出エジプト記 第22回

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契約の書(2)

家畜について(21章28節~36節)

もともと遊牧民であり、今も移動を続けるイスラエルにとって、財産の中心は家畜で、中でも価値が高いのが牛でした。家畜(牛)が絡むトラブルが現実として多かったのでしょう。

牛が人を突き殺した場合、牛の所有者に罰はなく、牛が死刑になりました。ただし、死刑になった牛の肉を食べたりすることも禁じられたので、所有者は牛一頭分の損失となったわけですが。

これが、もし牛に以前から突く癖があるのがわかっていて、所有者が適切な処置を怠ったために人を死なせた場合は、牛も所有者も死刑でした。(遺族が賠償金を要求するなら、要求どおりにすれば死刑はまぬがれた)

牛に殺されたのが奴隷の場合は、銀30シケルが賠償額とされました(イスカリオテのユダがキリストを売り渡して得た額が銀貨30枚だったことを想起)

このほか、牛が被害者の場合や、牛が牛を突き殺した場合についても規定されています。

盗み(21章37節~22章5節)

十戒で「盗んではならない」と定められましたが、もし盗んだらどうなるかというと。
家畜を盗んだ場合、すでに売り飛ばすか屠殺していたなら、牛は5倍、羊なら4倍。盗まれたものが生きたまま見つかった場合は、2倍にしてつぐなうこととされました。

家に泥棒が入る場合は、壁に穴をあけて侵入するのが常套手段でした。泥を固めて乾燥させた壁なのです。
そうやって穴をあけているのを家人に見つかって争いになり、家人が泥棒を殺してしまった場合。それが夜なら、やむをえなかったということで家人はまったくおとがめなしでしたが、日中だったら過剰防衛になりました。

放牧した家畜が他人の畑で食べたら、自分の畑の最上の産物でつぐなう。焼き畑の火が他人の畑を焼いた場合もつぐなうこととされました。

誓えば無罪?(22章6節~14節)

銀行というものがありませんでしたから、金品は自宅に保管しますし、旅に出るときは友人などに保管を頼むことが多かったようです。となるとトラブルもありえることで、お金や品物を隣人に預け、それが盗まれた場合はどうなるか。
犯人が見つかれば話しは早い。問題になるのは、盗まれたのか、預かった者が着服して「盗まれた」と言っているだけなのかわからない場合です。

この場合、預かった者は、ヤハウェの前で「自分は決して隣人の財産に手をかけていない」と誓えば、つぐなう必要はありませんでした。預かった家畜が死傷したり盗まれた場合も同様で、預かった者がヤハウェの前で誓えば、つぐなう必要はないのです。

逆にいうと、無罪放免になるほど「神の前で誓う」ということが重い意味を持つということです。
神の前で誓うというのは、もし自分が誓いを破ったり、虚偽の誓いだったりしたら、神にどうされてもよいということです。弟殺しをヤハウェに断罪されたカインがなぜあれほど絶望的な悲鳴をあげたのかを考えなければなりません。(→創世記4:13-14)
いつわるためにヤハウェの前で誓うのは「ヤハウェの名をみだりに口にしてはならない」という十戒の第三戒の違反でもあります。

キリスト教の結婚式で新郎新婦は、お互いや親族や参列者、牧師や神父など人間の前で結婚を誓うだけではありません。それ以前にヤハウェの前で結婚を誓うのです。

処女を誘惑した場合(22章15節~16節)

婚約していない処女を誘惑して関係を持った男は、結納金を払って自分の妻としなければなりません。ただし、この件については父親の権限が非常に強く、父親が嫁にやるのを拒否した場合は男は結納金相当の賠償金を払うことになりました。

ちなみに申命記22:23-24によると、婚約している処女だった場合は男も女も死刑にさえされました。
聖書で婚約というと、私たちが考える結婚と同等の重要性がありました。だからヨセフは、処女マリアがみごもったときに申命記に違反したのだろうと考え、マリアが死刑にされないように、ことがおおやけになる前に婚約破棄しようとしたのです。(→マタイ1:18-19)

異教の風習の禁止(22章17節~19節)

「女呪術師を生かしておくな」「動物と性行為をおこなう者は必ず死刑」「ヤハウェ以外の神々に犠牲をささげるものは断ち滅ぼされる」
ただ死刑というだけでなく、かなり強い語調で禁止されています。

「男呪術師」というのがいたかどうかわかりませんが、いたなら同様にされたでしょう。呪術・魔術・占いといったものは悪魔の力によるものだからです。
獣姦も、性の本来のありように反するということもありますが、呪術的・異教的であるために強く禁じられました。たとえばギリシャ神話には、神々が動物に変身して人間と交わる物語がいくつもありますね。

「断ち滅ぼされる」と訳された言葉は、単に「殺す」という言葉にとどまらない、徹底的に完全に無慈悲なまでに絶滅させるという言葉です。
ヤハウェ以外を神として拝むことは十戒でも禁じられていますが、周辺の土地には、我が子を火の中に投げ込んで偶像にささげるような宗教もあったのです。

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#074
作成:2000年9月15日
更新:2002年12月13日

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