民数記 第4回

menu

アロンの祝祷【しゅくとう】(6章22節~27節)

イスラエルが出発の準備をととのえたときヤハウェは、大祭司アロンとその祭司一族に、イスラエルの人々をこのように祝福しなさいと命じました。

主【ヤハウェ】があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主【ヤハウェ】が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
主【ヤハウェ】が御顔をあなたに向けて、あなたに平安をたまわるように。

ヤハウェが祭司たちに一番最初に教えたこの祈りは、「アロンの祝祷」と呼ばれています。ルカ福音書のラストでキリストが弟子たちを[手を上げて祝福された]と記録されているのも、このアロン祝祷だったのではと考えられています。現代でも、礼拝の最後に、牧師が礼拝出席者を祝福するためにアロン祝祷で祈る教会もあります。

さらにヤハウェは[彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう]と約束しました。
旧約聖書のルツ記には、ボアズという大富豪と農夫たちが[主【ヤハウェ】があなたたちと共におられますように][主【ヤハウェ】があなたを祝福してくださいますように]とあいさつ代わりに祝福を祈る様子も記録されています。

約束の地を目指すイスラエルに、出発の号令としてこれほどふさわしい言葉もないでしょう。

旅立ち(7章~10章10節)

7章から10章のはじめまでには、第二年第一月一日に幕屋が建てあがってから、出発するまでのことが記録されています。出エジプト記やレビ記の記録と重複する部分もありますが、より詳細な記録になっています。

祭壇の奉献

大祭司でさえ年に一度しか入れない"至聖所"を筆頭に、幕屋のどの空間もどの祭具もすべて重要です。中でも祭壇は、イスラエルの奉納物を煙と香りに変換してヤハウェに届けるという、民とヤハウェの接点として非常に重要なものです。
というわけで[祭壇に油が注がれる日(=まず祭壇そのものを奉献する日)に、指導者は祭壇奉献のための献げ物をたずさえて来た]と祭壇奉献の次第が記録されています。各部族の指導者が一日に一部族ずつ、12日間かけて奉献の儀をおこなったのです。

人口も違いますから部族単位では財産に差があったはずですが、どの部族もヤハウェの前に等しいことを表して、部族長が持って来た奉納物は一律で次のようになっていました。

これらを宿営に従って、東面から、初日はユダ族、二日目はイサカル族、三日目はゼブルン族。南面から、四日目ルベン族、五日目シメオン族、六日目ガド族。西面から七日目エフライム族、八日目マナセ族、九日目ベニヤミン族。北面から十日目ダン族、十一日目アシェル族、最後にナフタリ族が奉納をおこないました。

合計すると、1聖所シェケルを約11gとして、銀製品が約26.4kg、金製品が約1.3kg、穀物と香、雄牛36頭、雄羊と雄ヤギと子羊が各72匹。
これだけのものをイスラエルは、強制されてではなく喜んでヤハウェにささげたのです。それだけヤハウェがイスラエルを富ませていた、とも言えるかもしれません。

レビ族の聖別

レビ記に記録されている祭司就任式がここで行われています。身を清め、任職のための奉納物が用意され、そしてイスラエルの民全体が見守る中でレビ族が幕屋の前に進み出させられました。

イスラエルの人々(の代表)がレビ人たちの上に手を置き、レビ人は雄牛の頭に手を置きます。レビ人は全イスラエルに代わってヤハウェに仕える者であり、雄牛はレビ人に代わって罪を清算するために祭壇でヤハウェにささげられるのです。雄牛がレビ人のために果たす役割が、レビ人が全イスラエルのために果たす役割を表しています。

こうして罪を清算されたレビ人を、モーセが奉納物としてヤハウェに差し出して民から区別すると、レビはヤハウェのものとされました。
こうしてレビ族は聖域である幕屋に入れるようになり、おつとめに当たるようにされたのです。(これをやらないうちは、レビ族も幕屋をたたんだり運んだりできなかったわけです)

このように[モーセとアロンとイスラエルの人々の共同体全体は、主【ヤハウェ】がレビ人についてモーセに命じられたとおり、レビ人に対して]おこない、レビ族はヤハウェから[わたしが受け取った者]とされました。

最初の過ぎ越し祭

第2年第1月14日の夕暮れから、記念すべき最初の"過ぎ越し祭"がはじまりました。

詳細はすでに紹介したとおりですので省略しますが、ここで興味深くもリアルなできごとが記録されています。この祭にはけがれている者は参加できないとされましたが、葬式でもあったのでしょう、死体にふれたためにけがれてしまった者たちが「どうして私たちがヤハウェの祭りから除外されなければならないのか」とモーセとアロンに訴えでたのです。

これにヤハウェは、死体に触れてけがれている者や、遠く旅に出ている者は、月遅れで第2月に過ぎ越し祭を祝うことができる、と定めました。
ただし「来月も祭があるからいいや」などと軽く考えて、けがれてもいないし旅に出ているのでもないのに祭に参加しない者があれば、定められた時に奉納をしなかった罪を負う、とされました。

ここでカレンダーを確認。第2年第1月の1日から12日までかかって、各部族長たちが祭壇のために奉納。14日の夕から過ぎ越し祭。レビ記によれは祭司任職式は7日間かかりますから、部族長たちの奉納と平行して祭司任職式がおこなわれたはず。とするとこの1日から14日までに、たったひとつの祭壇でささげられたいけにえの総数は…。一日につき一部族しか奉納できなかったわけです。

先導

前進するにあたっては、雲の柱がイスラエルを先導します。ヤハウェが雲に姿を変えたのではなく、雲が発生する仕組みを自然界の法則に盛り込んだ創造者が雲を使ってイスラエルの旅路を導いていくのです。

昼は乾燥地帯の空に堂々とそびえたつこの雲の柱は、夕方からは燃える火のように見えていたことが記録されています。
これは、イスラエルにはヤハウェがともにいる心強い証拠ですが敵となる周囲の民族には「やつらにはとんでもない力のある神が味方している」というデモンストレーションとなったことでしょう。
以前「首都消失」という映画がありました。東京が円柱状の雲に覆われて出入りも連絡も不可能になり、首都機能を失った日本はさあどうなるというパニック物で、ストーリー的にいまひとつな感じを受けたのですが、地上から高空までそびえる"雲の柱"の映像は、このようなものを目の当たりにしたイスラエルや異民族の気持ちを想像させるものでした。

イスラエルはこの雲に導かれて、雲が移動をはじめれば宿営をたたんでついていき、雲が止まればどんな長い日数でもそこにとどましました。この民族移動のあいだもヤハウェに反逆しつづけるイスラエルですが、さすがに雲に従うことだけは守ったようです。雲より先に進もうとしても、敵だらけの地域でどちらにいったらいいかわからなかったことでしょうね。

もうひとつヤハウェがイスラエルのために用意したものがあります。モーセに命じて銀のラッパを2本つくらせたのです。
2本とも吹き鳴らす時は、イスラエル全体が幕屋に集まり、1本だけのときは各部族長が集まるとされました。また前進を始める時は、一度目の出陣ラッパで東の3部族が出発、二度目のラッパの音で南の第二陣が出発することが定められました。(ラッパが鳴らされるのは、ヤハウェの幕屋より前を進む部族に出発の合図を出すためで、幕屋をかつぐレビ族と後続の出発にはラッパは鳴らされません)

ラッパを手に、雲の柱に従って、いよいよ第2年第2月20日、イスラエルはシナイ山を出発します。目指すはシナイ半島からなら目と鼻の先のパレスティナ地方です。

前へ 上へ 次へ

#108
更新:2002年12月28日

布忠.com