レビ記 第9回

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食物規定(11章)

レビ記の前半では[主はモーセに]言ったというパターンで各条項がはじまっていましたが、アロンの大祭司就任の後、11章は[主はモーセとアロンに]こうおおせになった、で始まっています。

その最初は、食べてもよい清いものと、食べてはいけないけがれたものの区別についての掟【おきて】でした。

たとえば陸上動物では、ひづめが分かれ反芻(はんすう)する動物は可。肉球があるものは不可。らくだは反芻するけれど、ひづめがひとつになっている上に肉球があるので不可になります。
水生生物では、ひれ、うろこのあるものは可。ウナギはひれがあってもうろこがないので不可になるし、タコなんてもっての他です(それでタコはデビルフィッシュと呼ばれるのか?)。水生生物が両生類を含むと考えると、食用カエルも不可か?跳ねない昆虫は不可。イナゴの佃煮はOKだけどハチノコは不可になります。
日本人としては、キリストによって食のタブーが解禁されていてよかったなぁと。

けがれているとされたものが、たとえば死んで何かの品物の上に落ちた場合、その物もけがれます。水の入った容器だったりしたら、その水がかかった物や飲んだ者もけがれます。
それが土器やかまどなら壊し、土製以外なら水に浸して清めなければなりません。

なんのためにこれらの区別がつけられたのか。ヤハウェは[あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。]と説明しています。神に似せてつくられた人間は、ヤハウェ自身が聖なる者であるように、聖なる者でいなければならないのです。
ただ、きよさとけがれの概念を人に教えるためにけがれているとされた動物にとっては、不名誉なことだったかもしれません。

人の状態によるけがれ(12章~15章)

出産によるけがれ(12章)

12章は、女性には不満の多いおきてかもしれません。いわく、

出産しただけで、けがれているとされるなんて!しかも男児を生んだときより女児を生んだときのほうがけがれるなんて!出産したら、贖罪奉納(罪を清算するための奉納)をしなければならないって、どういうこと!?

「産めよ増えよ」と命じたヤハウェ自身がどうしてこのように定めたのかわかりません。
あくまで個人の想像として、出産後の母体を家で休ませるために「けがれている」として外出を禁じた神ヤハウェの配慮、ということも考えられるかもしれませんが、それでも男児の場合と女児の場合で長さが違うのがわかりませんし。
ただ言えることは、戒律は神が定めたものであって、人間の感覚で定めたり従ったりするものではないということです。なお、キリスト以後は「人は人の心からでる悪い思いによってのみけがれる」と改定されていますので、現代には適応されないものです。

皮膚病や家カビなど(13-14章)

13章は、『重い皮膚病』と訳されている病気ツァラトを中心として、けがれときよめに関するおきてが規定されています。
以前の日本語訳聖書では『らい病』と訳していましたが、旧約聖書のヘブライ語の『らい病』は特定の病名というより状態を表すらしいこと、それにもかかわらず聖書に「らい病人はけがれている」と訳されるのは、社会的に多くの労苦を味合わされてきたらい患者にさらに不当な圧迫を加えるものであることから、最近は『重い皮膚病』に改訂されてきています。新約聖書のギリシャ語の"らい病"については、まだ議論が続けられているようです。

『重い皮膚病』と診断された場合はたいへんでした。けがれが他の人に及ばないように、宿営の外に隔離されます。日本語の「村八分」とは、村から追放されても二分くらいはつきあいがあるものだということですが、重い皮膚病の場合は村十分です。しかも破かれた服など一目でわかる身なりをし、さらに人が近づいた時や事情があって人のいるところに入る場合には自分で「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と叫ばなければならないのです。

映画「ベンハー」で主人公の身内が重い皮膚病に冒され、悲惨なことになっている場面があります。この病人に近づかれたほうは、けがれが移されてはたいへんですから、石を投げつけてでも追い払わなければならないのです。

なぜこうまでされなければならないのか、神意はまったくわかりません。ただキリストが、「人は外からけがされることはない」という言葉のとおりにらい病人に直接ふれたり(*1)、らい病人の家に泊まったり(*2)する場面が、当時の常識を考えるといかに特異なことだったかと迫ってくるのみです。

重い皮膚病が治った場合、祭司が「確かに直っている」と判断したなら、手続き(きよめの儀式ののち、きよめの期間を置き、いけにえ等を奉納する)ののちに、宿営に戻ることができました。

人だけでなく、物や家屋にカビが出た場合も、祭司の判断をあおいで、悪性のカビなら処分され、きよいとされたときには手続きの後に贖(あがな)われるとされました。

漏出ほか(15章)

次に規定されたのは[尿道の炎症による漏出]がある場合はけがれ、というものでした。漏出というのは膿のことのようです。
他のけがれと同様、漏出の人がふれたものもすべてけがれます。治ったときには、手続きを経て、もとの生活に戻れます。

夢精があった男性は、夕方まで汚れているとされました。

女性に生理が始まってから7日間のあいだに、彼女に触れた人や物はけがれるとされました。
これを踏まえてラケルとラバンの駆け引き(*3)を読むとおもしろいです。

ただ、彼女にふれたものはけがれるとありますが、彼女自身はけがれているとされていないようです。口語訳では「その女は…不浄である」とありますが、その後の翻訳にはありません。生理が終われば清くなるという規定もないですし、清くなった際の奉納の規定もありません。
毎月1週間はけがれているとされたり、そのたびにいけにえ等を奉納しなければならないとしたら大変ですが、他の規定が「本人がけがれているから、ふれたものもけがれる」という文脈であるのに比べると興味深いところです。
ただし、生理以外の異常出血は、治るまでけがれとされました。治ってから手続きを踏んで、清くなります。
イエスに癒されるまで12年も出血がとまらなかったという女(*4)は、ただ病気がつらいだけでなく、12年も「けがれた者」とされ続けていたのです。


*1 マタイ福音書8章3

*2 マタイ福音書26章6

*3 創世記31章34-35

*4 ルカ福音書8章43-48

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作成:2001年12月12日
更新:2013年10月20日

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