レビ記 第3回

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贖罪(しょくざい)のささげもの(4章~5章13節)

ふたつめの[主はモーセに仰せになった]は、戒律に違反した場合の規定でした。
贖罪とは「罪を贖(あがな)う」という意味で、つまりこれは戒律に違反した場合の規定です。

戒律に違反するとは、ヤハウェに対する契約違反ですから、奉納によってヤハウェに賠償するわけです。

なおここでは、"誤って罪を犯したことにあとで気づいた場合"についてだけ規定されています。
誤ってではなく故意に罪を犯したり、あとで気づいたのではなくその行為の最中に「これは悪いことだ」とわかっていて罪を犯すのは、創造者を冒涜するナメた行為であり、民数記15:30-31によれば死刑だったようです。

祭司の罪の場合(4章3-12節)

法治国家でもっとも法に違反してはならないのは、裁く立場の人でしょう。創造者がみずから統治するイスラエルでは、創造者と民を仲介する祭司が、もっとも責任重大でした。

[油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には]と書いてあります。油そそがれた祭司とは大祭司のことで、現代日本になぞらえるなら最高裁主席判事ともいうべき人です。ヤハウェのことばを民に取り次ぐ彼が道を誤れば、民全体が道を誤りかねません。

儀式の手順ですが、ふつうは奉納者とヤハウェのあいだに祭司がいるわけですが、大祭司がいけにえをささげる場合は、奉納者のパートと祭司のパートを両方やることになります。
いけにえは無傷の若い雄牛と定められました。罪を犯した大祭司は、幕屋の入り口でヤハウェの前に立ち、いけにえの頭に手を置いたあとこれを殺し、その血を器にとります。
前回の"焼き尽くす献げ物"などでは、この血は幕屋の入り口前にある青銅の祭壇にそそぎましたが、大祭司の罪の場合には、その前にやることがありました。彼は血を持って幕屋の中に入ります。

出エジプト記で読んだとおり、幕屋内は垂れ幕で仕切られ、入り口側が聖所、奥が至聖所となっています。罪を犯した大祭司はこの垂れ幕の前で、いけにえの血を指で7回(7は"完全"を意味する)振りまきます。聖所にある金の祭壇の、角(つの)と呼ばれる突起部にも血を塗ります。残った血は、他のときと同じように、入り口前の青銅の祭壇に流されます。
聖書には[血を流すことなしには罪のゆるしはありえないのです]とも書かれています(*1)。

その後、和解の献げ物のときと同じように、いけにえを解体して脂肪などの最良とされる部位だけを青銅の祭壇で燃やします。残りは宿営の外の焼却場で焼き捨てます。

大祭司以外の罪の場合

以下、責任の重さによって少しずつ違いますが、ほぼ大祭司の罪の場合と同じですので、細かいところは省略します。(相違点だけ表にしておきます)

罪を犯したのが[イスラエルの共同体全体]の場合(13-21節)。
「そのときは戒律違反だなんて誰も思わなかった。合憲判決もあった。でもあとになって冷静に考えたら、やっぱり戒律違反だった」というようなケースでしょうか。
いけにの頭に手を置くのと、いけにえを殺すのは、民全体を代表して共同体の長老がやります。

罪を犯したのが[共同体の代表者]の場合(22-26節)。
つまり指導者の場合ですが、この時点ではイスラエルには王はいませんので、共同体を構成するイスラエル12部族の部族長などが対象のようです。

奉納物は、無傷の雄山羊でした。奉納の儀式は、大祭司の場合とほぼ同じですが、幕屋の中の垂れ幕のところでいけにえの血を振りまく手続きはありません。

罪を犯したのが[一般の人のだれか]の場合(27-35節)。
大祭司以外の祭司も個人としてふくまれるようです。奉納物は無傷の雌の山羊。手順は共同体代表者の場合と同じです。

表.立場ごとの奉納物
  大祭司 民全体 指導者 個人
生け贄 雄牛 雄山羊 雌山羊
生け贄の血 幕屋内にふりまいてから、
青銅の祭壇へ
幕屋には持ち込まずに
そのまま青銅の祭壇へ
祭壇で燃やさない
部位をどうするか
焼却 祭司に与えられる

罪の例(5章1-13節)

以上は「誰が罪を犯したか」という観点でしたが、次に「どういう行為が"罪"に当たるか」という例が示されています。

[見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずに]いた場合。
"証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも"とは、「証言してヤハウェから祝福を受けるか、黙秘してヤハウェから呪いを受けるか」ということではないかと思います。

[汚れた野獣、家畜、爬虫類の死骸などけがれたものに気づかずに触れ]あるいは[いかなる種類のけがれであれ、人体から生じるけがれに気づかずに触れ]た場合。
外出中に、気づかないうちにどんなけがれに触るかわかりません。それでも罪となってしまうというので、[ユダヤ人は皆…念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事しない]ようになりました。(マルコ福音書7章)

いいことでも悪いことでも[軽はずみな誓いを立てた]場合。
誓ったことをはたせなかった場合に罪となるのはわかるとしても、誓うこと自体が罪とは。
これは、未来という"創造者の領分"に踏み込むことだからではないかと思います。極端に言えば、誓った直後に不慮の事態で死んだりすることもありえるのですから。

これらの罪に対して、それに該当することをしてしまった人は贖罪のささげものをささげ、祭司が罪をあがなう儀式を行います。
奉納物は、原則として、雌羊または雌山羊。貧しい場合は、二羽の山鳩か、二羽の家鳩。それも無理なら、小麦粉0.1エファ(約2.2リットル)とされました。残りのものは祭司の分となります。


*1 ヘブライ人への手紙9:22

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#092
作成:2001年4月20日
更新:2002年12月13日

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