出エジプト記 第17回

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アマレク来襲(17章8節~16節)

イスラエルを襲った最初の外敵は、シナイ半島の北部にも住んでいたアマレク人でした。特定の土地ではなく、シナイ半島からカナンにわたって遊牧民的に生きていた者たちです。
彼らにしてみれば、自分たちの縄張りに突如として、250万人とも言われるイスラエル民族が入ってきたのです。アマレク人とイスラエルの両方に足りるだけの水など、(ヤハウェがイスラエルのために新たに水を湧き出させないならば)シナイ半島にはありません。そこでアマレクはイスラエルを駆逐し、ヤハウェがレフィディムでイスラエルに与えた水も奪おうと考えたのでしょう。彼らは宿営していたイスラエルに攻撃を仕掛けたのです。

聖書の別の箇所(*1)によれば、アマレクはここに至るまでにもイスラエルを後方から襲い、イスラエルの民族大移動から落伍する者を殺すという作戦を続けていたようです。

今までは困難があればヤハウェに叫び求めたモーセですが、今回は従者ヨシュアに戦いの指揮をとるように命じました。ではモーセは、ヤハウェに信頼することをやめて、人間の力で事態を解決しようと考えるようになってしまったのでしょうか。
そうではありません。モーセは「戦いのとき、私は神の杖を持って丘の上に立つ」とヨシュアに約束しました。ヤハウェがイスラエルとともにいることの象徴である、あの杖です。モーセは「ヤハウェがともにおられるからこそ、我々は勝利する」と信じたのです。

ところで、このヨシュアのことはおぼえておいてください。のちにモーセの後継者となる男です。イスラエルを導いてカナンに攻め入る彼にとって、この戦いは指揮官としての初陣でもありました。

しかし、これはイスラエル民族にとっては数世紀ぶりの戦争なのです。しかもここ数百年というもの彼らは奴隷であり、戦闘訓練の経験がないばかりか武器さえろくに扱えない、いや持ってもいなかったはずです。ヨシュアは剣を持っていたことが記録されていますが、ほとんどの兵の武器はせいぜい農具か、石や棍棒くらいしかなかったはずです。
一方のアマレクは、「諸国の民の頭(かしら)」と形容され、このあともダビデ王の時代まで何度もイスラエルを苦しめ続ける、実力のある好戦的な民族です。今も大国エジプトに隣接するシナイ半島を根城にしているくらいですから、戦い慣れしていたでしょうし武器もあったでしょう。

これがヨシュアでなくて諸葛孔明だろうと孫子だろうと、勝てるわけがないのです。
ところがヨシュアは「モーセが言ったとおりにした」と記録されています。つまり民兵を組織して、迎撃に出ていったのです。これはモーセとヤハウェに対してヨシュアがどんなに服従していたか、またヤハウェをどんなに信頼していたかの記録でもあるといえます。

そしてヤハウェは、信じる者に応える神でした。
決戦の朝、ヨシュア隊がアマレクを迎え撃つとき、モーセは兄アロンとフルという者とともに、戦場を見下ろす丘に登りました。
このとき、モーセが手を上げているとイスラエルが優勢に、手を降ろしているとアマレクが優勢になった、と記録されています。モーセはあの神の杖を握っていたでしょうし、そうでなくても戦いは日没まで続いたので疲れてきたでしょう。アロンとフルはモーセを岩の上に座らせ、左右からモーセの腕を支え続けました。
そしてヤハウェは彼らの祈りに応え、ヨシュアにアマレクを打ち破らせたのです。

モーセ、アロン、フルの記録にはもう一つの意味があります。モーセは神ではありませんから、モーセが手を上げたから勝ったのではありません。モーセは天に手を差し伸べてヤハウェに祈り続けていたのです。
全身全霊を込めて祈るとき、精神的にも肉体的にも消耗することがあります。でも「私にはもう祈る力もない」と思ったときでも、心をあわせて一緒に祈ってくれる信仰仲間がいると頑張れるのです。
こういうのをキリスト教では「霊の戦い」といいます。といっても守護霊が代わりに戦っているというのではありません。人は肉体だけではなく霊と魂とがある、と聖書は言っているのですが(*2)、今ヨシュアたちは肉体で戦っているときに、アロンとフルの祈りに支えられてモーセは霊で戦っていたのです。

勝利の後、ヤハウェはモーセに「このことを記録として書き物に書きしるせ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る」と言いました。
全能者はなぜそれほどまでにアマレクを断罪したのでしょうか。まず、神の民イスラエルに対する攻撃は、ヤハウェ自身に対する攻撃です。さらに、ヤハウェがイスラエルに与えた水を奪おうとしたのは、神が人に与えた恵みを不当に横取りしようとしたことです。

戦いの後モーセは、ヤハウェが勝利を与えたこの場所に祭壇を築いて、それをアドナイ・ニシ(主はわが旗)と呼びました。ヤハウェ自身が、イスラエルの軍旗であり国旗なのです。


*1 申命記25章18
「彼(アマレク軍)は道であなた(イスラエル)と出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏(おそ)れることがなかった。」

*2 筆者は聖書がいう「霊」と「魂」というのがいまひとつよくわかっていないのですが、聖書では、人は霊と魂を持っていると言っています。

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#069
作成:2000年5月11日
更新:2009年10月1日

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