出エジプト記 第31回

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補足事項(30,31章)

30,31章は「主はモーセに言われた」などではじまるいくつかの段落から構成されています。これまでに示された戒律を補足する「その他のことがら」という感じです。

香炉

香りは、人間とヤハウェの間でしばしば重要な役割を果たします。
人間が牛をヤハウェにささげようと思ったとき、目に見えない相手にどうやって渡すか。牛を焼いて、香りという「目に見えないけれども確かにある」という媒体に変換して、「見えないけれども確かに存在する」ヤハウェに届けるわけです。

香りというものは実際には物質(微粒子というのでしょうか)ですが、もともとヤハウェが受け取りたいのは「牛」ではなく牛をささげる「人間の心」ですから、香りは象徴の役目をはたせればいいわけですね。

そして、「香をたく祭壇」について指示されます。
純金でおおった木製で、1辺が約45cmの正方形、高さは約90cmで、先に出てきた祭壇同様に、四隅に角が作られます。
これは幕屋の中の聖所に置かれます。

ここで毎日の朝と夕に香草の香をたくのも、大祭司のおつとめに加えられました。ヤハウェはこれを「香りのささげもの」であると位置付けています。

人口調査と人頭税

「人口調査をして、人々を台帳に登録させるとき、各自は命の代償を主に支払わねばならない。登録することによって彼らに災いが降りかからぬためである」と規定されています。

王が人口調査をする場合、どれだけ税を集められるか、どれだけ徴兵可能かというあたりが、大きな目的でしょう。つまり、人口調査をされるということは、民にとっては不利益で危険なことなのです。
それらの「災いがふりかからぬため」に、「命の代償」として、人頭税として銀を半シェケル(5g)納めるようにと規定されます。

命の値段に貧富は関係ありませんから、豊かな者が多く支払うことも、貧しい者が少なく支払うことも禁じられました。
納税先はヤハウェですが、この世のすべての物質を創造したヤハウェはすでにすべての所有者ですから、税収の多少を気にしていないのでしょう。

「命の代償」にはもうひとつの意味があります。というか、こちらがメインなのですが、この税は幕屋のために使われます。幕屋は、人々が本来は死をもって清算しなければならない罪を祭壇であがなうものです。つまりこの税によって、罪の清算がされるわけです。

手水鉢(ちょうずばち)

青銅の洗盤とその台を作って、幕屋と祭壇の間に起き、水を入れます。アロンたち祭司が手足を洗い清めるためです。

禁断のアロマ

癒しブームでアロマセラピーも流行っていますが、聖書にも特別なアロマオイルとインセンスの調合について書かれています。
ただしこれはヤハウェのために使うもので、人間のために同じものをつくるのは厳しく禁じられています。ヤハウェにささげるためのレシピを人間に使うのは、賽銭泥棒と同じなのです。

というわけで、材料は書いてありますが、悪い気を起こさないように。材料は、

シェケルには2種類あって、普通のシェケルは13g、「聖所のシェケル」は10gです。
これを「香料師の混ぜ合わせ方」で調合して、「聖なる聖別の油」を作ります。これを幕屋の各アイテムにそそぐことで、それらは聖なるものとされます。

続いて「聖なる香」の作り方。

これらを同量ずつ、香料師秘伝の混ぜ方で調合します。これは粉末の状態で「掟(おきて)の箱」の前に置かれます。

デザイナーの指名

幕屋の製作について「デザイナーが描いた図案で」という説明をしてきましたが、そのデザイナーが、創造者から名指して指名されます。ユダ族のベツァルエルと、助手にダン族のオホリアブです。

この任務のために、ヤハウェはベツァルエルに「神の霊を満たした」と記されています。文字通りの意味で「天賦の才」です。

この二人は、幕屋の幕の刺繍などのセンスを問われるものから、あがないのフタのケルビム像などヤハウェからデザインを指示されたもの、そして「聖なる香」などデザインとは関係ないものまで、幕屋にまつわるすべてのアイテムの製造をになうことになりました。

安息日の確認

やっと、ヤハウェとイスラエルの契約条項の提示も最後になります。最後に示されたのは、これまでも何度も繰り返された、安息日の厳守でした。

1週間のうちの1日(土曜日)を、ヤハウェのための日として聖別するのです。これは、ヤハウェとイスラエルの契約の徴(しるし)であると宣言されています。違反すれば、ヤハウェの日をけがした罪により死刑です。

聖書のおきてには「違反したら死刑」というものが多くあります。その中には、安息日の規定も含めて、現代の私たちには「なぜそんなことが死刑に相当するのか」と思ってしまうものも少なくないかもしれません。

それはもしかしたら、私たちが約束というものに鈍感になっているということかもしれません。国民の代表である政治家がいとも簡単に国民との約束を破ったり、「ウソも方便」といえばウソが許されることになったり。

聖書は、創造者と人間の約束についての書です。
聖書のおきてを破るとは、創造者の民であることを拒否することです。そして生命をくれた創造者を拒否するとは、生命そのものを拒否することなのです。

掟(おきて)の板

こうしてヤハウェからモーセへ、イスラエルに聞かせて守らせるべき契約条項=律法が示されました。

そしてヤハウェはモーセに、二枚の石版を授けたのです。二枚とも両面にわたって、これらのおきてが、ヤハウェの指によって書き記されていたと記録されています。
これが、例の「契約の箱」におさめられ、「あがないの座」でふたをされて、幕屋の至聖所に安置されることになる、、、はずでした。

しかしモーセは下山したとたん、恐れ多くも創造者が手ずから書き記した石版を、激しい怒りとともに叩きつけて砕いてしまうことになるのです。

おまけ

銀で半シェケルが神殿税として定められたわけですが、マタイ17章では、イエスが自分とペトロの二人分として、シェケル銀貨1枚を納めています。
イエスのユーモアのセンスがわかるおもしろいところなので、聖書をお持ちのかたは読んでみてください。

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#083
更新:2002年12月16日

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