レビ記 第4回

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ヤハウェからだましとった場合(5章14節~19節)

みっつめの[主はモーセに仰せになった]は、人が創造者ヤハウェからだましとった場合の規定です。奉納するべきものを奉納しないのは[主をあざむいて罪を犯]すことなのです。

あやまちを犯した人間を永遠の炎とか地獄とか呼ばれるところに叩き込むこともできる(*1)全能者が、なぜわざわざ人間につぐないの機会を与えているのか?やっぱり人間が好きなんでしょうね。

個人と個人でも、謝る機会を逃したために、ずっと負い目を負いつづけることになった、なんてことはよくあります。
日本がこれだけ謝罪発言を続けいるのに、50年以上経っても中国から「誠意が足りない。もっとODAをよこせ」と言われ続けていることを考えると、敗戦時に賠償を免除されたことは果たしてよかったのかという気がします。日本が生き延びるための戦争とはいえ、敗れた以上はやはり賠償していれば、その完済後はどこの国にも何も言われない日本になっていただろうに、つぐないの機会を逃したばかりに、と思うのです。(第一次大戦後、賠償にあえぐドイツ国民が、ナチスを生んで次の戦争に向かって行ったことを考えると、ちょっと難しくなるのだけど)
「水に流す」「大目に見る」というのが器量の大きさを示すこともありますが、つぐないの機会を与えることも大事なのでしょう。

さて、ヤハウェに対する賠償は、本来奉納するべき分+補償として5分の1の割り増し、と規定されました。これを祭司に渡し、祭司が祭壇でヤハウェにささげることで、ヤハウェをあざむいた罪は清算されます。これは[賠償のささげもの]と呼ばれます。

人からだましとった場合(5章20節~26節)

創造者らだましとった場合につづいて、第4の[主はモーセに仰せになった]は、人からだましとった場合の規定です。

これは[主をあざむき、友人をいつわる罪]と書かれています。人をだますことでその人に対して罪を犯しているのと同時に、「おてんとう様も気づくまい」的な創造者を甘く見る考え自体が罪だというのです。

具体的には[預り物、共同出資品、盗品を着服または横領し、あるいは紛失物を着服しておきながら、その事実をいつわ]った場合、さらに[いつわり誓う]ことで事実を隠蔽しようとした場合です。
現代のような銀行システムもありませんから、長旅に出るときなどは、隣人や友人に留守中の財産の管理を頼むのが一般的だったようです。

この規定は、十戒の[盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。…隣人のものを一切欲してはならない。]に対応する刑法といえるでしょう。

この罪の場合、まず奪ったものをすべて返します。次に、奪ったものの五分の一を補償します。そして、定められた額に相当する無傷の雄羊をヤハウェへの"賠償のささげもの"とします。

なぜ、創造者に賠償するより先に、人に賠償するかというと、次のキリストのことばから考えるに、人との関係がちゃんとしないままで創造者の前にまかり出てはいかん、ということだと思います。
[あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。](*2)

奉納の手順(6章1節~11節)

第5の[主はモーセに仰せになった]は、アロンたち祭司がどうやっ祭儀をおこなうかの、作法というか手順についてでした。

いけにえは幕屋の庭にある青銅の祭壇でささげられますが、[祭壇の火を燃やし続け]ろということが、短い条文の中に3回も繰り返されるほど、念を押されています。
40年間もの荒野の生活で、薪をよく確保できたものですが、真摯であるためには、礼拝は楽じゃないほうがいいのかも?

この、火が燃やされつづける祭壇で、焼き尽くすささげものは定例としては朝と夕の2回ささげられました。
祭司は夕の分のやきつくすささげものを祭壇の火の上で燃やします。朝になると、一度着替えて、祭壇の上に残ったささげものの燃えカスをどけて火がよく燃えるようにしてから、新しい薪をくべて、その上で朝の分の焼きつくすささげものを燃やすのです。朝はこのとき一緒に、和解のささげものでヤハウェの取り分とされた脂肪も燃やされます。

どけておいた燃えカスは、祭司がもう一度着替えて、宿営の外に運び出されました。
祭司の着替えは肌を出さないようになっていましたが、燃えカスが体につかないようにするためかもしれません。運び出した燃えカスも祭司が管理していたと言われますから、ヤハウェのものになったいけにえが人のものになることのないようにするためだと思います。

以上はいけにえの場合ですが、穀物のささげものの扱いは次のように規定されました。
祭司は、祭壇の前で穀物をささげてヤハウェのものとしますが、祭壇で燃やすのは、乳香は全部、小麦粉は指三本でつまんだほどの量だけでした。これを、ささげもの全体をあらわす"しるし"とするのです。
残りの小麦粉はパンにして、祭司たちが聖域(幕屋の庭)内で食べます。ただし、発酵させるものは腐敗を象徴するので、酵母は聖域に持ち込んではいけませんから、発酵させていないカチカチのパンでした。

ところで、この頃のイスラエルは荒野を移動しつづけていて、小麦の栽培どころではありません。民もモーセに「パンをよこせ」と文句をいうくらいです。
ということは、穀物のささげものについての規定は、カナンに定住して畑作を開始してから、ヤハウェに命じられたものなのでしょう。
(イスラエルに国土を与えるという、アブラハム以来の約束の"確かさ"の象徴として、「イスラエルが安定して畑作できるようになったときには」ということで命じられた可能性もあります)


*1 マタイ福音書10:28。

*2 マタイ福音書5:23-24。

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#093
作成:2001年5月8日
更新:2002年12月13日

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