民数記 第12回

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最後の一年のはじまり(20章)

ミリアムの死

長いときが流れました。20章に「第一の月に」とあるのは、後述する根拠からエジプト脱出後第40年のことと考えられます。イスラエルへの罰としてヤハウェが定めた40年間の、最後の年がはじまったのです。
この40年の荒野生活のあいだに、世代交代が進んでいます。40年という時間は、ヤハウェに反逆した世代がすべて死に絶えるまでの期間として定められていたのです。

そしてこの第一月、モーセの姉である女預言者ミリアムが死に、宿営していたカデシュという地に葬られたと記録されています。
ヤハウェがファラオの軍を紅海でほろぼしたときにはタンバリンを手に女たちの先頭に立って踊りながら賛美しました。この女たちは史上最初の聖歌隊といえるでしょう。そのリーダーだったミリアムは、映画「天使にラブソングを」ならウーピー・ゴールドバーグの役どころかも。
そんな彼女も、約束の地カナンに入ることはできませんでした。アロンと一緒になって、ヤハウェがモーセに与えた指揮権に反抗した罪によるのでしょうか。

ちなみにイエスの母マリアの名は、ミリアムが変化したものです。

メリバ事件

イスラエルに「荒野40年放浪の刑」が言い渡されたのは、たびかさなるヤハウェへの反逆のためでした。
しかしまたも、イスラエルは水を求めて、ヤハウェがさだめた指導者モーセとアロンに逆らいだしました。

もはや毎度のことという感もありますが、いよいよ今年で刑期も終わり約束の地に入れるというときに、「同朋がヤハウェの御前で死んだときに一緒に死に絶えていたらよかったのだ」などと言い出すとは。

しかしヤハウェは、40年前の約束のゆえに、彼らをほろぼそうとはせず、モーセに[あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい」と指示しただけでした。

これを受けてモーセとアロンは岩の前に民を集め、[反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか」というと杖で岩を二度打ちました。すると水がほとばしり出たので、民も家畜もそれを飲んだのです。

この反逆事件のために、この地はメリバ(争い)と名づけられました。出エジプト記17章にも、レフィディムの地で似たような事件があってそこをメリバと名づけましたが、それと区別して今回のほうは「カデシュのメリバ」と呼ばれるようになります。

これで一件落着かと思われましたが、上のモーセの言動のために、ヤハウェはモーセとアロンに怒りを向けました。[あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない]と宣告されてしまったのです。
引用した新共同訳では、誰が水を出すのかの主語がないのであいまいですが、新改訳では[逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。]となっています。その他、口語訳や、現代英語訳、欽定訳でも、モーセとアロンが岩から水を出すかのような言い方をしてしまっているのです。
これは、自分を神とする発言です。言葉のあやだとしても、ヤハウェ信仰ではこれは非常な大罪なのです。

エドムを迂回

カナン地方の南側、死海の南からアカバ湾に至るあたりは、エドム人の地でした。
彼らの先祖は、イサクの子エサウ。エサウの弟ヤコブがイスラエルの先祖ですから、兄弟筋の民族です。
モーセは、このエドム人の土地を通過して南からカナンに攻め込もうと考え、使者をエドム王に送って、その血のつながりに訴えて、またこれまでの辛苦と、先祖を守りし神ヤハウェの導きによってイスラエルがここまできたことを述べ、領内を通過させてほしいと頼みました。

しかしこれは、エドム側にとってはとんでもないことです。イスラエルで戦士として登録された成人男性は六十万人以上(*1)。
安全保障は為政者の最大の責務のひとつです。いくら先祖同士が兄弟だったとはいえ、何百年も交流がなかったよそ者の軍を領内に入れるようなことは、王として了承することはできません。

しかも通過するのは60万人だけではない。女性や子供もいれれば総勢は200万人は下らなかったでしょうし、多くの家畜も連れているのです。
いくらイスラエル側が「広い隊商路だけを通り、畑やぶどう畑をとおったり、井戸の水を飲んだりはしない。もし水を飲んだら代価は支払う。徒歩で通過させてほしいだけ」といっても、許可できるわけがありません。
考えてみてください、仮にどこかの国から200万人規模の難民(しかも武装兵60万人を含む)が「日本を縦断させてほしい。絶対に迷惑はかけないから」と言ってきたとしたら?しかも当時のエドムは現代の日本とは比べ物にならないほど、水も耕地も人口も少なかったのです。

使者を再度おくって礼を尽くすイスラエルに対し、エドムはついに国境へ強力な軍を展開して断固拒否のかまえ。
ここで全能の神ヤハウェがイスラエルを攻め込ませれば、エドムも打ち破れたでしょう。しかしヤハウェは「この地はエサウ(の子孫であるエドム)の領地としてすでに与えたものだから、イスラエルには猫の額ほども与えない」とモーセに伝えていたのです(*2)。ヤコブの子孫イスラエルに約束された地は、エドムではなくカナンなのです。

このためイスラエルは、エドム領を迂回して東から北上することになりました。これによって、40年前と同様にカナンに東から攻め込むことになるのです。
もしかするとモーセは、ヤハウェにさからって攻め込んだあげくに大敗したルートから攻め込むことを民が恐れると心配したのかもしれません。しかしヤハウェは、40年前と同じ道をたどらせることで、イスラエルが自分たちの力に頼ったときは失敗したが、今度は神ヤハウェが勝利を与えるのだということを示そうとしているのでしょう。

アロンの死

カデシュを出発したイスラエルがエドム領の国境にそって進み、ホル山に着いたとき、ヤハウェは、メリバの水のことのゆえにアロンが死ぬべきときがきたことを知らせました。

ヤハウェの指示により、モーセはアロンとその息子エルアザルをつれてホル山に登りました。そしてアロンが着ていた大祭司用の祭服を脱がせてエルアザルに着せたのです。この大祭司職の引継ぎ式が終わったあと、アロンはその山頂で息を引き取りました。33章38節に、エジプト脱出後第40年第5月1日だったと記録されています(前述のミリアムの死も、同じ年の第1月のことだったのでしょう)。

アロンの遺体を山頂に安置したまま、モーセとエルアザルは山をおりました。エルアザルが大祭司の祭服を着ているのと、アロンがいないのとで、民はアロンの死を悟って30日のあいだ喪に服しました。

ホル山の正確な位置はわかりませんが、1336mのある山がそれだとして、ホル山(またはアロン山)と呼ばれています。頂上にはギリシャ正教の修道院が建てられましたが、現在はイスラムのモスクになっています。


*1 エジプト脱出時点で60万3550人。この40年で脱出当時の成人はすべて死に絶えたが、このあと民数記26章の人口調査でも60万1730人。

*2 申命記2:5


上記の、メリバでのモーセの失敗については、私は「主に求めるべきなのに、私たちが水を出せというのか」という意味に『解釈』していたため、それほどの罪なのかと疑問を持っていましたが、「シオンとの架け橋」編集の石井田さんから、メシアニックジュー(イエスを信じるユダヤ人)のヨセフ・シュラム師の解説を紹介していただいて得心しました。
石井田さんとヨセフ・シュラム師に、この場を借りてお礼申し上げます。

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#116
作成:2002年10月24日
更新:2002年12月29日

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