いよいよヨルダン川を東から西に渡って「約束の地」カナンに入るにあたり、罪を犯した世代には罰を下したうえでそれでもヤハウェがイスラエルを祝福していることを示すことが、この第二回人口調査の目的のひとつだったと言えます。民族の人口が増える=子孫繁栄=神の祝福のしるしだからです。のちにダビデ王が、ヤハウェの祝福を信じないかのように軍事的な目的だけで人口調査を行ったときには、人口調査をしたということが罪とされて、王として耐えがたい災厄がイスラエルをおそうことになります(*2)。

しかし合計という規模で見るとほぼトントンでも、部族ごとに見るとかなり増減があります。
ルベン族はコラの反逆事件のときに死んだ者が多かったためと思われます。またシメオン族は、直前の事件で長の一人であるジムリが率先して罪をイスラエルに持ち込んだほどですから、部族の多くの者が罪を犯して殺されたのだろうという推測もできます。

人口調査のもうひとつの目的は、これからカナンを占領していったのちに土地を分配するための基礎資料とすることでした。
ただし、レビ族には土地が分配されません。祭司であるレビ族は、他の部族の中に分散して住むことになります。そのレビ族の人数(レビ族だけは生後1ヶ月以上の全男子)は、23,000人。前回の22,000人から微増していますが、レビ族で前回20歳以上だった者もモーセ以外死に絶えているのです。


*1 民数記31章16

*2 サムエル記二24章

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#120
作成:2002年11月29日
更新:2002年12月29日

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