民数記 第1回

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民数記の基礎知識

民数記本文の解説は次号からとして、第1回は民数記全体をカンタンに押さえておきます。

位置付け

旧約聖書の第4巻。モーセ五書(モーセに由来するとされる旧約聖書冒頭の5巻)に含まれています。

第1巻・創世記の最後で、イスラエル民族はエジプトへ移住しました。その後、年月を経るうちに奴隷になり苦しんでいたところを、エジプトが気の毒になるほど強烈なヤハウェの介入によって脱出。壮年男性だけで60万人、その家族やどさくさに紛れて出てきた異民族奴隷も含めて200万人以上とも言われる、しかもそれぞれが家畜なんかも連れてきた大集団の移動がはじまりました、というのが第2巻・出エジプト記までの経緯。

シナイ山に到着した彼らはヤハウェと契約を結び、ヤハウェの掟【おきて】を受け取りましたが、律法と呼ばれるその掟が記されていたのが第3巻・レビ記。

そしてこの第4巻・民数記では、いよいよシナイ山を出発し、ヤハウェがイスラエルに約束した地カナン(現在のパレスティナ地方にほぼ相当)を見下ろすピスガ山に至るまでが記録されています。
ちなみに第5巻の申命記【しんめいき】には、いよいよカナンを占領するに当たってのイスラエルへのモーセの遺言的なメッセージが記録され、実際にカナンを占領するくだりは第6巻ヨシュア記に記録されています。

ところで、エジプトを脱出してからカナンに入るまでに、イスラエルは40年もかかっています。
エジプトでの居留地があったとされるナイル川河口あたりから、シナイ半島を横切って、現在のイスラエルまで、たとえ大所帯が徒歩で移動したとはいえ、40年はかかりすぎでは?
いったい何があったのか。なぜそんなにかかったのか。なぜ40年ものあいだ、約束の地に入ることができなかったのか。次号から御一緒に読んでみましょう。

タイトル

他の古代の文書の例と同じく、民数記にももともとは書名がありません。ヘブライ語聖書で民数記の冒頭は「そして彼は言った、ヤハウェ、に、モーセ、荒野で、シナイ、の幕屋から、会見」となっていて、ユダヤ人はこの書を最初の単語から「そして彼は言った」と呼ぶか、もう少し特徴を表して5番目の単語から「荒野にて」と呼んでいたようです。

キリスト教徒がこの巻を民数記と呼ぶのは、最初の3章がイスラエルの人口調査の記録になっていることによります。ちなみに英語聖書でのタイトルは"Numbers"という、宝くじ屋で聞いたような書名になります。(言うまでもなく英語訳聖書の登場は宝くじのナンバーズの登場よりずいぶん昔です)

注記
正確には、ユダヤ人は"ヤハウェ"とは読みません。ここには、英字のYHWH(あるいはYHVH)に相当するヘブライの子音文字が書かれているのですが、ユダヤ人は恐れ多い神名を口にすることをはばかって、YHWHと書いてあるところを"アドナイ"(主)と読みます。→おまけ参照。

著者

著者は伝統的に、モーセであると言われていますが、著者のサインはありません。

ただ、仮に一巻にまとめられたのが後代だとしても、内容的にモーセに由来する(モーセがヤハウェから聞いて民に伝えたことが、メモや口伝で伝わり、のちに一巻になったのでは)と言えるため、本誌では便宜上"モーセ著"として扱います。

おまけ

ヘブライ語の民数記で冒頭2番目のことばは、英字アルファベットでYHWHに相当する子音4文字です。神の名の表記であることから、神聖四文字と呼ばれたりもします。

十戒に「神の名をみだりに口にしてはならない」と規定されているため、ユダヤ人はYHWHと書いてあると「主」(ヘブライ語で「アドナイ」)と呼ぶのが習慣でした。
ところがその習慣が長く続くうちに、なんとYHWHのただしい発音がわからなくなってしまったのです。なんか違うんじゃ、という気もしますが、ここまで律法を大事にする真面目さにはすごいものがあります。

そうはいっても、神の名がわからなくては、誰を礼拝しているのか誰に祈っているのか、とくに多神教の社会では曖昧になってしまいます。
そこで聖書の翻訳をするに当たって、「エホバ」という呼び方が出されました。YHWHに「アドナイ」の母音を当てはめたものだそうです。たとえば文語訳という少し前の日本語訳聖書では、民数記の冒頭は「…エホバ…モーセに告げて言いたまわく」となっています。

ですが「エホバ」はYHWHに他の単語の母音を当てはめた、いわば造語で、実際にはそんな名前の神は聖書に出てこないということになります。
言語学的にもこのような発音はヘブライ語にはありえないとも言われ、おそらく「ヤーウェ」あるいは「ヤハウェ」がもとの呼び方にもっとも近いだろうと言われています。ただし断定できるだけの材料はないそうですが。(キリスト教を参考にして考え出された宗教に「エホバ」の名を冠したものがありますが、早まったのかもしれませんね)

「エホバ」は誤読。でも「ヤーウェ」か「ヤハウェ」かその他か断言はできない。ということで、ユダヤ人方式に倣ったのか、その後はYHWHを「主」と訳しているようです。このメルマガでも使用している新共同訳では、民数記の冒頭は「…主は…モーセにおおせになった」となっています。

ですが「主」は"訳"であって、そのような"名前"の神はいない、ということでは「エホバ」とあまり変わりません。むしろ、誤読でも固有名詞の「エホバ」のほうが、一般名詞というか称号のような「主」よりマシだったのではとも思います。(これは筆者の素人考えです。研究者や牧師のかたのご意見をお聞かせいただければと幸いです)

さらに、「主」となっているところが、「YHWH」なのか「アドナイ」なのか区別がつきません。このため妙な日本語になってしまった個所もあります。
新改訳では、アドナイは普通の字体の「主」で、YHWHは太字の「主」で表記するという秀逸なアイデアを考えだしたのですが、メルマガやウェブページなど文字単位にフォントを変えるのが難しい媒体では不便。

というわけで、本誌では原則としてヤハウェという呼び方をしています。(うーむ。おまけが長すぎ。)

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#105
作成:2002年3月7日
更新:2002年12月28日

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