出エジプト記 第28回

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祭壇(27章1~8節)

幕屋の庭、聖所の前に置かれる、祭壇の造り方が指示されました。
20章24節以下で、誰でもどこででも祭壇を造って神ヤハウェの名を呼ぶことができるようにされましたが、幕屋に置かれるこの祭壇が、ヤハウェを礼拝するために人が造るすべての祭壇の本家というところです。

この祭壇は木製で、一片が約2.2mの正方形、高さは約1.4m。青銅で装飾され、四隅(すみ)にはツノのような造型がほどこされました。灯籠(とうろう)の屋根の部分のかどが上に向かって突き出しているような感じでしょうか。例によって、祭司がかつぐための棒を取りつけられるようになっていました。

聖所は人が神ヤハウェと会う場所ですが、罪があるままでは人はヤハウェに会うことができません。祭司はこの祭壇で動物のいけにえによって罪を清算し、その上ではじめてヤハウェとの面会のために聖所に入ることができるのです。

その他、この祭壇で使われる祭具、たとえばここでいけにえを燃やした灰を取るツボなどは、すべて青銅製です。金は聖所と至聖所の中でしか使われていないようです。

庭(27章9~19節)

幕屋を囲む庭についても指示されました。
南と北に長さ約44.5m、西に長さ約22.3mの幕を張り、青銅の台座に柱を立て銀の鉤(カギ)を柱の上につけて、幕をかけるのです。東側は、左右(つまり南北)から約6.7mずつ幕をかけ、開いたところが門になります。

常夜灯(27章20~21節)

幕屋には、人々が奉納したオリーブ油を使った常夜灯が置かれます。これを夕暮れから夜明けまで消えないように守るのが「アロンとその子ら」のつとめとされました。

アロンとその子らは、イスラエルを代表してヤハウェに仕える祭司に任命されたのです。以後、イスラエル12部族の中でアロンたちレビ族が、祭司職を代々になうことになります。

解説 ~幕屋とキリスト~

聖書を読んでいて「これはいったい、何が言いたいんだろう」と思ったら、ほかのページではそのテーマをどう説明しているかを見るのが基本です。

特に、旧約聖書は新約聖書の中で実現している、新約聖書は旧約聖書を前提としている、という関係があります。
今回登場した祭壇、そして幕屋の東側にもうけられた門。これも、新約聖書によって理解することができます。

言うまでもなく、庭には門を通って入ります。門を通らなければ祭壇で罪の清算もできないし、聖所に入ることも、至聖所に入ることもできません。つまり、ヤハウェとの会見に臨めないわけです。
新約聖書には、「わたし(キリスト)は門である。わたしを通って入る者は救われる」(*1)とか、「自身をきずのないものとして神に献げられたキリスト」(*2)とか、キリストは大祭司(ただ一人、年に一度だけ、至聖所に入れる祭司)である(*3)、などと記録されています。

新約聖書は、幕屋とはキリストを予告するものだったと教えています。
キリストという門を通って中に入り、キリストを十字架という祭壇でいけにえにすることで罪を清算し、キリストという大祭司が取りついでくれることで、人はヤハウェに会うことができるのです。
一方、3000年以上といわれる時代を超えて、日本語にまで訳されて、幕屋のこまかいところまで私たちに伝えている旧約聖書は、「幕屋をわかっておくと、キリストについて話が早いんだよ」といいたいのかもしれません。

ヨハネ福音書の冒頭に「ことば(ギリシャ語でロゴス)」が、はじめから存在し、神とともにあり、神自身であり、世界を創造した、と書かれています。この「ことば」はキリストのことです。

「ことばは肉体となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)とは、神であるキリストが人間となって私たちの世界に来たことを指していますが、「宿られた」と訳されている部分はギリシャ語から直訳すると「幕屋を張った」となります。


*1 ヨハネ福音書10:9

*2 ヘブライ人への手紙9:14

*3 ヘブライ人への手紙2:17ほか多数

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作成:2000年11月08日
更新:2013年10月25日

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