民数記 第15回

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バラムの託宣(22章2節~24章)

前の号の中で少しはしょった、占い師バラムがモアブの王バラクに告げたヤハウェからの神託について、そのいわんとするところは読んだまんまですが細かい点について解説します。

まず、バラムがヤハウェの神意をうかがうにあたって、王に[七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と雄羊を用意]させたことが興味深いです。
7という数字はイスラエルでは「完全」を象徴します。つまり神託を受けるにあたって十分なそなえをしたということです。やはりバラムは、その道のプロとして諸民族の神事に通じていたといえます。託宣が全部で七つ語られているのも、同じことでしょう。
バラムが「わが神、主【ヤハウェ】」と呼んでいるセリフもあることから、バラムはイスラエルを出ていった、堕落した預言者だとする説もあります。バラムが何者だったのか、説がわかれているようです。

託宣は詩の形式になっているので、七つの託宣の全文を掲載します(詩をどう要約したらいいかわからないもので)。そのため今回は少し長いですがご容赦ください。
で、読んでいただけばすぐ気付くかと思いますが、同じ趣旨のことを少し表現を変えて繰り返す形式になっています。(短い託宣では必ずしもそうなっていません)
これは同義平行法というヘブライ詩文の形式です。ヤハウェからの神託は、ヤハウェの民ヘブライ民族(イスラエル人)の表現方法で語られるということでしょうか。

第一の託宣(23章7節~10節)

バラクはアラムから
モアブの王は東の山々からわたしを連れて来た。
「来て、わたしのためにヤコブを呪え。
来て、イスラエルをののしれ。」
神が呪いをかけぬものに
どうしてわたしが呪いをかけられよう。
主がののしらぬものを
どうしてわたしがののしれよう。
わたしは岩山の頂から彼らを見
丘の上から彼らを見渡す。
見よ、これは独り離れて住む民
自分を諸国の民のうちに数えない。
誰がヤコブの砂粒を数えられようか。
誰がイスラエルの無数の民を数えられようか。
わたしは正しい人が死ぬように死に
わたしの終わりは彼らと同じようでありたい。

ヤコブとは、ヤコブの子孫であるイスラエルを指しています。つまり「ヤコブの砂粒」と「イスラエルの無数の民」は同じことを言っています。

11,12行目は「見てわかるとおり、この民は諸国の民とは違う、独特な存在なのだ」ということを言っています。
「イスラエルは他とは違う」というとユダヤの排他的な部分を連想されるかもしれませんが、そう思って聖書を読むと、他民族を受け入れることに関してはけっこう寛容であることに驚いてしまいます。ダビデ王の系図を見ても、その先祖には外国人の名前が複数あるのです。
しかしイスラエルは、他民族に入っていくことには慎重です。だからこそ数百年もエジプトに移住を続けても、民族としてアイデンティティを失うことがなかったのであり、次号で扱いますがイスラエルが他民族に染まろうとするようなことがあれば災いの種にもなるので厳しく罰せられるのです。
来る者は受け入れるが、ヤハウェの民としての独自性を維持するために諸国の民から独り離れて住むのがイスラエルなのです。

13行目はヤハウェのアブラハムに対する約束[あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう](*1)を思い出させます。

最後の二行も平行法になっていますが、さらに深読みするなら、15行目で「イスラエルの民が死ぬように死にたい」と言った上で、16行目では「死のあとにくる終わりも、イスラエルの民と同じようであありたい」という意味にも読めます。

第二の託宣(23章18節~24節)

立て、バラクよ、聞け。
ツィポルの子よ、わたしに耳を傾けよ。
神は人ではないから、偽ることはない。
人の子ではないから、悔いることはない。
言われたことを、なされないことがあろうか。
告げられたことを、成就されないことがあろうか。
見よ、祝福の命令をわたしは受けた。
神の祝福されたものを
わたしが取り消すことはできない。
だれもヤコブのうちに災いを認めず
イスラエルのうちに悩みを見る者はない。
彼らの神、主が共にいまし
彼らのうちに王をたたえる声が響く。
エジプトから彼らを導き出された神は
彼らにとって野牛の角のようだ。
ヤコブのうちにまじないはなく
イスラエルのうちに占いはない。
神はその働きを時に応じてヤコブに告げ
イスラエルに示される。
見よ、この民は雌獅子のように身を起こし
雄獅子のように立ち上がる。
獲物を食らい、殺したものの血を飲むまで
身を横たえることはない。

3行目で「人の子」とでてきますが、キリストが自身の神性を表現するために「人の子」と名乗ったのとは違ってここでは、人間のようではないという意味です。「悔いることはない」は、失敗しても反省しないということではなく、全知全能であるからあとで悔いるようなことは最初からないということ。

9,10行目の「災い」「悩み」はそのまま、イスラエルの中には不幸がないともとれますが、災いや悩みの根源である偶像崇拝がイスラエルの中にないという意味に読んで11行目以下につなげる解釈もできます。

19行目以降は、「愛の神」ヤハウェの神託にしては凄惨と思われるかもしれません。そしてそう思われる方は、イスラエルがカナンの民を全滅させていく場面でも同じことを感じると思います。
イスラエルの戦いには二種類あります。神ヤハウェが、滅ぼされるべき民を滅ぼすために、イスラエルをもちいて戦う場合と、イスラエルがヤハウェの指示から離れて戦う場合です。バシャンの王オグやアモリ人の王シホンを滅ぼした戦いは前者で、正義そのものであるヤハウェは滅ぼすべきときには容赦なく滅ぼす神です(しかしヤハウェは、ギリギリまで忍耐される神でもあります(*2))。後者の例は、たとえばヤハウェが戦いを禁じたときに戦ったり(*3)、ヤハウェが焼き払えと言ったのに分捕り品を取ったりすると、獅子の牙にかかるように災厄を受けるのはイスラエルのほうということになるのです。

第三の託宣(24章3節~9節)

ベオルの子バラムの言葉。
目の澄んだ者の言葉。
神の仰せを聞き
全能者のお与えになる幻を見る者
倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
いかに良いことか
ヤコブよ、あなたの天幕は
イスラエルよ、あなたの住む所は。
それは広がる谷
大河の岸の園のようだ。
それは主が植えられたアロエの木のよう
水のほとりの杉のようだ。
水は彼らの革袋から溢れ
種は豊かな水を得て育つ。
彼らの王はアガグよりも栄え
その王国は高く上げられる。
エジプトから彼らを導き出された神は
彼らにとって野牛の角のようだ。
彼らは、敵対する国を食らい尽くし
骨を砕き、矢で刺し通す。
雄獅子のように伏し
雌獅子のように横たわる彼らを
起き上がらせることができる者があろうか。
あなたを祝福する者は祝福され
あなたを呪う者は呪われる。

この託宣から、バラムの自己紹介的な一文から始まる構成が出てきます。その自己紹介の最後が「倒れ伏し、目を開かれている者」となっているのは、「自分は手も足も出ない。ただ目で見た(神に示された)ことを告げることしかできない」と言いたいのでしょう。

アガグは、エジプトを出てきたイスラエルを最初に攻撃したアマレク人の王です。この託宣は、カナン征服後のイスラエルの繁栄を、アマレクの現在の繁栄と比較しているのです。

ラストは、イスラエルを呪わせようとするバラク王への、そんなたくらみはむしろ悪い結果しか返さないという警告。
ただでさえ望みとは逆の託宣が続いた上にこう言われては、バラムはどんな表情だったでしょうね。

第四の託宣(24章15節~19節)

ベオルの子バラムの言葉。目の澄んだ者の言葉。
神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち
全能者のお与えになる幻を見る者
倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
わたしには彼が見える。
しかし、今はいない。
彼を仰いでいる。
しかし、間近にではない。
ひとつの星がヤコブから進み出る。
ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり
モアブのこめかみを打ち砕き
シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。
エドムはその継ぐべき地となり
敵対するセイルは継ぐべき地となり
イスラエルは力を示す。
ヤコブから支配する者が出て
残ったものを町から絶やす。

「彼」「ひとつの星」「ひとつの笏」は、同じ人物を指します。笏(しゃく)とは王権の象徴で、イスラエルからあらわれる王がモアブら諸民族を討つことを予告しているのです。
ヤハウェは今は、ロトの子孫であるモアブやエサウの子孫であるエドムと戦うことを禁じています。しかし後に、モアブもエドムも罪や憎しみによってヤハウェとその民イスラエルの敵となることを選びます。そのとき、イスラエルの王が立ちあがるという予言です。

その王とは、モアブとエドムを含む周囲の諸民族を征討した、イスラエル第二代の王ダビデを指していたのだ、と考えられます(*4)。
さらに、モアブが象徴する罪を打ち破る、王の王キリストの勝利を予告するものだという解釈もできます。

シェトについては、よくわかりません。古代エジプトの碑文に出てくるシュトウ人(モアブ地方の古代の住民)だという説や、「誇る者」の意味とする説があるようですが、いずれにせよ、11行目との同義平行法でしょうからモアブに住む民を指しています。

第五、第六、第七の託宣(24章20~24節)

アマレクは諸国の民の頭
しかし、その末はとこしえの滅びに至る。

この託宣は[アマレクを見渡して]述べられています。
バラムは未来のアマレクを見渡したのでしょうか。エサウの孫アマレクの子孫であるアマレク人も、エドム人同様に滅びに至るという予告です。

お前の住む所は確かであり
お前は巣(ケン)を岩の上に置く。
しかし、アシュルがお前をとりこにするとき
カインは必ず、焼き滅ぼされる。

これは[カイン人を見渡して]述べられた託宣です。カイン人は聖書の記述ではイスラエルとは友好関係にあったようですが(*5)、それがなぜ滅ぼされると予告されているのか?
アシュルはアッシリア帝国、あるいはアッシリア方面から攻め来る強国を指すと考えられるので、結果論的に言えば、カナンに侵出してきたアッシリアに支配されたカイン人はアッシリアの罪に染まり、次の託宣でアシュルが苦しむときに滅びたのかもしれません。

災いだ
北から軍団を組んで来る者よ
キティムから寄せ来る者よ。
彼らはアシュルを苦しめ、エベルを苦しめるが
彼もまた、とこしえの滅びに至る。

北のキティムから来る軍団とは、地中海沿岸からの大軍を指すと考えられます。アレキサンダー大王でしょうか。
強国にはさまれたカナン地方の歴史は、戦火と占領の連続でしたが、その盛者必衰の歴史を聖書の視点から読むと、こうなります。ヤハウェは罪に染まった諸民族を討つためにイスラエルをエジプトから引き出しましたが、イスラエルが堕落するとヤハウェは他の強国でイスラエルを討ちます。しかしその強国も罪が満ちたとき、ヤハウェは他の強国でその国を討ちます。
正義である神ヤハウェは公平であり、イスラエルであろうとも罪はみすごしにされない一方、異民族であっても悔い改めれば決して滅ぼしたりはしないのです(*6)。


*1 創世記13章16

*2 ペトロの手紙二3章9

*3 民数記14章

*4 モアブ討伐はサムエル記二8章2、エドム討伐はサムエル記二8章13-14に記録

*5 サムエル記一15章6

*6 ヨナ書3章

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#119
作成:2002年11月19日
更新:2002年12月29日

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