レビ記 第13回

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毎日の礼拝(24章)

前号でイスラエルの祝祭について紹介しましたが、神ヤハウェとの関係は祝祭の日のみでなくいつも保たなければなりません。
というわけで24章では、毎日の礼拝について規定されています。祭司は毎日、聖所の垂れ幕の前で夕暮れに常夜灯をともし、朝まで絶やさずつけておくこと、そのための燭台などをそなえておくこと、部族の数に従って12個の種(酵母)なしパンを聖所に供えておくことなどが命じられました。

この24章には、ひとつの事件の記録があります。[イスラエルの人々の間に、イスラエル人を母とし、エジプト人を父に持つ男がいた。この男が宿営において、一人の生粋のイスラエル人と争った。]というのです。
イスラエルは敵と定めた異民族とは徹底して戦いますが、意外と異民族を迎えるのに寛容なところもあり、申命記23章には[エドム人(*1)をいとってはならない。彼らはあなたの兄弟である。エジプト人をいとってはならない。あなたはその国に寄留していたからである。彼らに生まれる三代目の子孫は主の会衆(イスラエル)に加わることができる。]という規定もあります。
エジプト人の血を引くからというだけでは、問題になるような事件ではありませんでしたが、この男が[主【ヤハウェ】の御名を口にして冒涜した]ために大問題になったのです。

これは十戒の[あなたの神、主【ヤハウェ】の名をみだりに唱えてはならない]の明白な違反です。このために、ただのケンカだったのが、宗教的な倫理の問題になったのです。
十戒には[みだりにその名を唱える者を主【ヤハウェ】は罰せずにはおかれない]とはあるものの、具体的な罰則は示されていませんでした。そこで民は彼を留置し、ヤハウェの判決をあおぐことにしましたが、ヤハウェがモーセに指示した刑は、[冒涜の言葉を聞いた者(つまり証人)全員が手を男の頭に置いてから、共同体全体が彼を石で打ち殺す]というものでした。

これは、彼が純血のイスラエル人でないから刑が重いというわけではありません。ヤハウェは[神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる]と定めています。
これにより、彼はイスラエルの宿営の外に連れ出され、民から石を投げつけられて処刑されました。たったの一言で死刑とは過酷なようですが、神を冒涜するとは、神を秩序の中心とする社会では秩序を破壊しようとする行為で、現代の法治国家なら反政府テロにも相当するものなのです。

ヨベルの年(25章)

土地について

レビ記の内容は、エジプトを出たイスラエルがまだ"約束の地"に入れず、荒野を旅していた時代にかかれています。彼らはヤハウェの導きに従って移動を続けていて、当然ながら土地を所有していません。
しかしヤハウェは[あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば]と、実現が確実な予定として土地に関する規定を命じます。

その第一は、人が7日目ごとの安息日に休むように、土地にも7年目ごとに安息を与えよ、というものでした。種をまいても、畑の手入れをしてもいけません。自然のまま、つまりヤハウェの手にゆだねるのです。

ヨベルの年

前号で、第7月に新年祭を祝うこと、その10日に大贖罪日の祭りを行うことを読みました。
7年目ごとに土地を安息させるサイクルの7回目、つまり49年目の安息年の翌年、つまり第50年目の大贖罪日には、国中で角笛を鳴り響かせることが命じられました。この年が"ヨベルの年"であることを告げ知らせるためです。(ヨベルとは「雄羊の角」の意味)

7は聖書では"完全"を暗示する数字ですが、7年が7回すぎた年とは、いわば安息が完成する年です。この年に何があるのかというと、キーワードは"解放"です。

まず、土地が解放されます。この年は休耕しなければなりません。
となると、前年の第49年目とあわせて、2年連続で耕作できないことになりますが、ヤハウェは[わたしは六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。…(安息年の七年目と、ヨベルの年の八年目が過ぎて)九年目に新しい収穫を得るまでそれに頼ることができる。]と、ちゃんと保障しています。この間に自然に実った(=ヤハウェが育てた)ものも食べることができます。

ところでヨベルの年には果樹の剪定なども禁じられているのですが、現代のイスラエルの政府も、ヨベルの年の前年に並木の手入れや植林を大急ぎでやったりしています。

第二に、売却や担保となっていた土地が解放され、もとの持ち主の所有に戻ります。そもそも[土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者にすぎない。]というヤハウェのことばのとおり、やがてイスラエルが定住する土地は、偶像崇拝の民をヤハウェが追い出してイスラエルに分け与えるものなのです。
というわけで[土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。][もし同胞の一人が貧しくなったため、自分の所有地の一部を売ったならば、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならない。]など、土地の権利の移転をきびしく制限しています。

でも、ヨベルの年にはタダで返すとなると、経済的に困っても誰も土地を買ってくれなくて、かえって弱者を追い詰めるのでは?
ヤハウェはそれもケアしていました。[土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならない]と規定し、土地を売買する時には次のヨベルの年までの年数を考慮して値踏みすること、とされました。

この規定はヤハウェの所有である土地についてのみで、人間が建てた町の中にある、人間が建てた家には適用されません。売った年の年末までは買い戻す権利がありますが、それを過ぎるとヨベルの年になっても帰ってきません。このため、土地を持っていない寄留者などにとっては、ヨベルの年になったからといって元の持ち主に追い出されることもなく、保護されることになります。
ただし、土地を持たないレビ部族(祭司としてイスラエルを代表してヤハウェにつかえる代わりに、土地の分配を受けない)にとっては、町の中の家が土地と同じ扱いとなり、家を売ってもヨベルの年に返却されます。

第三に、ヨベルの年は奴隷の解放のときでもあります。
イスラエルはエジプトで奴隷だったのを、ヤハウェが自分の民とするために引き出したのです。つまりイスラエルはヤハウェの所有であるから、イスラエル人が同朋を奴隷(自分の所有)のままにしておくことはできないようになっていました。
何かの理由でイスラエル人が在留外国人の奴隷になった場合も、ヨベルの年に解放することとされました。


*1 イスラエルの祖ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫。

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#103
作成:2002年3月7日
更新:2002年12月13日

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