出エジプト記 第30回

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祭司の任職(29章)

ヤハウェから指名されたアロンとその子らが、祭司の職に任ぜられます。

祭司の聖別

アロンたちを祭司に就任させる前に、彼らを清める聖別の儀式がおこなわれます。準備する供物は

そして主役(?)の、アロンとその子らが幕屋の入り口に進み出ます。彼らは水で身を清め、例の祭司服一式を着用。そして大祭司(アロン)には、聖別のための香油を頭からそそぎかけられます。

就任式

アロンたちの準備も、供物の準備も整ったところで、いよいろアロンたちを祭司の職に任命する儀式です。

まず雄牛を、幕屋の前に立つアロンたちのところに引いてきます。アロンたちがこの牛の頭に手を置いたのち、この牛は殺されます。

「頭に手を置く」という行為は、置くほうから置かれるほうに、性質が移されることをあらわします。人が人の頭に手を置く場合は、たとえば創造者から受けた祝福を相続させたり(ヤコブからヨセフの子らへ)、職務が引きつがれたり(アンティオケのクリスチャンたちからバルナバとパウロへ)します。
ここでは、アロンたち人間の罪を牛に転嫁しているのです。

人が、罪があるままでヤハウェの前に出るなら、死んでしまうと聖書は警告しています。モーセでさえ、ヤハウェに「姿を見せて」と求めるとヤハウェは「私を見たらあなたは死んでしまう」と制するのです。
しかし祭司たち、とりわけ大祭司は、幕屋の中でヤハウェに仕えるのが職責です。それで罪を牛に転嫁して、自分が死ぬ代わりに牛を殺すのです。

殺したあとの牛は、血を祭壇にかけ、内臓の脂肪などは祭壇でもやし煙と香りにして天に立ちのぼらせます。ヤハウェが物理的に上のほうに住んでいるわけではありませんが、高いところに煙と香りを送ることで、この清算の供物をヤハウェが受け取ることの象徴とするのです。
牛の残った部分は、イスラエルの宿営の外に運び出して焼き捨てます。

雄羊は、その一匹を祭壇の上で完全に焼き尽くします。パンのいくつかも一緒に焼き尽くして、ヤハウェにささげます。

もう一匹の羊を燃やす前にとった血を、祭司たちの右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に付けます。罪を清算するために流された羊の血で、耳を聖別することで祭司がヤハウェのことばに従うように、手を聖別することでヤハウェの指示を実行するように、足につけることでヤハウェに従う生きかたを示すようにするのです。
祭司の式服にも、聖別された香油とともに羊の血が振り掛けられました。

以上を「燃やして主にささげる献げ物」と総称しています。

ただし、二匹目(焼き尽くされていないほう)の羊から、胸の肉と右後ろ足が取り分けられ、神前にささげたのち祭司の取り分とすることが定められました。彼らはそれを、この聖なる場所で煮て料理するのです。そしてパンの残りとともに、幕屋の入り口で食べます。
これらは、イスラエルの人々がヤハウェにささげ、それをヤハウェが祭司たちに与えるわけです。

ほかにも、こまかいところまでヤハウェから指示されています。この就任式は7日間続き、その毎日雄牛がささげられ、その血が祭壇にそそがれます。これによって祭壇も聖別されて神聖なものになるのです。それは、祭壇にふれた者をも「聖なる者」とするほどです。

祭司のつとめ

就任式を終えた祭司はいよいよイスラエルのために、おつとめをすることになります。彼らのおつとめとは、イスラエルの民の罪を清算するために毎日、幕屋で朝と夕暮れに、次のものをヤハウェ(の祭壇)にささげるのです。

雄羊だけでも、毎日2匹、単純計算で年間に700匹以上を、殺して祭壇でささげるのです(年に三度の大祭もありますから、正確には年間ではもっと多いでしょう)。しかもその羊は、一切キズのないよい羊でなければならないのです。
経済的には完全にロスですが、でも人の罪を清算しようとしたら、実はこれでも足りないほどだったのです。

祭司たちがささげる献げ物を受けて、この幕屋でヤハウェは祭司たちと会い、語りかけると約束しました。いえ、祭司だけでなく、イスラエルの人々に会う、と約束されています。
これらの規定が守られる限り、ヤハウェはイスラエルの中に宿り、イスラエルの神となる、と宣言されているのです。

無神論には「人が神を求めるから、神が存在する」と考えるむきもありますが、聖書はこれを否定して「人が神を求めようと求めまいと、創造者は存在する。人が創造者に従うなら、創造者はその人の神となり、人は創造者の民となる」と言っているのです。


参考
神はいけにえの命をどう考えているかのページも参照ください。
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#082
作成:2000年12月11日
更新:2002年12月16日

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