民数記 第11回

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レビ族への報酬(18章8節~)

レビ族、ことにアロンの家に、ヤハウェが権威を授けていることが確認された上で、さらに掟(おきて)が授けられました。

アロン(とその家)が奉納物の管理をするべきことと、その中から一部が祭司に与えられることが定められ、奉納物のうちから祭司に与えられるもののリストが示されています。奉納物とは収穫や初子(家畜でも人間でも、最初の子はヤハウェのものとしてささげらられる)ですが、ヤハウェの宗教は人身御供をゆるしませんから、人の初子は銀であがなわれます。またけがれているとされた家畜の初子を聖なるヤハウェにささげることも許されず、あがないで代えます。

さらに、ヤハウェはアロンに[あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である。]と言い渡しました。嗣業(しぎょう)というのは代々うけつがれるべき財産のことです。

聖書では、土地が他人の手に渡らないようにする規定が繰り返し命じられています。たとえば、

日本人が先祖代々の土地を大事にするのが農耕民族だからだとすれば、遊牧民出身のイスラエルがこれほど土地にこだわるのはなぜか。それは、イスラエルにとって土地とは[あなたの神、主があなたに与えて得させられる土地]だからです(申命記19章14)
やがてイスラエルはカナンを占領しますが、それもイスラエルの力で勝ち取るのではなく(ついこの前に、ヤハウェにそむいて攻め込み大敗したばかりです)、ヤハウェが与えるものなのです。

話を戻すと、占領後のカナンはイスラエルの各部族で分割するけれど、レビ族にだけは分配されない、それはヤハウェ自身がレビ族のなりわいだからだ、とヤハウェは定めたのです。
一部族だけ土地をもらえないというのは一見すると不公平にも見えますが、収入もヤハウェから来る(他の部族がヤハウェに奉納したうちから祭司に与えられる)というわけです。

そして民が収穫の十分の一を奉納するように、奉納物の中からレビ族に与えられたもののうち十分の一を、レビ族は奉納すると定められました。といっても、民の収穫もヤハウェからの恵みによって与えられるのだから、もともと違いはないのです。

この仕組みは現在の教会にも生きていて、信徒(信者)が教会に持ち寄った献金の中から、ある部分は神ヤハウェのものとして教会の運営や宣教のために取り分けられ、ある部分はヤハウェから牧師に与えられる分として取り分けられます。
そして牧師も、与えられた中から献金するのです。余談ですが筆者は以前、ある牧師に「牧師が献金する分を給与から天引きにしたりはしないのか」と尋ねて、大笑いされたことがあります。「牧師が教会からいただくものも、みなさんが働いて得る収入も、神様からの恵みであることに違いはないのです。なのに給与天引きでは、神様に感謝して献金する喜びが牧師だけ取り上げられてしまうじゃないですか」と。今おもえば、ずいぶんトンチンカンな質問をしたものです。

清めの水(19章)

これまで読んできた掟(おきて)の中に、けがれに関するものが多くありました。たとえば死体にふれた者もけがれると規定されています(*1)。では、けがれた者はどうすれば清くなるのか。

それには「清めの水をふりかけよ」と命じられています。人の死体にふれた者は7日のあいだけがれているとされ、その三日目と七日目にこのきよめの水をふりかければよいというのです。

清めの水は、次のようにつくられます。
まだ役務に使われたことがなく、傷もどんな欠陥もない赤毛の雌牛を用意します。その牛は祭司エルアザルに引き渡され、宿営の外で屠殺されます。エルアザルはその血をとって、幕屋(神殿)の正面に七度ふりかけたのち、牛を焼き尽くすのです。

このときエルアザルは、炎の中に、杉の枝とヒソプと緋色の糸を投げ込み、いっしょに燃やします。
この意味はよくわかりませんが、杉はレバノン産のものが建材に使われることが多かったようなので、堅く立つことの象徴かもしれません。詩篇51編9にヒソプ(*2)の枝で罪を払うとありますので、清めの象徴なのでしょう(神道のお祓いで玉串に使う榊のようなもの?)。真っ赤な緋糸は血を象徴し、血は命を象徴します。
これらを生贄とあわせることで、これによってけがれ(罪)が払われ、堅く立ってヤハウェの前に命を得るという意味だと思います。

こうしてできあがった灰は保存され、きよめの儀式が行われる際に必要な分が取り出されて、新鮮な水を加えられます。これが「清めの水」です。
なお、灰を作るのにかかわった者たち(祭司、焼く係、灰を集める係)は、役目がすんだら衣服を水洗いし、自身も沐浴しなければなりません。

くどくどと説明しましたが、これだけのことが、死体にふれた場合のけがれのために必要なのです。日本でも葬儀に参列した場合は塩でお清めをしますが、イスラエルでは比較にならないほど手間がかかる上に、生きた健康な動物の命であがなわなければならないほどのけがれなのです。

ところで「祭司エルアザル」という名が出てきますが、この人は大祭司アロンの息子で、アロンの死後に大祭司の職を引き継ぐことになります。
この規定は例によってヤハウェから「モーセとアロン」に申し渡されていますが、その中でエルアザルがこの儀式をとりしきるとされているのは、アロンの死が近いことを意味していたのでしょうか。


*1 レビ記21章1-4

*2 ヒソプの枝については→聖書植物園のサイトを参照

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作成:2002年10月18日
更新:2002年12月29日

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