民数記 第13回

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モアブへ(21章~22章1節)

アラド絶滅

イスラエルがまだホル山のふもとにいたとき、ネゲブ地方に住むカナン人の地アラドの王がイスラエルの現在地の情報を得て急襲、いくらかを捕虜にして引き上げていきました。
ここにあらためて、イスラエル対カナンの戦いの火蓋が切って落とされたのです。

この事態に、イスラエルは[この民をわたしの手に渡してくださるならば、必ず彼らの町を絶滅させます]と請願を立ててアラドに戦いを挑みました。これに対しヤハウェは[主はイスラエルの言葉を聞き入れ、カナン人を渡された。]と記録されています。これによりイスラエルはアラドを打ち破って絶滅させ、この地をホルマ(絶滅)と名づけました。

イスラエルがカナン人を恐れてヤハウェにそむいたあと、今度はヤハウェにそむいて攻め上ったとき、カナン人は[ホルマまで来て彼ら(イスラエル)を破った]と記録されています。(*1)
今回はヤハウェに従って勝利を得たことを記念するために、この地に同じ名前をつけたのでしょう。

炎の蛇事件

アラドを絶滅したのち、イスラエルはホル山を出発。エドム領を迂回して南下し『葦の海の道』を北上するルートをとりました。
ところがここでまたも、民は[神とモーセに逆らって]不平を言い出したのです。これに対し[主【ヤハウェ】は炎の蛇を民に向かって送られた。]と記録されています。

この蛇のために多くの死者が出たと記録されています。悔い改めた民はモーセに[私たちは罪を犯しました。主【ヤハウェ】に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください]と懺悔しました。
モーセは民のためにヤハウェに祈りましたが、ヤハウェは炎の蛇を退けるかわりに、モーセにこう指示したのです。
[あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。]
指示に従って、モーセは青銅で、炎の蛇に似せたものを造り、旗竿の先にあげました。そして炎の蛇にかまれた人は、ヤハウェの約束を信じてこの青銅の蛇を仰ぎ見ると、死ぬことはありませんでした。

「炎の蛇」は、この世のものではない蛇をヤハウェが送り込んだのではなく、荒れ野に普通に生息している猛毒の蛇なのでしょう。今まではヤハウェがこの蛇からイスラエルを守っていたのを、反逆を受けてヤハウェが民の中に送り込んだのだと思います。
というのは、この蛇がいなくなったという記録がないまま、治療法(?)だけが示されているからです。ちなみに蛇は複数形だそうです。
「炎の」という形容は、見た目が毒々しい赤い色だったのか、それとも噛まれると身が焼けるような痛みに襲われるのか。

治療法として「つくりものの蛇を見上げるなら、命を得る」とされたことも興味深いです。それを見上げるなら助かるというヤハウェの約束を信じるだけで、その信仰のゆえに命を得るのです。もし「青銅のつくりものを見たくらいで助かるなら医者はいらねぇんだよ」などと言っていれば、そのまま命を落とすのです。
この蛇はのちに、偶像崇拝の根絶につとめたヒゼキヤ王によって破壊されます。人々がこの蛇を神扱いするようになったためです(*2)。青銅の蛇に力があるのではなくて、ヤハウェの約束に力があるのです。

ところでイエス・キリストは、自分が十字架で死ぬことをあらかじめ弟子たちに予告したときに、この青銅の蛇事件は自分のことを表していたのだと教えています(*3)。
竿の先に上げられた蛇のように、自分も十字架の上にあげられ、青銅の蛇を仰ぎ見れば命を得るというヤハウェの約束を信じた者だけが反逆の罪をゆるされたように、十字架上のイエスを仰ぎ見る者だけが罪による滅びをまぬがれるのです(*4)。

さらに前進

やがてイスラエルは、モアブの地に近づきました。モアブはヨルダン川と死海の東側にあり、アブラハムの甥のロトの子モアブの子孫が住む地です(*5)。

イスラエルは、エドムとモアブの国境であるゼレドの谷、そして死海東岸の中央やや北寄りに流れ込むアルノン川の渓谷へと進みました。

たびたび名前の出てくる「王の道」は、ヨルダン川と死海の東側を南北に縦貫する、幹線道路といってもいい隊商路です。
イスラエルとしては王の道をとおって北上したかったのですが、モアブの王も通過を拒否(*6)、力づくで通ろうにも、ゼレドの谷やアルノン川などに守られた高地は天然の要害となっています。
しかも、ロトの子孫に手を出すことをヤハウェが禁じました(*7)。のちにモアブはヤハウェから罪を指摘されますが(*8)、今は滅ぼさなければならないほど罪が満ちていないのです。
それでイスラエルは、モアブを迂回して、やがてピスガの山に至りました。

最初の占領地

次に前に立ちふさがったのは、アモリ人の王シホンでした。
ここでもイスラエルは使者を送り、ただ通過したいだけであると腰を低くして申し入れたのですが、シホンは許可しないどころかいきなり全軍で攻め込んできたのです。

しかし今度は、エドムやモアブの時と違ってヤハウェは戦いを禁じませんでした。
そもそも、なぜイスラエルがエジプトを出てカナンに向かうのが今なのかといえば、ヤハウェはアモリ人の罪が極限になるまで猶予していたからなのです(*9)。ヤハウェがカナン地方をイスラエルに与えるのは、単なるエコヒイキではなく、罪に満ちたカナン地方の諸民族(アモリ人を含む)に裁きをくだす目的があるのです。

この戦いは、全能者ヤハウェがともにあるイスラエルの勝利となりました。アモリ人の町や村落はすべてイスラエルの手に落ち、イスラエルの最初の占領地となったのです。

イスラエルはさらにバシャンへ北上。バシャンの王オグが全軍を率いて出てきましたが、ヤハウェが戦う前から[わたしは彼(オグ王)とその全軍、その国をあなたの手に渡した]と宣言した通り、イスラエルはオグ軍を全滅させこの国も占領。
そしてイスラエルは、エリコに近いあたりまでヨルダン川東岸を進んだのです。


*1 民数記14章45節

*2 列王記二18章1-4

*3 ヨハネ福音書3章14-15

*4 使徒言行録4章12

*5 創世記19章30-38

*6 民数記には記録はないが、士師記11章17に記録されている。

*7 申命記2章9

*8 アモス書2章1

*9 創世記15章16

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#117
作成:2002年10月31日
更新:2002年12月29日

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