民数記 第9回

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律法の再提示(15章)

はじめての大敗戦にうちひしがれ、荒れ野の道をひきかすイスラエルに、ヤハウェは再度おきてを与えました。内容は、すでに命じられた法のおもに奉納物に関する条項の補足となっています。予定外の荒れ野での生活となったので、そのための補足でしょう。
ヤハウェはイスラエルが土壇場で従わないことを知っていたはずです。けれどそれはヤハウェの予定ではなく、もちろん民にとってはなおさら予定外でした。カナンの地に入ってこの法のもとで生活するはずだったのに。

おきては過失による罪をつぐなう奉納であり、[故意に罪を犯した者は、主【ヤハウェ】を冒涜する者であり…彼は主【ヤハウェ】の言葉をあなどり、その命令を破ったのであるから、必ず断たれ(=死刑)、その罪責を負う]とされました。

にもかかわらず一人の男が、労働が禁じられている安息日に、薪を拾い集めていて捕まりました。
民は彼を留置してヤハウェがモーセに語るのを待ちましたが、ヤハウェの判決は[その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。]というものでした。(「共同体」とは12部族の集まり=イスラエルの民全体)
これに従って、民全体は彼を宿営地の外に連れ出し、石を投げつけて死刑にしたのです。たかが薪拾いで死刑と読むと過酷ですが、罪状は「薪拾い」ではなく「ヤハウェに対する反逆」なのです。

ここでヤハウェは、イスラエルに[衣服の四隅に房(ふさ)をぬい付け、その房に青いひもを付けさせなさい]と命じました。
ただのちっぽけな指輪が、結婚の誓いを思い出させて、道に外れたことをやめさせるように、この房を見るときにヤハウェの命令を思い出すためです。子々孫々まで房をつけるように命じられましたが、キリストであるイエスも服に房をつけていたと記録されています(*1)。ただイエスの時代には、「私は真摯に信仰しているのだ」とアピールする道具と化し、宗教的指導者は房の大きさを競うというバカバカしいことをしていたようです(*2)。

クーデター(16章~17章5節)

こうして律法があらためて提示されたにもかかわらず、モーセとアロンによる体制、そしてこの体制の背後に存在するヤハウェに対して、反逆がおこされました。

12部族の中でもレビ部族は、イスラエル全体を代表してヤハウェに仕える者たちとして定められていました。その中でケハト族は祭具の取り扱いという重要かつ名誉な職責を与えられていたのですが、そのケハト族に属するコラという男が、モーセとアロンの指揮権を奪おうとしたのです。

このクーデターにあたって、コラはルベン族がかかえる不満に目をつけ、ルベン族のダタンやアビラムなどと手を結びました。
12部族はヤコブの12人の息子を祖とします。ルベン族の祖ルベンは長男でしたから、本来ならルベン族が本家ということになります。しかし祖ルベンは父ヤコブの妻(腹違いの弟の母)と道に外れたことをしたために「長子の誉れ」を失い、四男ユダが筆頭とされていたのです(*3)。宿営が移動するときも、先頭はユダ族を含む一団で、ルベン族は第二陣に入れられています。しかしルベン族には「本来なら我々が本家」という思いがあったのでしょう。それがコラの反乱を契機に、ダタンたちを立ち上がらせたと思われます。

彼らは、レビ族を中心として民の重鎮ら250人を巻き込み、モーセとアロンに[あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主【ヤハウェ】がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主【ヤハウェ】の会衆の上に立とうとするのか]と主張し、二人に代わって自分たちが指導者になろうとしたのです。

「イスラエル全員が聖なる者」とはそのとおりです。でもそれを理由にモーセとアロンが指揮するべきでないというなら、コラたちだって指揮するべきではないでしょう。要するに口実でしかありません。
しかもモーセとアロン、ヨシュアとカレブを除く全員が、ヤハウェに対する反逆を繰り返してきたのです。モーセの決死のとりなしで、ヤハウェの裁きによる全滅を避けてきたにすぎません。
(アロンもたった一度だけ、姉のミリアムに引きずられて反逆したことがありましたが、その経験でアロンは十分に勉強したようで、その後は大祭司職を忠実に勤めました)

しかし、話せばわかるようなら最初からクーデターなど起こさないでしょう。それでモーセは、ヤハウェが誰を選ばれるかをヤハウェ自身から示してもらうことにしました。コラとその仲間全員に、アロン家のように香炉を持って明朝ヤハウェの前に進み出るようにと答えたのです。
資格のない者が聖域に入ったり、ふさわしくないやりかたで香をヤハウェにささげたりすれば、ヤハウェに討たれます。アロンの息子たちでさえ、それで死んでいるのです(*4)。
モーセはさらに忠告しました。[レビの子らよ、聞きなさい。イスラエルの神はあなたたちをイスラエルの共同体から取り分けられた者として御自身のそばに置き、主【ヤハウェ】の幕屋の仕事をし、共同体の前に立って彼らに仕えさせられる。あなたたちはそれを不足とするのか]

またモーセは、ダタンたちもヤハウェの裁きが下る前に悔い改めさせようとしました。しかし彼らはこう答えたのです。
[あなたは我々を乳と蜜の流れる土地から導き上って、この荒れ野で死なせるだけでは不足なのか。我々の上に君臨したいのか。あなたは我々を乳と蜜の流れる土地に導き入れもせず、畑もぶどう畑も我々の嗣業としてくれない]モーセとヤハウェが民を「乳と蜜の流れる地」に導きいれようとしたのに、自分たちが逆らってエジプトに戻ろうとしたから40年も荒れ野をさまよって死ぬことになったのだということを、もう忘れてしまったのでしょうか。

翌朝、コラと250人は、香炉を手に幕屋に進み出ました。これに対してヤハウェは『栄光』をイスラエル全体に現した、と記録されています。シナイ山でイスラエルがヤハウェの栄光を見た時のような、「今ここに神ヤハウェが臨んでいる」ということが言い逃れできないほど明確にわかることが起きたようです。

ヤハウェは、怒りのあまり言葉にもならないのか、モーセとアロンに[この共同体と分かれて立ちなさい。わたしは直ちに彼らを滅ぼす]と短く言い放っただけでした。
モーセたちももう、反逆者たちをとりなすことはできず、反逆者たちの罪のゆえに民全体に怒りを下すことは思いとどまってくださいというのが精一杯。それに応えてヤハウェは、無関係な者を反逆者たちのテントから離れさせるように命じました。
モーセはこのことばを民に伝えるとともに、こう言い添えました。「もし反逆者たちが普通の死に方をするなら、ヤハウェが私を遣わしたのではないと思ってもよい。だがもしヤハウェの力によって大地が口を開き、彼らと彼らに属するものを呑み込んで、生きたまま陰府に落ちるならば、それは彼らがヤハウェをないがしろにしたことに対する裁きであることを知るだろう」

モーセがこう語り終えた瞬間、反逆者たちの足もとの大地が裂け、彼らも持ち物もテントごと呑み込んで、再び閉じました。同時に、幕屋の前で香炉をささげ持っていた250人を、ヤハウェからの火が焼き尽くしたのです。

こののちモーセはヤハウェの命令に従って、250人が持っていた青銅の香炉を集めさせ、延ばして祭壇の覆いを作らせました。
この、反逆とそれに対する裁きの証拠を祭壇に置いて警告とし、定められた者(=アロンの家の者)以外が祭壇に進み出て香をささげ、コラとその仲間のようなことにならないためです。


*1 マタイ9章20

*2 マタイ23章5

*3 創世記35章22および49章3-10

*4 幕屋でヤハウェに仕えるのはレビ族の中でもアロン家の者に限られていて、それ以外の者が幕屋に近づけば死ぬと繰り返し注意されていた。またレビ記10章1-2では、アロンの二人の息子が、おきてに反する香のささげ方をしたためにヤハウェに焼き殺された。

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#113
更新:2002年12月29日

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